至上の人



 この日は、ディーノの20歳の誕生日だった。
 マフィアのボスの誕生日となれば、そのパーティーは同盟や各界の著名人も集まる盛大なものだ。それも終わって今は、ファミリーの人間だけのパーティーになっている。
 相変わらず部下たちに囲まれているディーノを、ロマーリオは少し離れたところから見ていた。
 いつもは第一の側近としてディーノからつかず離れずいることが多いが、この場でディーノに危険が及ぶことなどないからその必要もない。部下がこれだけついているのだし、何より部下に囲まれたディーノは無敵だ。
 それにしても、とロマーリオは部下とグラスを合わせ楽しそうなディーノの姿を眺めながら思う。
 ついこの前まで赤ん坊だったような気さえするのに、もうディーノは20歳。それに合わせるように、いつ頃からだろう、ロマーリオのディーノを見る目が変わったのは。
 ディーノは争いを嫌う優しい子だった。勿論それは今でも変わってはいないが、同時にディーノは随分強く頼もしくなった。
 だがそんなディーノの変化だけでなく、ロマーリオの内面の変化が、一番大きな原因だったのだ。
 ロマーリオにとってディーノが、仕えるべき主であり守るべき何より大事な存在であることは、昔から変わっていない。
 ただ、明らかに昔とは変わってしまった、感情があったのだ。
 例えば、昔から見慣れているはずの、蜂蜜色の髪に、指を通したいと不意に思ってしまう。それは、よしよしと頭を撫でる、そういった行為とは確実に違った。
 唇に口付けたいと思う、それは挨拶のキスをするのとは確実に違う感情だった。
 ロマーリオは、欲を持ってディーノに触れたいと思うようになってしまったのだ。抱きしめたい、キスしたい、抱きたい。
 ボスに対して、16も年下の青年に対して、そんな思いを抱くなど、と自分に呆れる思いやディーノに対して申し訳ない思い、罪悪感もある。
 だが同時に、当然のことなのではないか、そうも思った。ディーノの魅力を、ロマーリオは誰よりも知っている。惹かれるのも仕方がない、そう思ってしまう。
 どうして純粋な部下としての好意だけでとどめておけなかったのかと思うが、芽生えてしまったのだからどうしようもない。
 勿論、ロマーリオはディーノに思いを告げることも、気付かせるような真似も、するつもりはなかった。一生、ディーノの第一の部下として、彼を守り見守り、そうやってただ側につき従っていこうと、ロマーリオは決めていた。
 だが、やはりつらいときもある。想う相手のすぐ側に一日中いて、それでも何も出来ないのだ。
 そういうときロマーリオは、酒でも飲んでごまかすことにしていた。酒に逃げるとは情けない話だが、他に思い付かないのだから仕方ない。
 とはいえ、ほとんど毎日朝から勤めているロマーリオには、そんなに酒を浴びるほど飲む機会も限られていた。こういった内々のパーティーの日は、その数少ないチャンスの一つになるのだ。
 ロマーリオの酒を呷るペースも自然と上がり、気付けば随分と飲み過ぎてしまっていた。泥酔した姿を、ディーノや部下たちに見せるわけにはいかない。真っ直ぐ歩けるうちに、パーティーを抜け出そうとロマーリオは思った。
 ボノたちにディーノを頼んで、ロマーリオは会場の扉を開ける。ちらりと視線を向ければ、ディーノはロマーリオが出て行こうとしているのにも気付かず、相変わらず楽しそうに部下たちと杯を交わし合っていた。


 自室に戻ったロマーリオは、ネクタイを抜き襟元をゆるめつつ、ベッドへ腰をおろした。そして、さっきこそりとくすねてきたワインを、瓶から呷る。
 それが空になる頃には、ロマーリオはすっかり酔っぱらっていた。瓶を投げ出し、ベッドへ身を投げる。
 こんなに飲んだのは、久しぶりだった。久しぶりのアルコールが、ロマーリオの体中に脳内にまで遠慮なく染み渡っていく。
 眼鏡を外すのがやっとで、ロマーリオはそのまま、朦朧としていくに任せて意識を手放した。
 その意識は、しかしそんなに経たないうちに、浮上してきてしまう。それは、ロマーリオの名を呼ぶ声によってだった。
「ロマーリオ・・・ロマーリオ?」
 何度も自分の名を呼ぶ声は、ロマーリオには考えなくてもわかる、ディーノのものだ。ロマーリオがゆっくり目を開ければ、ぼんやりとした視界に入ってくるのは、やはりディーノだった。
 だが、確かここは自室で、ディーノはパーティーを楽しんでいたはずで。目の前にディーノがいることが、ロマーリオにはなんだか非現実的なことのように思えた。
「・・・ディーノ」
 思わず名を呼んで返したロマーリオの呟きは、小さ過ぎてディーノには届かなかったようだ。
 意識が戻ったとはいえ、今のロマーリオはとてもいつも通り正常な状態ではなかった。でなければ、ボスであるディーノを名前で呼んだりなどしない。そんな呼び方、心の中でしかしたことがなかった。
「おい、ロマーリオ、大丈夫か?」
 心配そうにディーノはロマーリオを覗き込んでくる。
 そんなディーノはロマーリオの目に、ボスではなく、一人の青年にしか映らない。ロマーリオが思いを寄せる、ただ一人の青年に。
 しかもアルコールのせいで理性まで薄れてしまっている今、ロマーリオにあるのは、キスしたい抱きたい、そんな思いだけになってしまう。
「ロマーリ・・・!?」
 ロマーリオはまず手始めに、ディーノの腕を引っ張って、ベッドへと引き摺り込んだ。
 その体に乗り上げ、見下ろしたディーノは、驚きで目を丸くしている。
「・・・ロマーリオ、酔ってんのか・・・?」
 それから戸惑ったような顔になった。取り敢えず押し返すつもりか、ディーノはロマーリオの肩に手を掛けてくる。
 だがそれは、逆効果にしかならなかった。
 自分に伸ばされたディーノの腕が、まるで自分を誘っているように思える。酒に侵され熱に浮かされたロマーリオには、他の選択肢は選び得るはずもなく。
 決して触れぬと決めていたディーノの唇に、ロマーリオは吸い寄せられるように口付けた。
 肩を掴んでくるディーノの手がこわばり、それからロマーリオの体を押し返すように動いたが、ロマーリオは構わず舌を差し込みディーノの口内をより深く味わう。
 ずっと触れたいと思っていたディーノの唇だ。簡単に離れられるわけがない。
「ん、ロマ・・・っ」
 少し唇が離れた隙に、もらすディーノの僅かな声も、さらにロマーリオを煽る。
 ロマーリオは自らの欲求に従って、飽きることなくディーノの唇を貪り続けた。


 翌朝、目覚めたロマーリオを最初に襲ったのは、激しい頭痛だった。あれだけ飲んだのだから、当然の二日酔いだ。
 そして次に、猛烈な後悔と罪悪感。
 酒の勢いでのことなのだから、いっそ記憶が全て消えてしまっていたら。そう願うロマーリオだが、しかし記憶はしっかりとあった。
 昨夜のディーノの、声も表情も唇のやわらかさも、ロマーリオは全部覚えている。全部鮮明に、思い出せた。
 ただ、自分がディーノにどこまで何をしてしまったのか、そこについてはハッキリと覚えていない。ズボンは穿いたままだしベルトもちゃんとついたままだが、何もしていないと断言は出来なかった。
 それが何よりおそろしい。
 頭の中で、ディーノを抱いたことは何度もある。それを、強引に実現させはしなかっただろうか。
 もしそんなことをしてしまっていたら、死んで贖わなければならない。いや、無理やりキスした時点で、ロマーリオの罪は確定している。
 もう、ディーノの側にはいられない。
 ロマーリオは緩慢に立ち上がり、シャワーを浴び身支度を整えてから、ディーノの仕事部屋に向かった。合わせる顔もないが、やはりけじめはつけなければならない。
「・・・ボス、入るぜ」
 ロマーリオは断ってから、部屋に入った。
「・・・ロマーリオ」
 ソファに凭れるように座っていたディーノが、ゆっくりと視線を向けてくる。
 いつもの、屈託ない笑顔は、そこにはなかった。
 当然だろう。あからさまな嫌悪を向けられなかっただけでも、ロマーリオは救われた気分だった。
「ボス、話があるんだが・・・」
「・・・・・・」
 ディーノは、ロマーリオから視線を外す。相変わらず、その表情は硬かった。
「・・・座ったら?」
「・・・・・・いや、ここでいい」
 ディーノが顎をしゃくって向かいの席を差したが、ロマーリオは首を振る。いつでも部屋を出ていける、この立ち位置から動くつもりはなかった。
「・・・ボス、オレは」
 そしてロマーリオは、一生言うことはないと思っていた言葉を、静かに口にする。
「・・・ファミリーを、抜ける」
「・・・・・・・・・・・・は?」
 ディーノが、顔を上げて、ポカーンとしたような表情を見せた。ロマーリオがそんなことを言い出すだなんて、思ってもみなかった、そんな表情を。
 ロマーリオは苦笑いをした。あんなことをされておいて、それでもまだ自分の元に置いておくつもりだったのだろうか。この人は、本当に、部下に甘い。
 だが、そのままそんなディーノに甘えることは出来ない。許されないだろう。
「・・・な、なんで・・・」
「それは・・・あんたが一番よくわかってるんじゃないか?」
「・・・・・・」
 ロマーリオの返しに、ディーノは顔を俯け、その表情を僅かに歪めた。それから、ロマーリオを見上げて、迷うように口を開く。
「でも・・・」
 ロマーリオを手放すことに、ディーノはまだ躊躇いを感じているようだ。
 そんなふうに思ってくれることは、とても嬉しい。だからそこロマーリオは、切り捨てるように自らに言い聞かせるように言った。
「とにかく、オレはもうここにはいられない」
 ディーノに引き留められるようなことを言われたら、きっと負けてしまうだろう。ここに、ディーノの側にいたいと思ってしまう、自分の本音に。
「・・・じゃあな、ボス。あんたなら、オレがいなくても立派なボスとしてやっていける。遠くから、見守ってるぜ」
 これでもう二度とディーノに会うことはないだろう。ロマーリオは身を切るような痛みを抑え込みながら、ディーノに背を向け部屋を出ようとした。
「・・・だめだ!!」
 だがそれと同時に届いた鋭い声に、ロマーリオはつい振り返る。
 ディーノが立ち上がり、ロマーリオを真っ直ぐ見つめていた。
「・・・ボス?」
「だめだ、行かせねえ! ファミリーを抜けるのは許さない!!」
 迷いのない、強い口調。
 そんなふうにディーノが自分を引き留めようとしている。ロマーリオは何故と不思議に思うより、嬉しく思ってしまうより、まず懐かしいと思った。
 駄々を捏ねたり我が儘を言ったり、昔のディーノはしばしばロマーリオを困らせてくれた。
 今もディーノは、ずっと側にいたロマーリオがいなくなるのが嫌だという、きっと子供じみた理由で引き留めようとしているのだろう。
 そんなディーノの気持ちを、利用することは出来ない。
「ボス、悪いが、オレはもう決めたんだ」
「・・・オレが行くなって言っても、それでも聞けないのか? 自分の決意のほうが大事だってのか!?」
「・・・・・・悪い」
 ロマーリオは今度こそ扉を出ようとした。
 だが、そのとき、背後で聞き覚えのある音が聞こえる。
 かちゃりと、金属の鳴る音。それは、銃の弾丸が装填される音。
 ロマーリオが振り返ると、ディーノの構える銃が、ロマーリオに真っ直ぐ向けられていた。
「許さないって、言っただろ」
 どんな種類のものなのか、激しい感情を宿したディーノの瞳が、ロマーリオを射抜く。
 殺されたくなければ、ここに留まれということなのだろう。それとも、最悪の形で自分を裏切った部下を、生かしておけないだけなのかもしれない。
「・・・・・・ボス」
 ロマーリオは、開きかけていた扉を再び閉じた。そして、ディーノに正面から向き直る。
 ディーノに殺される、それもいいだろうと思った。どの道、ディーノの下を去ったロマーリオには、何も残らないのだから。
 ロマーリオの全てはディーノの為だけにあり、ならば全てがディーノの手によって終わるのだとしたら、それはこれ以上ない幸福なことなのかもしれない。もうディーノの側にはいられない、今のロマーリオにとっては。
 だからロマーリオは、静かに待った。ディーノの指が引き金を引き、その弾丸が自らを撃ち抜く瞬間を。
 ロマーリオを捉えた銃口が、しかしゆっくりとその標的を変えた。ディーノが自分のこめかみへと、銃口を移動させたのだ。
「・・・・・・ボス、何を」
「どうした、ロマーリオ。出てくんだろ?」
 一瞬目の前の光景が信じられず、呆けたロマーリオに、ディーノは自らに銃口を向けたまま次第に語気を荒げながら言う。
「だったら、行けばいいだろ。決意が固いんだったら、オレが死のうがどうなろうが、構わず行けよ・・・っ!!」
「・・・ボス・・・っ」
 感情を昂らせたディーノが、何を契機に引き金を引いてしまうか、ロマーリオは気が気ではなかった。銃を取り上げたいが、近付けばディーノを刺激するかもしれないと思うと動けない。
「ボス、やめてくれ・・・」
「うるさい! 早く行けって、言ってんだろ!!」
 行けと言いながら、ディーノは全身で、行くなとロマーリオを引き留めようとしているように見えた。自分の命を懸けてまで。
 ディーノがそこまでする価値など、自分には少しもないというのに。
「ボス・・・」
 ロマーリオは戸惑いや、苛立ちのような感情や、それから嬉しく思ってしまう気持を、押さえ付けた。冷静になり、ただ銃口をディーノから離す方法だけを考える。
「ボス、やめてくれ、そんなことをしたってオレは・・・」
「だから、好きにしろって言ってんだ・・・っ!?」
 ディーノがロマーリオを睨み付けて言った、ディーノの意識が銃から少し逸れた瞬間を、ロマーリオは逃さなかった。
 素早く懐に手を入れ、銃を抜くと同時に撃つ。飛び出した弾丸は、狙いを外さず、ディーノの手から拳銃を弾き飛ばした。
 銃の扱いに関しては、ディーノよりもロマーリオのほうが長けている。それでも賭けに近かったが、どうにかディーノに傷を付けずに済んだ。
 しかしまだロマーリオに安堵の感情をは浮かばず、弾かれた銃を目で探すディーノに駆け寄る。その勢いのまま、ロマーリオは平手でディーノの頬を打った。
「馬鹿野郎! ファミリーのボスが、こんなことで命を晒してどうする!!」
 ディーノの肩を掴み、体を揺すりながらロマーリオは激情に任せて叱咤する。何よりも大事に守ってきたディーノの命を、たとえ本人によってでも損なわせるなどあってはならなかった。
 痛みを与えるほどに強く掴んだディーノの肩から、しかしロマーリオは一呼吸置いて手を離す。
「・・・すまねえ。あんたの下を去ろうとしているオレに、こんなこと言う資格はねえな」
「・・・・・・だよ」
 自嘲するように小さく笑ったロマーリオを、少しの間その剣幕に圧されたようになっていたディーノが、不意にキッと見上げてきた。その瞳には、僅かに涙が浮かんでいる。
「そうだよ、おまえが悪いんじゃねーか・・・!」
 ロマーリオの胸元に拳をドンドンと叩き付けながら、ディーノは悲痛ですらある叫びを聞かせた。
「オレを捨てて出てこうとしてるくせに・・・オレより大事な女がいるくせに・・・! オレがとめたって出てくくせに、都合いいこと言ってんじゃねえよ・・・!!」
「・・・ボス」
 強い感情を込めながら、ディーノはロマーリオの胸を叩き続ける。その様子は駄々を捏ねる、ともちょっと違う気がしてロマーリオは困惑した。
 ディーノの腕を取り押さえ一先ず落ち着かせようとしながら、ロマーリオはふと、気付いて眉を寄せる。
「・・・・・・ボス、女、ってのはなんのことだ?」
「今さらシラ切るんじゃねえよ。はっきり言えばいいだろ!? その女を選んだって・・・オレよりも・・・!!」
「・・・だからボス、その女ってのは、誰のことなんだ?」
 突然ディーノの言っていることが飛んでしまったように思えて、ロマーリオは首を傾げる。
「・・・・・・・・・だ、だって、おまえ、好きなやついんだろ? だから、そいつの為にマフィアやめようって思ったんだろ?」
「オレにはそんな女、いねえが・・・」
 ロマーリオは益々首を傾げた。どうしてディーノがそんな思い違いをしているのかわからない。
 昨夜のことが原因で、ロマーリオはディーノの下を去ろうとしている。ディーノはそう捉えていたのではないのだろうか。
 ロマーリオのハッキリした答えに、ディーノは思ってもない答えを聞いたというふうに、目をパチパチとさせる。
 戸惑うように寄せられたディーノの眉が、しかしすぐに吊り上がった。自分の腕を拘束しているロマーリオの手を振りほどきながら、僅かに言いにくそうに、それでも詰るように問いをぶつけてくる。
「じゃあ・・・昨夜のはなんだったんだ? 誰とオレを間違ったんだよ!!」
「ボス・・・」
 ロマーリオはやっと、ディーノがどんなふうに何故思い違いをしているのかを察した。昨夜のロマーリオは、酔った挙句にディーノを恋人だと勘違いしてキスをした、と思ったのだろう。そして、その女の為に、マフィアをやめようとしているのだ、と。
 そういうことにしておけばよかっただろうかと、ロマーリオは今さら少し思ったが。同時に、正直に告げたいとも思った。自分のありのままの思いを、どうせもう会うこともないのなら、最後に。
「・・・すまねえ、ボス。誰と間違ったんでもねえ。オレは・・・あんたに、キスしたかったんだ」
「・・・・・・は?」
 目を見開くディーノに、これで嫌われれば離れられる、そう思いながらロマーリオは続けた。
「オレは、あんたにキスしたい触れたい抱きたい、そう思ってる。だから、昨夜あんたを襲った。誰かと間違えたんじゃねえ、ボス、あんたを・・・」
「・・・・・・そ、そんな出まかせ言うな! そんな嘘ついてまで、オレから離れてーのか!?」
「ボス・・・」
 信じられないと不信を露わに首を振るディーノに、心の中で謝りながら、ロマーリオは口付けた。頭を押さえ、抱き寄せて、強く。
 ディーノはその気になれば振り払えるだろうに、驚きでか動きをピタリととめた。
 それをいいことに、これが最後だという名残惜しさもあって、ロマーリオはしっかりとディーノの唇を味わう。悔いのないように、思いの丈を込めて。
「・・・・・・そういうわけなんだ、ボス」
 そしてロマーリオは、やっと離れた。自分の心の内をすべて晒して、妙な清々しさすら覚えていた。ディーノにとっては迷惑な話だろうが。
「な、オレはもうあんたの側には、いられねーんだよ」
 最後までいい部下でいてやることが出来なくて、済まなかった。ロマーリオは小さく笑って、まだ固まったままのディーノの頭をポンポンと叩いてから、今度こそこれで最後だとディーノに背を向ける。
 そのまま扉のほうへ歩いていこうとしたロマーリオは、しかし足をとめた。左肩をがしっと、ディーノに掴まれたのだ。
「・・・ボス?」
 つい振り返ったロマーリオは、ディーノの力強い瞳と視線が合い、そして次の瞬間。ロマーリオの左の頬を、ディーノの拳がまともに捉えた。
 不意打ちにロマーリオの脚はふらつき、その衝撃で眼鏡はどこかに飛ぶ。
「・・・ぼ、ボス・・・?」
「オレの話、ちゃんと聞いてんのかよ!」
 唖然としたのち、キスされた仕返しだろうかと、それならば当然の権利だと思ったロマーリオに、ディーノはロマーリオが思いもしないことを言った。
「行かせねえ、オレから離れるのは許さねえって、言っただろ・・・!」
 ロマーリオの両腕をしっかり掴み、どこにも行かせないと。ロマーリオの気持ちがわかっただろうに、それなのにディーノはまだ、最初と変わらず引き留めようとしている。
 ロマーリオにはわからなかった。何故こんなにも、ディーノが必死に自分などを繋ぎとめようとしているのか。
「・・・ボスこそ、オレの話聞いてたのか?」
「聞いてたよ、だから・・・・・・っ!」
 理解出来ないと表情でも語るロマーリオを、ディーノは苛立ったように見た。それから、言葉では伝わらないと思ったのか、行動に出る。
 ロマーリオに真っ直ぐ腕を伸ばし、しがみ付くようにして、キスをしてきたのだ。
「・・・ボス!!」
 ロマーリオはとっさに、ディーノを振り解いた。自分なんかを引き留める為に、こんなふうに媚びるような真似などして欲しくない。
「ボス、自分が何やってるのか、わかってんのか!?」
「わかんねーほど、子供じゃねえよ!!」
 厳しい口調でロマーリオが言うと、同じくらい強い口調で、ディーノが言い返してきた。その瞳には迷いなどなく、真っ直ぐロマーリオを見つめている。
「ボス・・・?」
 それでは一体、ディーノはどういうつもりでキスしてきたというのか。可能性を、ロマーリオは必死で打ち消そうとした。
 だがディーノは、そんなロマーリオに構わず、正直に自分の思いを吐露し始める。
「オレも昨日までは全然気付いてなかったんだけど・・・昨夜、おまえにキスされたとき・・・なんか嬉しくて、気持ちよくて・・・」
 ディーノは少し目を伏せて言ってから、今度は切なげに眉を寄せた。その表情は、子供じみたものでは決してない。
「でも、誰か別のやつと間違えてるんだろうって思ったら、悲しくて・・・おまえに好きな女がいるんだって思ったら、悔しくて・・・それがおまえの幸せなんだろうが、絶対行かせるもんかって、おまえのこと誰にもやらない、おまえはオレのもんだって・・・!!」
「・・・ボス」
 ただの我が儘のようで、だがそれは、熱烈な告白に他ならなかった。
 ロマーリオは迷う。今ならまだ間に合う、5千の部下を抱えるキャバッローネのボスであるディーノに、そんなことを言わせてはならない。
 だがロマーリオは、自分が誰よりもその続きを聞きたがっていることも、自覚していた。
 躊躇と期待、葛藤するロマーリオに構わず、ディーノは自らの思いを伝えようとする。
「オレ・・・ロマーリオ、おまえが・・・」
 ディーノはロマーリオへと腕を伸ばし、首に縋り付くようにしながら、唇を重ねてきた。
 振り払わなければならない、そうしなければならないのに。結局ロマーリオは、ディーノをとめるどんな言葉も行動も、選べなかった。
 ディーノはロマーリオを至近距離から見据え、迷いのない口調で言い切る。
「好きだ・・・オレはおまえのこと、好きだ」
「・・・・・・」
 そしてディーノは再び、ロマーリオに口付けてきた。強く唇を押し付けられ体をぴたりと寄せられ、そんなふうにされてそれでも突き放すことなど、ロマーリオに出来るはずない。
 逆らえない衝動に任せて、ロマーリオはディーノを抱き返した。
 ぎゅっと抱きすくめ、腕の中の誰よりも愛おしい存在に、自分からもキスし返す。指通りのいい髪に思う存分触れながら、ロマーリオはもう二度とディーノから離れることは出来ないだろうと思った。
「・・・諦めろよ、ロマーリオ」
 するとディーノが、ロマーリオのそんな思いも知らず、言い放つ。
「オレは、おまえを離すつもりはない。誰にもやんねえ。覚悟しとけ」
「ボス・・・」
 不遜な顔でディーノがいとも簡単に言ってのけるので、ロマーリオはつい苦笑した。
「・・・オレは、とんでもない相手を好きになっちまったみたいだな」
 ロマーリオがどうしていようが、ディーノはきっとロマーリオを手に入れただろう。ロマーリオがどれだけ悩もうが足掻こうが、お構いなしに。自らに銃を突き付けたのだって、死ぬつもりなんて勿論なくて、そうすればロマーリオを引き留められると、わかっていたから。
 傲慢な執着。今まで知らなかった、ディーノの一面を目の当たりにして、しかしそれすらももうディーノに惹かれる一因にしかならない。
 そんな自分に呆れるように肩を竦めてから、ロマーリオは愛すべきボスに、もう一度キスをした。


「・・・・・・ところで、ボス」
 飛んでいった眼鏡を拾い、ガラスにひびが入っていないか確かめながら、ロマーリオはゆっくり口を開いた。こちらも飛んでいった銃を拾っていたディーノが、ロマーリオのほうを向いて首を捻る。
「なんだ?」
「・・・・・・・・・」
 気は進まないが、しかしやはり確認しておかなければならないだろう。ロマーリオは眼鏡を掛け、出来れば逸らしたい視線をどうにかディーノに固定しつつ、問い掛けた。
「オレは昨夜・・・どこまでやったんだ?」
 いくらディーノも自分を好きと思ってくれているとはいえ、酔っ払った挙句にもし無理やり抱いていようものなら、土下座では済まない。
 深刻な顔つきで返事を待つロマーリオに、ディーノは目の前までやってきて、真顔で答えた。
「最後まで」
「・・・!!」
 一気に顔を青くさせたロマーリオに、しかしディーノは今度はにこりと笑い掛ける。
「なーんてな。酔った勢いでやられたら、さすがに今日は起き上がれなかったんじゃねーか?」
 自分の腰辺りをパシパシ叩いてから、ディーノはその手でロマーリオの口元をつついた。
「キスするだけして、寝ちまったんだよ、おまえ」
「・・・・・・・・・」
 悪戯っ子のような表情をしているディーノに、揶揄うなと言葉を返すことも、ロマーリオは出来ない。
 安堵感と、そして脱力感に襲われたロマーリオは、そのままその場にがくりとへたり込んだ。
「・・・おい、ロマーリオー?」
 そんなロマーリオを覗き込みつつ、ディーノは呑気な声を掛けてくる。ロマーリオは思い切りずれた眼鏡を直しながら、見上げた。
「・・・・・・ボス、オレの寿命を縮める気か?」
「ん、そりゃー・・・」
 ディーノは中腰の体勢に疲れたらしく、すぐうしろのテーブルを椅子代わりにして、それから改めてロマーリオをもう一度覗き込んだ。おかげでロマーリオは、体を起こすことが出来ず、そのままの体勢でディーノの言葉を聞く。
「勿論、勝手に死ぬことも、オレは許さねえからな」
 相変わらず曇りのない笑顔で、ディーノは告げた。そうなればもはやロマーリオには、はいと答えるより他ない。
 その返事に満足そうに笑ったディーノは、ロマーリオにゆっくり腕を伸ばしてきた。
「それより、ロマーリオ」
 そして頬にディーノの手が添えられるので、ロマーリオは再び立つ機を失う。跪くような格好でディーノを見上げた。
「昨夜の続き、だけどな」
 その視線の先で、ディーノが微笑みながらそう言うものだから、ロマーリオはつい期待に胸を高鳴らせるが。
 その期待が表情にあまりにも表れていたのか、ディーノが小さく噴き出しながら、ロマーリオの鼻をぎゅむっとつまんだ。
「勝手に出て行こうとした罰として、当分おあずけ、な!」
「・・・・・・!」
 ロマーリオは思わず目を見張り、それからつい不満をもらしてしまう。
「ボス、そりゃないぜ・・・」
 妙に情けない響きのその呟きに、ディーノは可笑しそうに笑ってから、つまんでいた鼻を解放した。それから、今度はロマーリオの僅かに血が滲んでいる口元に触れる。
「殴って、悪かったな」
「・・・・・・いや」
 そもそも先に手を出したのは自分のほうだし、何より自分は部下なのだから、ロマーリオに文句はない。それに何故このタイミングで、謝ってきたのかもよくわからなかった。
「それは構わねえが・・・」
 つい首を傾げそうになったロマーリオの頭を、ディーノが伸ばしてきた腕で抱え込み、胸元に引き寄せて力強く拘束する。
「・・・次、オレから離れようとしたら・・・今度こそ、死んでやるからな」
 頭の上すぐから聞こえてきたその声は、さっきまでの軽い口調とは異なるものだ。
 それは、脅しのようであり懇願のようでもあり、ロマーリオにとっては何よりも、愛の囁きだった。
「・・・・・・ああ」
 ディーノの自分に対する執着は、ロマーリオに堪らない幸福感を与える。
「オレは、もうずっと・・・一生あんたから離れねえ」
 離れない。離れ、られない。もう二度と。
 ロマーリオは迷わずに言って、目の前に見える蒼い刺青に、熱っぽく口付けた。




 END
銃声を聞いて慌てて駆け付けた部下たちが、すべてを見ていた・・・とか、あり得そうです・・・。
相手がロマーリオなら仕方ねえ・・・けど・・・くっ!!とか、多くの部下が涙をのむわけです。

ところで当初は、このあとディーノが「おあずけ令」をいつ解除したものか悩む、とかそういう方向性になるはずだったんですが。
このディーノは、「おあずけ、解いて欲しいか?」とか言いつつ、嬉々としてロマーリオを翻弄しそうなかんじになってしまったような・・・!