ただそこにある事実



 セント・バレンタインデー。この日、雲雀恭弥の下駄箱も教室の机も、バレンタインチョコで一杯になる。さらに雲雀の棲み家である応接室も、中に入る勇気はないのだろう、ドアの前にチョコの山が築かれる。
 雲雀は並中で鬼の風紀委員長として名を馳せているが、その端正な顔立ちに憧れ思いを寄せる女性も実は結構いるのだ。
 だが、凶暴な雲雀に面と向かってアプローチ出来る猛者などいるはずもない。おかげでバレンタインは、雲雀にそっと思いを届ける数少ないチャンスになるのだ。
 そんなわけでここぞとばかりに溢れるバレンタインチョコたちを、雲雀は溜め息つきつつも全て回収していた。下らないとか撥ね付けそうな雲雀だが、放置すると学校が汚れるから、ちゃんと片付けているだけなのだ。
 ちなみに持って帰ったチョコは、一応ちゃんと食べている。ある意味、雲雀の得意とする咬み殺すに、相違ない。
 というわけで雲雀は、応接室の前にどっさり置かれたチョコを抱え上げて扉を開けた。
 そこで雲雀は、少し目を見開いてしまう。全く予想していなかった人物が、そこにいたのだ。
「よお、久しぶりだな!」
 相変わらず陽気で能天気そうな挨拶で雲雀を出迎えたのは、いつのまにか応接室の空気にすっかり馴染んでいるディーノだ。
 その姿を確認した途端に、雲雀をある感覚が襲う。それは獲物を目の前にしたときと似て、しかしそんな物騒さを持ち合わせない全く違うものだった。
 だが雲雀は、そんな自分の感覚を無視する。
「何が久し振りなの。10日前に来たばかりじゃない。本当に、マフィアって暇そうで、羨ましいね」
 そう、2月4日、ディーノは雲雀の元にやって来ていた。自分の誕生日が今日だ、と教える為に。
 そのことを知ってはいたが、なんの連絡もなかったから来ると思っていなかった雲雀は、実は内心驚いたものだ。
 そして、それから10日後の今日、それこそ来るだなんて思ってもいなかった。
 驚きを、しかしそんな言葉にしか出来ない雲雀に対して、ディーノは素直だ。
「暇、ってわけでもねーんだけど。会いたくなったんだから、仕方ねーだろ?」
 あっさりと、満面の笑みで言ってのける。そんなディーノを羨ましいだなんてちっとも思っていないのに、何か負けたような心境になるのは何故だろう、雲雀にはわからなかった。
「あ、手が疲れんだろ。これに入れんのか?」
 ディーノはそんな雲雀の気も知らず、マイペースにテーブルに置いていある草壁が用意していた紙袋を差し出してくる。
 雲雀はやや憮然としながらも、遠慮なくその中にチョコを投入した。ずしっと重たくなった紙袋をそーっとテーブルに置きながら、ディーノは感心したように言う。
「いやー、おまえって意外とモテるんだなー」
「・・・・・・」
 雲雀はディーノの呟きは無視して、ソファに腰掛けた。するとディーノも、当然のように隣に座ってくる。
 群れるのが嫌いな雲雀は、二人掛けのソファであっても、誰かと同席するなど考えられなかった。だが何故だろう、実際のところは雲雀はディーノが隣に座ることを許している。ディーノが遠慮ない性格とはいえ、嫌なら雲雀は躊躇なく咬み殺すというのに。
 ならば何故、それは簡単な話だった。別に、嫌ではないからだ。
「あ、怒ってるか? 意外、とか言って」
 ディーノはさらに遠慮なく、雲雀のほうへ体を傾けてきて、顔を覗き込んでくる。
 それも、トンファーを取り出すほど不快では、ないのだ。
「だってなあ、おまえ愛想ないじゃん。イタリアじゃ、いくら顔がよくても、それじゃモテねーぞ?」
 などと勝手なことを言っているディーノを、雲雀は見つめた。
 正直言って、ちっともわからない。この男ときたら、馬鹿みたいに陽気で何も考えていなさそうで、それなのに雲雀と互角、いや癪だがそれ以上に強い。なのに部下がいないから、なんて嘘みたいな理由で、目も当てられないドジを踏んだり、年下の自分に簡単にしてやられたりする。
 弱いのか強いのかわからない、それでも雲雀の前に立つ以上、雲雀にとっては咬み殺す相手でしかないはずなのに。
 それなのに何故、この男が側にいることが、嫌ではないのか。心地よくすらあるのか。
 自分より強い奴だろうが弱い奴だろうが、目の前で群れれば咬み殺す。雲雀にとって、人間はそれで全て片が付いたのだ。それ以外は、なかったのだ。
 だが雲雀は、自覚せざるを得なかった。この男が自分にとって、特別、なのだと。
「・・・恭弥、どうしたんだ?」
 無言で見つめてくる雲雀を、ディーノは不思議そうに、眉を寄せて見返してくる。
 そんなふうに、気安く下の名で呼ばせているのも、ディーノしかいない。何故それを許しているのか、それは雲雀にはわからない。ただ、そうであるという事実が、そこにあるだけだった。
「・・・で」
 だからいつものように、雲雀はそこには触れずにおく。
「何しに来たの、わざわざ」
「おう、そうだ」
 ディーノは思い出したように、ジャケットのポケットを探りだした。そして、手の平にピッタリ乗るサイズの小さな箱を取り出す。
「ジャッポーネでは、バレンタインってのは愛する人にチョコを贈る日だって、聞いてな。だから、おまえにやるよ!」
 ディーノが雲雀に差し出したそれは、中学生が贈るものと比べれば格段に高価そうな、だが同じくバレンタインチョコに分類されるものだった。
 ディーノが誰にそう聞いたかは知らないが、どうしてそのまま恥ずかしげもなく実行出来るのか、雲雀にはよくわからない。
「・・・普通、男が男になんて、贈らないよ」
 取り敢えず、間違った知識を教えられているようなので訂正してみると、ディーノはあっさりと答えた。
「あぁ、普通は女性が男に贈るものなんだろ? でも、まあいいじゃねーか、細かい点は。重要なのは、愛する人に贈る、ってとこだろ?」
「・・・・・・」
 臆面もなく、言ってのける。
 雲雀にこんなふうに直接的な愛情表現をしてくる人なんて、今までいなかった。イタリア人の国民性ゆえか、それともディーノの性格の問題なのか。雲雀をおそれず躊躇いもせず、好意を言葉でも態度でもいつでも伝えてくる。
 だから心を動かされた、というわけでは、しかしなかった。初めて会ったとき、先に惹かれたのは、多分雲雀のほうだったのだから。
「・・・それを渡しに、わざわざ日本に?」
「ああ。いい口実にもなるしな」
「10日も前に来たばかりなのに?」
「何日振りだろうが、会いたいものは会いたいさ」
「・・・・・・・・・」
 そういえば、ディーノが何故自分にこんなふうにこだわっているのかも、雲雀にはわからなかった。
 だが、ディーノが自分を特別に思っていることは、紛れもない事実で。それを自分が悪からず思っていることも、厳然たる事実で。
 雲雀にはわからないことだらけで、たまにどうしていいかわからなくなる。
「・・・なんだよ、受けとってくんねーのか?」
 すると、一向に動かない雲雀に焦れたように、拗ねたようにディーノが口をへの字にする。だから雲雀は、つい手を伸ばしてしまってから、付け足しのように言う。
「・・・仕方ないね」
 途端にディーノは、嬉しそうに笑った。
「あんまり甘いのはダメかと思って、ちょっと大人向けのやつにしたんだぜ」
 とか、ウキウキと語るその様子は、早く開けろと言っているように見えて。特に逆らうことでもないように思えて、雲雀はイタリア語らしき文字が躍る包装紙を解いていった。
 現れたのは、シンプルでいて品のよさが感じられる、小さな立方体の六つのチョコレート。雲雀がちらりと視線を向ければ、ディーノは早く食え、と言いたげな視線を送ってきている。
 一体何を期待してるのか、それに応えられる自信の全くない雲雀は、それでも一つを手に取り口へ運んだ。
「どうだ?」
 すぐさま聞いてくるディーノに、雲雀はすぐには答えず、チョコレートがあっというまに溶けて消えてしまった口内へ、もう一つ放り込む。
「・・・・・・別に」
「別に、ってなんだよ。結構高価なチョコなんだぜ? それに」
「愛情が、なんて言うんでしょ?」
「わかってんじゃねーか!!」
 だから、美味いだろ? そう、見つめる瞳が問い掛けてくる。
 雲雀は何も答えず、もう一つ口に放り込んだ。ディーノの期待する視線を無視しながら、また一つ。
 高価だろうが愛情が篭っていようが、チョコはチョコ、そんなに変わり映えしない。チョコレートに特にこだわりもない雲雀が食べるのだからなおさら。
「・・・恭弥ぁ?」
 無表情で食べていく雲雀を、ディーノは不満そうに見てくる。美味しい、たったその一言を待っているのだろう。
 だが、雲雀にとっては別になんということもない味。ただの、チョコレート。
 それなのに、もう4つも食べてしまったのは何故なのだろう。
 雲雀はつい次の一つへ伸びた手を、しかし今度はディーノのほうに向けた。
「そんなに気になるなら、自分で試してみればいいじゃない」
 放り投げようかと思ったが、そんなことをしたらディーノは確実に落としてしまうだろう。それは勿体ない、気がする。
 雲雀がディーノの口元までチョコを持っていくと、ディーノは反射的にか、口を開けて雲雀の手からチョコを食べた。
「・・・・・・うん、美味い!」
 舐め回して味わい、ごくりと喉を鳴らして、ディーノは満足そうに頷く。
「・・・・・・じゃなくって! オレの感想はどうでもいいっての!」
 一瞬遅れで気付いたらしいディーノは、雲雀のほうに身を乗り出してきた。
「なんか一言でも、ねーのかよ?」
 雲雀の顔を間近で覗き込み、口を突き出して雲雀の一言をねだってくる。
 こんなに近くにある顔を見て、トンファーをめり込ませることではなく、違うことをしようと思うなんて。不思議に思いながらも、雲雀は衝動のままに行動した。
 目の前のディーノの唇に、口付ける。
 ディーノは一瞬目を見開いてから、すぐにおとなしく・・・というよりは積極的に、雲雀の唇を受け入れた。お互い食べたばかりの、少しビターなチョコの味。
 ソファについている雲雀の手に、ディーノの手が重なってくる。自分より一回りは大きいその手を振り解く、なんて行動は雲雀には思い付かなかった。
 チョコよりもよっぽどしっかり味わってから離れると、ディーノがはぁと満足そうに溜め息をつく。
「・・・・・・いや、だから、」
 それからハッとしたように、しつこく感想を求めてこようとするから、雲雀は仕方なく口を開いた。
「・・・まあ、悪くないんじゃない?」
 何よりそれは、早くも空になってしまったこの容器が証明しているだろう。最後の一つは、つい今しがた、雲雀の口内へと消えたところだ。
 手放しで褒めるような感想じゃないのに、ディーノにとってはそれで充分だったようで、すぐに満面の笑みになる。
「そっか!」
 あー、来てよかった。なんて呟くディーノは、本当に嬉しそうで。ニコニコと笑いながら、雲雀のほうへ体を寄せてきた。まるで人懐っこい犬のように、雲雀の肩に頭を乗せてきたり、頬へ頬を摺り寄せてきたりする。
 こんなこと、雲雀にしようと思う人なんて他にいないだろう。こんなこと、他の誰にされても、雲雀は咬み殺すだろう。
 なのにこの状況が成立しているのは何故なのか、答えはわからなくても、雲雀はやはり悪い気はしなかった。
「・・・それで、今回はいつ、帰るの?」
 呑気にくっついてくるディーノに、雲雀はつい確認する。マフィアのボスなんてものを張っているディーノは、こう見えて結構忙しいらしく、雲雀のところにやって来ても慌ただしく帰って行ってしまうことが多いのだ。
 だから尋ねたのだが、そういえばいつも自分がこの問いをしていると、雲雀は気付いた。あとどれくらい一緒にいられるのか、と確かめるように。
「今は別に立てこんでねーから、明日まではいられるぜ?」
 心配すんな!と言いたげなディーノの答えに、興味ない振りをして雲雀は、纏わりついてくるディーノを振り払うように立ち上がった。
「・・・え、おい、恭弥・・・?」
 そのまま扉のほうへ向かう雲雀の背を、ディーノの戸惑ったような声が追い掛ける。振り返れば、ディーノはどうするか迷うようにまだソファに座ったままだった。
 迷ったり躊躇ったり考えたりせず、あとを追ってくればいいのに、雲雀はそう思う。
「・・・ついてくるつもりなら、ついでにそれ、運んでよね」
 ドアを開けながらテーブルの上の紙袋を指せば、ディーノはすぐに立ち上がった。
「任せとけ!!」
 紙袋を大事そうに両手で抱え、急いで雲雀のほうへ駆け寄ろうとしたディーノは、しかし何もないところで思いっ切り躓く。
 自分のほうへ倒れ込んでくるディーノを、雲雀はとっさに腕を広げて受け止めた。ぶつかった衝撃で、二人の間でパキリと、チョコの割れる音がした気がするが、雲雀の知ったことではない。
「・・・相変わらず、世話の焼ける人だね」
「悪ぃ悪ぃ」
 ディーノは悪びれた様子もなく、しかし多少決まりが悪そうに笑ってみせた。そんなディーノの腕から、紙袋を取り上げる。
「あなたには任せられないね」
 手ぶらで平坦な道を歩いていても転ぶこの男に、持たせようと思ったのが間違いだった。別に、チョコが一枚や二枚粉々になろうと、そんなこと構いやしないが。
 転びそうになるたびに手を貸してやるのは、面倒だ。だったら放っておけばいいのだが、体が勝手に動くのだから仕方ない。
 紙袋を抱えて歩きだした雲雀に、ついてくるディーノは若干不満顔だ。
「別に、さっきはちょっと足が滑っただけで、それくらいの荷物楽勝だっての」
 ぶつぶつ言っているが、全く説得力がない。無視して歩く雲雀の隣で、ディーノが今度は何やら笑顔になった。どうやら、紙袋を奪われたことを、前向きに解釈したらしい。
「あ、これってもしかして、あれか。さりげない優しさってやつ? だからモテんのかもな!」
「・・・・・・・・・」
 こんなこと、他の誰にだってしてやったことないし、するつもりもない。だからディーノの解釈は、後半は間違っている。
 前半に関しては、雲雀は別に優しくしてやったつもりはないが、ディーノがそう感じたのなら、それでいいだろう。わざわざ否定することもない。
「さりげなく荷物を持ってやる恭弥に、女の子もメロメロ、てか?」
 揶揄うように言ってくるディーノに、雲雀はなんとなく問い掛けてみた。
「・・・・・・あなたはどうなの?」
「オレ?」
 ディーノは自分を指さし首を傾げてから、その手で雲雀の背中をバシバシ叩いてくる。
「んなこと、わざわざ聞くなよ!」
「・・・・・・」
 思わず睨んだ雲雀を、ディーノは笑顔を浮かべて覗き込んできた。そして、耳元に囁き掛けてくる。
「オレはいつでも、おまえにメロメロだぜ?」
 無駄に艶っぽい声で言って、頬に音を立ててキスまでしてくるこの男は、ここが学校の廊下だということをすっかり忘れているのではないか。
「校内の風紀が乱れるからやめて」
 雲雀はディーノを振り切るように足を速めたが、ディーノは気を害した様子もなくついてくる。
「それって今さらじゃね? さっきの部屋でならいーわけ?」
「・・・・・・・・・」
 ディーノの問い掛けは無視して、雲雀はずっしり重い紙袋をディーノに押し付けた。ディーノは慌ててしっかり抱えながらも、首を捻る。
「なんだ? さりげない優しさはどうなったんだ?」
「・・・・・・そんなの別に、必要ないんでしょ?」
 ディーノの言い分を鵜呑みにするのなら、優しくしようがしまいが、ディーノはいつでも雲雀にメロメロ、らしいのだから。
 再び歩き出した雲雀を、ディーノは笑顔で追い掛けてきて、隣に並ぶ。
「オレとおまえの仲だもんな!」
 弾んだ声色で言ったディーノの、その足取りは、早くもどこか危なっかしい。だが雲雀は気にしなかった。
 また躓いたら、また受け止めてやればいい。それだけのことなのだから。




 END
雲雀って「恋愛感情」を理解出来なさそうだなぁと思いまして。
でも、自分がディーノを 他の誰とも違う大事な存在 そう思ってることは確かで。
何故だろうと不思議に思いつつも、そうなんだから仕方ないか、と半ば悟っている雲雀です。
一方ディーノは、何も考えずに雲雀に夢中です(笑)