風邪と恋の処方箋



 ツナたちと雪合戦をした次の日、フゥ太は見事に風邪を引いてしまった。
 雪の中で遊びまわったのは初めてで、体がついていかなかったのだろう。しかし、フゥ太は後悔なんてしていなかった。
 あんなふうに大勢で遊ぶなんて、初めてのことで。とてもとても、楽しかったのだ。
 それに、風邪を引いてしまったフゥ太は、奈々の手厚い看護を受けることになった。勿論熱があって苦しいのだが、それでもフゥ太は嬉しく思ってしまう。
 家族のぬくもりや、人のあたたかさ。ランボなどはちょっと騒がしくてうるさいが、それでも風邪を引いているときに感じる人の気配は、こんなにも安心出来るのだと知った。
 というわけでフゥ太は、沢田家の一室に布団を引いてもらって、おとなしく休んでいたのだ。
 そんなとき、部屋のふすまがそーっと開いた。
「・・・ママン?」
 フゥ太が視線を向けると、しかしそこに奈々の姿はない。
「よう、大丈夫か?」
「・・・ディーノ兄!」
 予想外の来客に、フゥ太は思わず体をガバッと起こした。しかし、頭がくらりとして即座に布団に逆戻りしてしまう。
「おい、おとなしくしてろよ!」
 ディーノは慌ててフゥ太の枕元にしゃがみ込み、落ちた濡れタオルをフゥ太の額に戻してくれた。
 体が少し熱くなってしまった気がするが、それは急に動いたせいではない気がする。熱っぽい頭ではよくわからないが。
 フゥ太は心配そうに自分を覗き込むディーノを見上げ、心配いらないというふうに笑い掛けてから、疑問を口にした。
「・・・ディーノ兄、一人で来たの?」
 ディーノといえば、いつも部下をたくさん連れている、というイメージがフゥ太にはあったのだ。
「いや。あいつらには表で待ってもらってる。大勢でつめかけられても、むさ苦しいだけだろ?」
 表を指しながらそう言って、ディーノは思い出したように、あ、と言う。
「そういえば、ママンは買い物に行ったぜ。留守任されたしな、その間オレが責任もって看病してやるよ!」
「・・・ディーノ兄、なんだか嬉しそう」
 満面の笑みで言うディーノに、フゥ太もつい笑った。だが反対に、ディーノはその笑顔を引っ込めて、しゅんとしたように肩を落とす。
「フゥ太が風邪で苦しんでるときに、悪かったな」
「ううん! 僕も、ディーノ兄に看病してもらえるの、嬉しいよ!」
 慌ててフゥ太が言うと、ディーノはまた笑顔に戻ってくれた。やっぱりディーノ兄には笑顔が似合う、フゥ太はそう思う。
「そっか。オレさ、こうやって看病とかするの初めてだからさ、なんかちょっとワクワクするっていうかな!」
 言葉通りディーノは非常にウキウキした様子だ。
「ああ、ディーノ兄の部下は、ボスを大事にする部下ランキングでいつも上位だもんね」
 多分、ディーノの周りで風邪を引いた人が出ると、部下たちは全力で病人からディーノを引き剥がすのだろう。
 きっと、フゥ太のところに来るのだって、反対されたに違いない。それなのに来てくれて、フゥ太は嬉しかった。
「はは、あいつら過保護だからな」
 ディーノはちょっと恥ずかしそうに頭をかく。しかしフゥ太は、ディーノの部下の気持ちがよくわかった。
「それは、ディーノ兄がボスとして魅力的だからだね」
「おいおい、おだてたって何も出ないぜ?」
 照れ隠しのようにフゥ太をつついてこようとして、ディーノはフゥ太が病人だと思いだしてハッと手をとめる。そんな仕草も、なんかいいなぁ、フゥ太はそう漠然と思った。
「おっ、そうだそうだ。何も出ないってのは嘘な!」
 ディーノはふと思い出したように、部屋を出て行ってまたすぐ帰ってくる。その腕には、籠入りの果物が。
「これ、お見舞いな! なんか食うか? リンゴでもむくか?」
 問い掛けながら、ディーノの右手にはすでに果物ナイフが握られているもんだから、フゥ太は笑ってしまう。
「じゃあ、お願いしようかな」
「任しとけ!」
 ディーノは張り切って言ってから、早速リンゴを剥き始めた。フゥ太はそれを最初微笑ましく見ていたのだが、すぐに心配になっていく。
 明らかに、ディーノの手つきは覚束ないのだ。
 フゥ太は思い出した。ディーノは特殊な体質のボスランキングの上位、つまり、部下がいないところでは途端に弱くなる、のだ。
 現に目の前で、リンゴが皮を剥かれるどころか、潰れそうになっている。
「・・・・・・ディーノ兄、大丈夫?」
 リンゴよりも、いつディーノが怪我してしまうか、心配になってフゥ太は声を掛けた。するとディーノは、何故リンゴがそんなことになっているのか首を傾げながら、フゥ太に気まり悪そうに言う。
「・・・すったリンゴでもいいか?」
「・・・うん、勿論」
 答えながら、リンゴを持ってディーノが部屋を出て行ってから、フゥ太は噴き出してしまった。看病するんだと張り切っていたのに、リンゴすら満足に剥けないなんて。
 年上なのに、そんなディーノがフゥ太には可愛く思えてしまった。そんなことを本人に言ったら、怒るか拗ねるかされてしまうだろうが。
 しばらくして、ディーノが戻ってくる。しかしその手には、何も持たれていなかった。
「・・・・・・やっぱ、リンゴはなしな!」
「・・・・・・・・・」
 どうやら、リンゴをすりおろすことも出来なかったらしい。フゥ太は我慢出来なくて、思いっきり笑ってしまった。声を上げて笑うフゥ太に、笑われてる理由がわかったらしく、ディーノはムッとした表情をする。
 それから、フルーツバスケットの中からバナナを掴んで、勢いよく剥くとフゥ太に差し出した。
「ほら、食えよ!」
「・・・・・・」
 あんまりバナナを食べたい気分ではなかったが、フゥ太は受け取った。断ったら、ディーノは益々へそを曲げてしまう気がするのだ。
「ありがとう、ディーノ兄」
 フゥ太は体を起こして、素直にバナナを食べた。すると、そんなフゥ太を見守っているディーノが、すぐに嬉しそうな笑顔になる。やっぱりバナナを食べてよかった、フゥ太はそう思った。
 食べ終わってまた布団に入ると、ディーノは額のタオルを新しいものに取り換えてくれる。マフィアのボスなのに、フゥ太とは知り合ってまだ間もないのに、こんなふうに看病してくれるなんて。
 嬉しいと同時に、フゥ太は不思議に思う。
「・・・ありがとう。ディーノ兄は優しいね」
「そうか?」
 ディーノは首を傾げ、それから嬉しそうに笑った。
「でも、そう言ってもらえると嬉しいな。優しくしたいって思ってるからな、フゥ太には」
「・・・え、なんで?」
 特別、という言葉が頭をよぎって、フゥ太は少しドキリとしてしまった。ディーノはフゥ太の頭を撫でながら答える。
「ほらオレ、周りが年上ばっかだったからさ。世話してもらったり迷惑掛けたり、そんなのばっかで。だから、フゥ太やツナがさ、オレのこと慕ってくれて嬉しいんだよ」
「・・・・・・・・・」
 ジリ、と胸の焼けるような感覚がフゥ太を襲った。ツナの名がディーノの口から出てきたこと、ツナと並べて語られたこと、何故かそれがフゥ太の気に掛かる。
 勿論ディーノはそんなフゥ太の気持ちに気付かずに続けた。
「なんていうか、弟が出来た、ってかんじかな。だから、大事にしたいんだ。優しくしたいんだ」
「・・・・・・そう」
 弟、という単語にもフゥ太は引っ掛かってしまう。でも同時に、大事にしたい、そんなふうに言ってもらえることは堪らなく嬉しくて。
「ありがとう」
 フゥ太は笑ってディーノを見上げた。
「僕の好きなマフィアランキング作ったら、ディーノ兄が一番になっちゃいそうだよ・・・」
 お返しのように言いながら、自分のセリフなのにフゥ太は少しドキリとしてしまう。他意のない一言のつもりだったのに。
「そうか? 嬉しいな」
 ディーノは額面通りに受け取って、照れたように嬉しそうに、笑う。
 やっぱりディーノには笑顔が似合う、そう思いながらフゥ太は、なんとなく気付いてしまった。どうしてディーノの笑顔を見たいと思うのか。どうしてさっき、嫌な思いになってしまったか。
 どうして、好きとか一番とか、軽い気持ちでディーノに言えなくなってしまったのか。
「フゥ太、他になんかして欲しいことあるか?」
 ディーノは気をよくしたようで、ニコニコ笑いながら尋ねてくる。
 こうやってディーノがずっと自分を見ててくれるのなら、このまま風邪なんて治らなくていいのに、フゥ太はそう思った。
「・・・ディーノ兄、僕・・・」
 自分が何を言いたいのか頼みたいのか、わからないままフゥ太は口を開く。しかし、その続きは言葉にはならなかった。
「お、ママンが帰ってきたみたいだな」
 表の気配を察してディーノがそう言ったのだ。続けてディーノは、フゥ太に無情にも告げる。
「じゃ、オレはそろそろ帰るな」
「えっ、もう?」
 フゥ太はとっさに言ってしまった。
 ディーノに帰って欲しくない。離れがたく感じるのは、風邪で人恋しくなっているからではないだろう。きっと、ディーノのことが・・・。
「フゥ太・・・」
 ディーノは自分を引きとめるフゥ太を嬉しそうに見て、頭を優しく撫でてくる。
「元気になったら、また遊ぼうな」
「・・・・・・・・・うん」
 そんなふうに言われると、フゥ太は頷くしかなかった。
 風邪なんて引いていなければいいのに、フゥ太はそう思う。今元気なら、ディーノを引きとめることも、ついていくことも出来るのに。
 素直に返事するフゥ太を、ディーノは微笑んで見つめた。
「イタリアに帰ってくることあったら、オレんとこに来いよ?」
「・・・うん」
 フゥ太は今度はしっかりと頷く。
「絶対に、行くよ」
 絶対に会いに行く。これから離れるんだというのに、ディーノに会いたい、フゥ太はもうそう思ってしまっているのだ。
「待ってるぜ」
 ディーノは嬉しそうに言ってから、立ち上がろうとした。フゥ太は慌てて、ディーノに向かって、手を伸ばす。
「ディーノ兄、お別れのキスは?」
「お、そうだな」
 イタリア人同士だから自然なことだと、ディーノは思ったのだろう。フゥ太の枕元にしゃがみ込み、体をかがめて顔を近付けてきた。
 頬に唇の感触、ついでに柔らかい髪が顔を撫でてくる。
 このまま、ディーノの体に腕をまわして、ギュっと抱きしめ離したくない。そう思えど、フゥ太の腕は小さくて叶えられそうにない。
 悔しさ寂しさ、でもやっぱり、嬉しい気持ちが一番大きかった。
 ディーノの髪にこっそりと指を絡めながら、あぁやっぱりそういうことなんだ、とフゥ太は自覚する。
 お返しに頬にキスすれば、ディーノは至近距離のままフゥ太に微笑み掛けた。途端に胸が詰まりそうになる感覚を、ディーノに気取られないようにフゥ太は軽口でごまかす。
「風邪がうつったら、ごめんね」
「そしたらもう、フゥ太と会えるのはこれが最後かもな」
 過保護な部下が会わせてくれなくなる、そう冗談めかして言ってから、ディーノは今度こそ立ち上がった。
「じゃあ、な」
「うん、来てくれてありがとう、ディーノ兄!」
 心からそう言ったフゥ太に、ディーノは相変わらずの、今のフゥ太にとっては眩しいくらいの笑顔を浮かべて去っていく。
 ふすまが閉まると、フゥ太はつい頬に手を当てた。
「・・・ディーノ兄・・・」
 はぁ、と溜め息まじりに言うと同時に、奈々が部屋に入ってきたからフゥ太はドキリとしてしまう。
「・・・お、お帰り、ママン」
「ただいま。フゥ太君、具合はどう?」
 体温計で体温を計ってくれた奈々は、結果を見て少し目を丸くした。
「あら、熱がちょっと上がってるわね」
「・・・・・・・・・」
 心配そうな奈々には悪いが、きっと熱が上がった原因は風邪ではないだろう。
「顔も赤いし。お薬、飲んでおく?」
「・・・・・・うん」
 ちょっと申し訳ないようなうしろめたいような気がしながらも、フゥ太は素直に頷いておいた。早く風邪を治してしまわないと、ディーノに会いにいけない。
 薬を飲んだところで、この熱が引くとも、フゥ太には思えなかったのだけれど。




 END
フゥ太の熱が上がったのは風邪のせいではないけれど、
フゥ太があんまり腹黒くないのは風邪のせいだと思われます…(笑)