刻印
リング争奪戦、と呼ばれていた気がする戦いも終わり。
日常が戻ってきた雲雀は、応接室でいつものようにソファに掛けていた。
その右手が、雲のマークの刻まれたリングを弄っている。
よくわからないまま、巻き込まれた争いだった。雲雀としては、戦う相手がいたから戦っただけの話だったが。
しかし直接的に雲雀を巻き込んだのは、このリングと、そして勝手に家庭教師だと名乗ってきたディーノという男だった。
ディーノを思い出すと、雲雀は僅かにモヤモヤしたものを感じる。
結局、雲雀は一度もディーノ相手に、ちゃんとした勝ちを上げることが出来なかった。だが、そのことだけが引っ掛かっているのだろうか。
雲雀にはよくわからない。だが、スッキリしないことだけは確かで。
適当に何か、咬み殺してこようか。雲雀がそう考え始めたとき、応接室の扉が、ノックもなしに開いた。
いつかの誰かのような登場の仕方。部屋に入ってきたのは、やはりディーノだった。
「よう、元気してっか?」
気安く親しげに、ディーノは声を掛けてくる。
雲雀はそれを無視するように、ディーノから視線を外した。本当は、ディーノの姿を見てざわついた気がする、自分の心から目を逸らしたかったのだが。
「・・・・・・何か、用?」
「ちょっと、様子でも見に来たんだよ」
ディーノはそう言いながら、ひょいひょいと雲雀に近付いてくる。
「怪我はもう、大丈夫なのか? 元家庭教師としては、気になってな」
「・・・そんなふうにあなたを思ったこと、ないよ」
ただ、戦う相手に志願してきたから、相手していただけで。
だが結局、ディーノを咬み殺すことは出来なかった。それは雲雀にとっては、面白くないことで。
雲雀は立ち上がると、無言でトンファーを構えた。
ディーノは修行中の軽装とは違って、白のカッターシャツに黒いジャケット、マフィアらしいスーツという格好。どう見ても戦うつもりはなさそうだが、だとしたら一体なんの為にここまで来たというのか。
怪我の心配だなんて、お互いに散々傷を付け合っておいて、今さらだ。
「・・・お、おい、ちょっと待てよ! そういうつもりで来たんじゃないんだって!」
ディーノは慌てたように言う。強いくせに戦闘を躊躇うディーノの態度が、雲雀は嫌いだった。本気で、自分の相手をしようとはしていないように思えて。
雲雀がトンファーを振るうと、ディーノは当然よける。追ってもう一度振ると、ディーノはやっぱりよけた。
・・・いや、よけた、とは言えないだろう。
別に障害物は何もなかったと思うのだが、足でも縺れたのか、器用に回転するように体を踊らせ。顔面から、応接室の絨毯に倒れ込んだのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
雲雀はつい、そんなディーノを唖然と見下ろした。
ディーノはゆっくり体を起こし、したたかに打ったらしい顔を押さえている。
「いってー! 突然何するんだよ恭弥!!」
そして雲雀に非難めいた声を向けてくるが。雲雀だって、こんな事態になるなんて、予想もしていなかった。
だが、雲雀に全く引けをとらなかったディーノが、こんな無様な失敗をするだろうか。
「・・・・・・馬鹿にしてるの?」
わざと、としか考えられない。そんなに、自分と戦うのが嫌なのか。雲雀は面白くない。
雲雀がまたトンファーを構えると、ディーノもまた慌てた顔。
「ちげーよ! だから、それ、しまえって・・・っ!!」
雲雀は床にしりもちついたままのディーノの、カッターシャツの襟を掴んで、叩き付けるように背後の床へと押し付けた。そして、トンファーの狙いを頭部に定める。
そこで一旦動きをとめてみても、ディーノが動く気配はなく。雲雀の下で、固まったように、ただやめろと視線で訴えてくる。
雲雀は構わず、ディーノに向けてトンファーを振り下ろした。
それを防ぐことも、そもそも雲雀を撥ね退けることだって、出来るはずなのに。ディーノはただ、ギュッと目を閉じて、歯を食いしばった。
ドンっと、鈍い衝突音。
トンファーはディーノの顔の、すぐ真横、絨毯越しに床にめり込んだ。
「・・・・・・・・・あ、あれ?」
ディーノは予想していた衝撃がないからか、そろりと目を開ける。小動物のようなその仕草に、雲雀は苛立ちとも戸惑いとも違う、気がする感情を覚えた。
それが何かはわからないが。同時に、呆れたのも確かで。
「・・・よける気もないの?」
「・・・・・・いや、オレだって、よけれるもんなら、よけてーんだけどな?」
さすがに決まり悪そうに、ディーノは何やら弁解した。
「たまに、あるんだよ。すげー調子悪い日が、さぁ・・・」
「・・・・・・・・・」
どうやら、嘘を言っているようでもない。その証拠に、未だにディーノは、まだ怪我だって完治していない雲雀を撥ね返すことも出来ていないのだから。
ディーノの体に跨るようにしながら、雲雀は偉そうに家庭教師だなどと名乗っていた男を見下ろした。
「・・・つまり、今のあなたは、何をされても抵抗すら出来ないってわけ?」
「・・・・・・いや、んなことしても、歯ごたえなくてつまんないと思うぞ・・・?」
引き攣った笑いを浮かべるディーノは、つまり抵抗出来る自信がないらしい。
一体どんな暴力を振るわれるのか、不安そうなディーノの期待に応えてやってもいいのだが。雲雀は、トンファーを放った。
「・・・・・・え?」
ディーノは訝しそうな顔をしつつも、そこにはどこか安堵の色がある。
そんなディーノに、雲雀はゆっくりと手を伸ばした。そして、首筋の刺青に、指を触れさせる。
「な、何するんだ・・・?」
困惑の声をディーノは上げた。暴力を振るわれるよりも、意図のわからない雲雀の行動は、ディーノに不安を与えたのかもしれない。
ただ、雲雀の行動の理由は、単純なものだった。気になっていたから、だ。
修行と称した戦闘の合間にも、襟元から覗いていた刺青。そういえば、脇腹の辺りにも見えていた。
何故、どうしてこのタイミングで、それはわからないが。雲雀は、その存在を、確かめたくなったのだ。
「・・・あの・・・恭弥?」
戸惑うディーノには構わず、雲雀は首筋の刺青をなぞっていった。すぐにシャツがじゃまになるので、無造作に掴んで引っ張る。ボタンがいくつか飛んだようだが、雲雀は気にしない。
一方そんなふうにされたディーノは、しかし抗議も抵抗もせず、おとなしくしていた。おそらく、雲雀の気に障らないように、嵐が過ぎ去るのを待つような気持ちでいるのだろう。
それをいいことに、雲雀は再びそのあざやかな刺青へと指を伸ばした。
「・・・ふうん」
こんなふうになっているのかと、鎖骨辺りから脇腹にもしっかりと刻まれている刺青を、撫でていく。するとくすぐったかったのか、ディーノが身を捩って笑った。
「や、やめろって!」
相手が雲雀だと忘れたかのように、ディーノは力の入っていない腕で引き離そうとしてくる。
雲雀はディーノのことを、随分と馴れ馴れしい男だと思っていた。だが、もしかしたらディーノはあれでも、決して雲雀に素を見せてはいなかったのかもしれない。
ディーノのこんな表情を、雲雀は今初めて見た。
悲鳴のような声を上げ、笑いを耐えているような、苦しそうなような。その無邪気ですらある表情に、反応に、触発されるように雲雀は指を滑らせ続ける。白色人種特有の白い肌を彩る刺青を、何度も辿っていく。
「きょ、恭弥、マジでやめろって!」
「・・・・・・あなたの弱点、一つ見付けたみたいだね」
トンファーを握っているわけではないのに、この高揚感。しかし雲雀はそんな自分には気付かずに、ただ行為を続けた。ディーノの刺青をなぞる、という。
「な、ちょっと、く・・・くすぐってーんだけど・・・!」
身をよじり逃げようとするディーノを追い、揉み合ううちに剥き出しになる肩や二の腕の刺青にも触れ。そのうちに、指ではなく唇を沿わせたのも、雲雀にとっては自然なことに思えた。
「ちょ、きょ・・・や・・・っ!」
さすがに驚いたような、暴れたせいでか上気したディーノの顔を、雲雀は見つめる。僅かに涙が滲んでいる瞳が、綺麗な飴色をしていることに、雲雀は初めて気付いた。
そんな雲雀から困ったように視線を逸らしたディーノは、それからもう一度、躊躇いがちに雲雀を見上げる。
「・・・恭弥、なんか・・・興奮してんのか?」
雲雀を刺激したくはなさそうに、それでも確かめずにはいられないのか、ディーノはやはり躊躇いがちに口にした。
「戦ってるときみたいな顔、してる」
「・・・・・・・・・」
言われてみれば、そうかもしれない。指摘されて初めて、雲雀は今の自分の状態に気付いた。獲物を追い詰めるときの、精神的高揚。
確かにそのようで、しかし違うような。今雲雀に湧き上がっているのは、もっと即物的な・・・。
雲雀が再び、肩の刺青に唇を落とすと、ディーノの体がビクリと震えた。そのまま唇を滑らせながら、自然と笑みを浮かべている自分を自覚しつつ問い掛ける。
「・・・だとしたら? 僕の気が済むまで、付き合ってくれるとでも?」
「・・・・・・そ、れは・・・」
困ったような迷うような表情で、言葉を詰まらせたディーノは、しかしパッと笑顔を作ってみせた。
「いや、あの・・・取り敢えず、今日は・・・もう充分だろ! な!」
わざと、ガラリと空気を変えるような口調。そう言うディーノの口元は、依然として僅かに引き攣っていた。そう言ったところで、雲雀が引き下がるわけないと思っているからか。
だが雲雀は、すっとディーノから体を離した。
「そうだね・・・」
別にディーノの言い分を飲んだわけではない。ただ、勿体ない気がしたのだ。獲物は何も、ひと息に仕留める必要はない。じわじわと、絡め取るのも悪くないだろう。
体を起こした雲雀を、ディーノはホッとしながらも不思議そうに見上げてきた。そんな目で見られると、期待に、応えてやるべきだろうかと思わされてしまう。
雲雀はもう一度体を屈め、ディーノの喉元、刺青がないほうの首筋に、顔をうずめた。
歯を当てれば律儀にビクリと反応してくるから、このまま噛み千切ってやったらどんな表情になるのだろうと、考えたらすぐに予想は付いて。
だから反対に、優しく、そっと肌を吸い上げてみた。やはり僅かに体を竦ませたディーノは、すぐに離れていく雲雀をポカーンと見る。
「・・・え、なんだ?」
「イタリア人のあなたが、知らないはずないでしょ?」
ディーノの首筋に残った、赤い鬱血の跡、キスマーク。ディーノが問いたかったのは、そういうことではなかっただろうが。
気にせず雲雀は立ち上がり、トンファーを拾ってから、初めのようにゆったりとソファに身を預けた。
そんな雲雀を、釈然としないように見たディーノは、次に自分を見下ろして。
「・・・なんかオレ、ひどい有様なんだけど…」
乱れた髪を手櫛で直すディーノの、脱げかけたシャツの前は破れ、首筋にはキスマーク。
確かにまるで、暴漢にでも襲われたかのように無残な姿だ。肌を触られ首筋を吸われたのだから、あながち間違いでもないが。
「あいつらに、なんて言い訳しよう・・・」
なんて呟きながら、ディーノは立ち上がって、シャツの破れた部分をごまかすようにジャケットの前を閉めていく。
それから、首筋を確かめようとして、しかし自分で見えるはずもなく、諦めたように溜め息をついて。
「・・・じゃあな、恭弥」
一体何しに来たのかわからないディーノは、そう言いながら扉のほうへ向かった。
もう二度と、ここには来ない可能性もある。されたことを考えれば、ディーノがそうするのも当然だろう。
だが、きっとまた来る、雲雀はそう思った。ディーノというのは、そういう男だ。
そしてディーノは、扉を開けてから雲雀を振り返って、いつもの人のよさそうな笑顔で。
「また、来るな」
躊躇いもせず、そう言った。
雲雀が返事を返さなくても気にした様子はなく、ディーノはそのまま扉の向こうへと、軽い足取りで消えていく。
この部屋では何事も、なかったかのように。
だが、雲雀の行動が、ディーノになんの影響を及ぼさなかったとは思わない。いつものように、ただ咬み付かれただけ、だとは思っていないだろう。ディーノのいつもとは違う反応が、それを証明していた。
雲雀はディーノに、確実に何かを残すことが出来た。
そして、雲雀にもまた、確実に芽生えたものがあり、それを自覚もしてしまう。
「・・・また、来るんだ」
雲雀はテーブルの上に放っておいたリングを手に取った。
よくわからないまま巻き込まれた結果、手元に残った、雲の模様の刻まれたリング。そして、ディーノという存在。
「さて、今度は何をしようか・・・?」
薄く笑いながら呟いて、雲雀はくるくるとリングを指先で弄んだ。
END 部下いなくてへなちょこなディーノにドキッ☆は基本ですよね。(この場合、ドキッというよりムラッ!)
ディーノのほうも、雲雀の存在が引っ掛かっていたから、この日ここに来て、そしてまた次も来るのです。
た ぶ ん ! (考えてない)(…)