10年前の君へ(後)



「・・・ん・・・・・・」
 ゆっくりと覚醒したディーノは、頭同様に重たい目蓋を開けていった。体も堪らなくだるくて、少し身を捩っただけで、全身が酷く痛んだ。
 嫌でも、その原因をディーノに思い出させる。しかもその犯人は、ディーノのすぐ隣で、スヤスヤと安らかな寝息を立てていた。
 窓から入る日差しで、もう昼前だとわかる。こんな時間までベッドに沈むことになってしまうくらい好き勝手やってくれたフゥ太が、どうやらディーノの体をちゃんと綺麗にしてくれているようだが、感謝する気には当然なれず。
 今さら殴ってやりたい衝動に駆られるが、すぐに、そのあどけない寝顔を見ていると怒る気が失せてしまった。まだ幼いフゥ太が、自分の小動物ななりを利用する強かな面を持っていると、知ってはいてもつい絆されてしまうように。間違っていると、わかってはいるのだが。
 それにしても、成長してさらにタチが悪くなっていると、ディーノは半ば呆れた。そしてそんなフゥ太に、将来の自分は丸め込まれるか騙されるか、してしまったのだろうか。ディーノは、その辺のことを考えるのはやめておいた。嫌な予感しかしなくて、予想するのもおそろしい。
 ハァと溜め息をつくディーノの隣で、フゥ太は変わらず眠り続けていた。その見掛けだけは甘く優しい顔立ちを見ていると、やはり何か報復したい気もして。
 ディーノは手を伸ばすと、青年らしくスラリとしたラインの頬を、ギュムっと抓ってやった。されたことに比べると、なんてささやかな仕返しだろうと思いながら。
「・・・・・・ん・・・?」
 さすがに眠りを妨げられたフゥ太は、ゆっくりと目を開けた。ボンヤリとディーノを見つめて、それからゆっくり体を起こす。
「・・・おはよう、ディーノ」
 そして、ニコリと微笑みながら、ディーノの頬へキスを一つ。なんて自然な仕草なんだと、ディーノは眩暈を感じそうになった。
「・・・何が、おはよう、だ」
「・・・・・・・・・」
 フゥ太は目を瞬かせて、ディーノを見つめ、それからまた顔を綻ばせる。
「あ、そっか。そうだったね、ディーノ兄」
「・・・・・・・・・」
 やはりフゥ太は、自分が10年後の世界にいる、つもりで行動していたようだ。まるで毎朝の決まりごとのように、ディーノにおはようのキスをしてきたフゥ太。
 ディーノはまた、その辺のことを考えるのはやめておいた。嫌な予感は増すばかりだ。
「・・・・・・で」
 ディーノは無害そうな笑顔を向けてくるフゥ太を、つい睨むように見返す。
「なんかオレに、言うことあるんじゃねーの?」
「・・・・・・何?」
「ごめんなさい、だろ!!」
 キョトンと首を傾げるフゥ太に、ディーノは噛み付くように言った。改めて土下座でもして謝ってもらわなければ、ディーノの気もすまない。
 というのに、フゥ太は全く悪びれた様子もなく、ケロリとディーノの言葉を撥ね退けた。
「それは、またあとにしておくよ」
「・・・・・・あと?」
「そう、あとで」
 フゥ太がニッコリ笑って、ゆっくりと近付いてくるから、ディーノは自然と逃げようとする。この危機感は、残念ながら思い過ごしではないはずだ。
「・・・・・・ふ、フゥ太、ちょ・・・っ!」
 ちょっと待て、という言葉すら言わせてくれず、フゥ太はあっさりとディーノをベッドへ押し付けてくる。見下ろしてくるその柔和な笑顔が、その実一番おそろしいのだと、ディーノは昨日散々思い知った。
「・・・や、あの・・・フゥ太、お、落ち着けって・・・!」
 一体どんなふうに言えば効き目があるのか、わからないなりに言葉を掛けてみるディーノに、フゥ太は少し眉を下げて首を横に振ってみせる。
「嫌だな、ディーノを前にして、僕が冷静でいられるわけないじゃない」
「・・・・・・・・・」
 いかにも頭の中で考えを巡らせ何か企んでいる、ようにしか見えない顔で言われても説得力がない。かといって、その言葉そのまま正しくても、ディーノとしては困るわけだが。
 どっちにしても雲行きの怪しさは改善される気配なく、しかし一方で、昨日の今日でまさかという気もする。いやきっとそうだ、と前向きに考えようとするディーノに、フゥ太は笑顔で告げてきた。
「言ったよね、ディーノ兄。もっともっと、って」
「・・・・・・」
 そう言って昨日本当にとことん付き合わされたディーノは、フゥ太の実行力を思い出して、背筋を震わせる。
「む、無理だ・・・っ!」
 とっさに叫ぶように訴えようとした、ディーノの口をフゥ太がふわりと塞いできた。そのまま遠慮なく入り込んでくる舌に口内を愛撫されて、つい力の抜けそうになるディーノは、それでも腕でフゥ太を押し返そうとする。
 だがやはり、昨日同様、フゥ太の体はビクともしなかった。ディーノの抵抗をものともせず、フゥ太はディーノの口を思う存分弄んでいく。
「・・・っん、・・・は・・・ぁ」
 ようやく解放された頃には、ディーノの腕は逆にフゥ太に縋り付いていた。それに気付いて慌ててまた突っぱねようとしても、フゥ太はそんな暴れるディーノを簡単に押さえ込みながら。
「僕がこっちにいられるのは・・・あと1日ってところかな」
 冷静に計算し、それからディーノを見下ろしてきて。
「悔いの残らないようにしないとね!」
 弾む口調で、眩しいくらいの笑顔で、言い切った。そんなフゥ太に、付け入る隙が、全く見付からない。一体どんな育ち方をしたら、こんなふうに成長するのか。ディーノは気が遠くなりそうになりながら、フゥ太をこんなに付け上がらせた、未来の自分をちょっと恨んだ。
 だが、フゥ太はディーノの頬に軽くキスを落とすと、問い掛けてくる。
「まだ、眠いでしょ、ディーノ兄」
「・・・え、そりゃあ・・・うん?」
 確かに眠いが、フゥ太が何故ここでそれを尋ねてくるのか、答えを聞いてどうするのか、ディーノは見当もつかなかった。まさか、だったら寝てもいいよ、なんて言ってくれるつもりはないだろうし。
 つい眉を寄せるディーノを、フゥ太はニコリと笑いながら見下ろして。
「じゃ、もうちょっと、寝ようか」
「・・・・・・へ?」
 やんねーのか!?と問いたくなったディーノは、藪蛇になったらマズいと、すんでで言葉を飲み込んだ。しかし不思議でつい見つめるディーノの上から一旦退いて、フゥ太はマイペースにベッドに横になる。
「しっかり睡眠とって、起きたらシャワー浴びて、ご飯食べて・・・」
 そして、ディーノをその腕の中に引き寄せながら、フゥ太はきっとその通り実行するのだろう予定を挙げていった。
「それから改めて、もう一度ディーノ兄を、心行くまで抱くね!」
「・・・・・・・・・・・・」
 どうやら先延ばしになっただけらしい。ディーノはハァと溜め息つきながらも、フゥ太にゆっくり頭を撫でられ、眠気を煽られてしまう。
 フゥ太より先に起きて逃げよう、なんて決意しながら、この心地よさは眠いせいだと自分に言い聞かせながら、ディーノは意識を手放していった。


「フゥ太、夕飯は・・・」
 部屋に足を踏み入れたディーノは、途中で言葉をとめた。フゥ太が、部屋の床にペタリと座り込んで、ポーっとした顔を晒している。夢見心地、というかんじのその様子に、ディーノはなんとなく察してしまった。
「・・・・・・あぁ、ディーノ」
 ようやく存在に気付いたフゥ太は、まだ余韻に浸りながらも、ディーノを見上げてくる。
「夢のような2日間だったよ」
「・・・・・・やっぱり、行ってきたんだな」
 10年前の、世界に。確かこれくらいの時期だったと思ってはいたし、何よりこのフゥ太の様子が如実にそうだと教えていた。
 23歳のディーノを抱く、その機会をずっと楽しみに待っていたフゥ太は、どうやら大変満足して帰ってきたようだ。
「思った以上に、最高だったよ、ディーノ兄」
「・・・・・・・・・」
 ふふふと笑うフゥ太に、ディーノはなんだか脱力して、入ってきたばかりの扉に背中を預けた。このフゥ太の微笑みが、10年前のあのときはとてもおそろしく見えたっけ、とつい昔を振り返る。
 全く悪びれたように見えなかったフゥ太は、10年の月日を隔てて今見てもやっぱり、罪悪感など微塵も感じていなさそうな笑顔で、ケロリとのたまった。
「にしても僕、結構激しくしちゃったね。無理させて、ごめん」
「・・・・・・そこ謝る前に、強引さを詫びろ」
 大層軽い口調で言われて、昔の自分がなんだか気の毒に思える。とはいえディーノも、今さら謝って欲しいなどと思わなかった。
 疲労感からか座り込んだままのフゥ太に、ディーノは自分から近寄っていく。
「・・・で、どうだったんだ?」
 そして目の前にしゃがみ込んで、首を傾げて問い掛けた。
「だから、最こ」
「じゃなくって」
 フゥ太にとってはついさっきの出来事でも、ディーノにとってはもう10年も昔の出来事なのだ。それはもうわかったから、そんなことより、とディーノは再度問い掛ける。
「やっぱり、若くてピチピチのほうが、いーんじゃねーの?」
 若くてピチピチでまだちょっとあどけなくもあるディーノを抱ける、とそのことを興奮気味に楽しみにしていたフゥ太が、実際それを体験して帰ってきた。となれば、そこから10歳も年を取ってしまっているディーノとしては、どうしても多少は気になってしまうというか。
 フゥ太は少し目を丸くしてから、何年も前の自分の発言を思い出したのだろう。
「・・・ディーノ、根に持ってる?」
「別に」
 昔の自分に嫉妬しているとでも思われたら嫌だから、ディーノは素っ気なく言い返した、つもりだったのだが。一体どんなふうに聞こえたのか、フゥ太はクスリと笑ってから、問いの答えを返してきた。
「確かに、23歳のディーノは、新鮮だし幼くすら見えたし、すっごく魅力的だったよ」
「・・・・・・」
 フゥ太は実感の篭った口調で言ってから、ディーノに手を伸ばしてくる。
「でも、僕、言ったよね」
 つい数分前まで23歳のディーノに触れていただろう指で、疑いようのない愛しさを込めて、フゥ太はディーノの頬に触れてきた。
「僕にとっては、今目の前にいるディーノが最高だ、って」
「・・・・・・・・・」
 目を真っ直ぐ見つめて言われ、もうこの話題を続ける必要性もなくなるが、ディーノはせっかくだから聞いてみる。
「なんで?」
「だって・・・」
 フゥ太はにこやかに笑って、ディーノの頬にチュッとキスを一つしてから、確信に満ちた口調で言い放った。
「今のディーノが一番、僕のこと愛してくれているから!」
「・・・・・・」
 見慣れたフゥ太の表情を、懐かしい、とも思ってしまうのは不思議な感覚で。それでもディーノの10年前の記憶の中で、確かにフゥ太は同じ笑顔をディーノに向けていた。
 酷く熱っぽいと思えたその瞳に、宿っていたものが愛情そのものだったのだと、気付いたのはいつ頃だっただろうか。
「ね、ディーノ兄」
「・・・その呼び方は、やめろって言ってんだろ」
 同意を求めわざとらしく呼んでくるフゥ太の口を、ディーノは塞いでやった。23歳のディーノには出来ないキスを、なんてチラリと思うということは、やはり多少なりとも根に持っているのかもしれない。
 それでもディーノだって、自信を持って言うことが出来た。23歳の自分より今の自分のほうが、フゥ太に愛されている、と。
 フゥ太の手に優しく髪を撫でられて、それを素直に心地よいと思えることを、昔の自分に自慢したいくらいなのだ。
 しばらくキスを繰り返して、それから名残惜しそうに離れていったフゥ太の唇が、苦笑する。
「ごめんね、ディーノ。さすがに、今日はもう、ディーノの相手出来る自信ないや」
「・・・そりゃ、あんだけやったらな」
 つい思い出して、呆れるディーノに、フゥ太は一片の悔いも見せずに笑い掛けてきた。
「いいじゃない。あのときの僕の頑張りのおかげで、今の僕らがあるわけだから」
「・・・そうか・・・?」
 確かに、おかげであのあとディーノは嫌でもフゥ太のことを意識してしまうようになったわけだが。もしかしたら、それがなくたってこんなふうに、フゥ太のことを好きになっていたかもしれない。
 首を傾げたディーノは、しかし溜め息をついてから、笑い返した。
「まあ、いいや」
 なんだかんだあって、そしてこの現在に辿りついた、それは確かなのだ。だったら、当時は恨めしく思ったフゥ太の仕打ちに、逆に感謝してもいいのかもしれない。
「お疲れ様、フゥ太」
 だからディーノは、ねぎらうように言って、フゥ太にもう一度キスをした。
 10年前は、想像するのもおそろしかった、フゥ太との未来。今のディーノにとってはそれこそが、かけがえのない現在だった。




 END
10年シリーズもこれにて完結です。
この世にフゥ太の笑顔ほどおそろしいものはないです。
ちなみに23歳ディーノは勿論、しっかり睡眠とって(中略)心行くまで(以下略)されました(笑)