pretesto



 雲雀が、何か、変だった。
 いつも無愛想で無口で、笑ったと思ったら非情なことを口にする。そんな男が、何故か今日は・・・そう、妙に優しいのだ。
 いつもなら応接室に駆け込んでいったディーノを、また来たの、と言いたげな視線で出迎える雲雀が。
「よく来たね」
 なんて、爽やかではないがいつもよりは険のない笑顔で迎えてくれるから、ディーノは目と耳を疑った。すっかり素っ気ない歓迎に慣れているというのも悲しい話だが、でもそれが普通のことだったのだ。
「・・・恭弥、どうしたんだ?」
「何が? それより、いつまでそうしてるの?」
 入ってきたまま突っ立っているディーノを、雲雀はその手を引いてソファに連れていってくれる。そしてディーノを座らせると、自分もその隣に腰掛けた。
 相変わらずディーノは何が起こっているのだろうと、訝しむ視線を雲雀に向ける。それを気にした様子なく、雲雀はテーブルの上の風呂敷包みを解いていった。
「最中、食べる?」
「・・・もなか?」
 なんだろうそれはと視線を向ければ、風呂敷から平べったい長方形の箱、さらにそこから手の平サイズの紙包みが出てくる。どうやら最中とは、和菓子の一種のようだ。
 今まで連絡をして来たってこんなものを用意していてくれたことはないから、おそらく偶然あって勧めてくれただけなのだろう。雲雀のことだから、上納品とかどうせその辺だろう、とディーノは考えた。
 それはともかく、せっかく雲雀が勧めてくれているのだから、断る理由はない。ちょうど小腹もすいていることだし。
「うん、食べる」
 ディーノが頷いて返せば、雲雀は目の前に3つばかり最中とやらを並べてくれた。さらに。
「そうだ、飲み物がいるね。コーヒー、紅茶・・・それとも、日本茶、飲んでみる?」
「え・・・う、うん」
 丁寧に問い掛けてくる雲雀に、ディーノはつい何も考えずにコクリと頷いた。正確に言えば、そんなことをわざわざ聞いてくる雲雀にビックリして、反射的に頷いてしまったというか。
「そう、じゃあちょっと待ってて」
 雲雀がそう言って席を立っていくから、その姿をディーノはまたもや呆然と眺めた。雲雀が自分の為に、お茶を入れてくれるなんて。そのことにこんなに驚いてしまうのもやっぱり悲しい話だが、しかし今まで雲雀は一度もディーノにそんなことをしてくれたことなどないのだ。
 応接室には簡単な給湯設備が整っていて、すぐにディーノの前に湯気を立てた湯飲みが置かれる。
「熱いから気を付けて。それより、食べないの?」
「あっ、うん・・・」
 隣で最中の包装を剥いていく雲雀に、ディーノも倣いながら首を傾げた。今日の雲雀は、やっぱりおかしい。こんなに優しい雲雀なんて、見たこともなかった。雲雀恭弥というのは、人に気なんて遣わず自分のやりたいことしかしない男、のはずだ。ディーノにお茶を入れる、なんて行動を進んでしたがる性格でも勿論ない。
 何かを企んでいる、という可能性もあるが。しかし、裏があるにしてもこんな回りくどいことをするタイプではないだろう。他に考えられるとすれば、雲雀のただの気まぐれか。その可能性が一番高い、とディーノは思った。
 そして、だとしたら・・・雲雀の機嫌を損ねないようにしよう、ディーノはそうも思う。こんなふうに雲雀に歓迎してもらえるなんて初めてのことで、ちょっと薄気味悪いが、嬉しくないわけはない。もうちょっと、たとえ雲雀の気まぐれだろうと、優しくされてみたいとディーノは思った。
 雲雀の気に障らないように、したいと思ったばかりのディーノは、しかしすぐにマズいと気付く。包装紙から取り出した最中という和菓子が、手にするなりボロボロと崩れていったのだ。
「うわ、これ、すげー脆いな・・・」
 外側の部分がどんどん剥がれてテーブルや絨毯に落下していくから、ディーノは言い訳するようにそう口にした。実際、これに限らず日本のお菓子はどれも壊れ易い、とディーノは常々思っていたが。
 それでも、隣の雲雀は全く原形をとどめたまま最中を口にしている。このままだと、応接室を汚すなと間違いなく咬み殺されてしまうだろう。第一、そもそもそれを嫌がって雲雀は応接室での食事は禁止だと言っていたはずだ。
 ともかく、あぁこれで雲雀の機嫌も一気に悪くなる、とディーノは半ば覚悟したのだが。雲雀はチラリと、ポロポロとテーブルや絨毯に落ちていく最中の破片を眺めて。
「・・・まあ、そういうお菓子だからね」
「・・・・・・・・・へ?」
 まるで、ディーノが最中を崩しているのを、仕方のないことだと言ってくれているようなセリフ。しかも、食べるのをやめろとも掃除しろとも言ってこない。これもいつもならあり得ない優しさの一環なのだろうかと、ディーノはなんだかドキドキしてきた。真意が見えない今日の雲雀が、なんだかいつも以上に掴みどころがなくて、逆にどうしていいかわからない。
 窺うようについジッと見つめてしまうディーノに、雲雀もまたチラリと視線を向けてきた。
「食べないの? 餡子は嫌い?」
「えっ、い、いや・・・」
 雲雀の動向が気になって、ボロボロこぼしながらも食べるどころじゃなかった最中を、そう言われてディーノはようやく口に運ぶ。
 外壁は半分ほど剥がれているものの、その素朴な味とあんこの甘さが絶妙にマッチしていて、ディーノの頬はついゆるんだ。
「うん、美味い」
 モグモグと頬張りながらも、ディーノの手は次の最中に伸びようとする。が、ついその手をピタリととめてしまった。
「そう・・・よかった」
 などと言って、雲雀が小さく微笑んでみせたからだ。危うく喉を詰まらせそうになったディーノは、最中を掴むはずだった手に湯呑みを持たせた。ちょっと渋く感じる日本茶を呷って、咽るのを回避しながら、ディーノの心臓は違う要因でまたドキドキしてしまう。
 あんな邪気のない雲雀の笑顔を、今までに向けられたことがあっただろうか。相変わらず、喜んでいいのか悲しんでいいのか、ディーノはわからなかった。驚いたことだけは確かだ。
 ディーノの動揺を他所に、雲雀は涼しい顔して最中を綺麗に食している。首を捻り過ぎても痛いので、ディーノは改めて次の最中に手を伸ばした。
 やっぱり外側がポロポロと剥がれ落ちていくし、やわらかいから力加減を間違えれば潰れて手にあんこがベタベタとついていく。結構な惨状だが、雲雀のそういうお菓子だからね発言を信じて、ディーノは気にせず食べ進めていった。
 一個が小さいから、雲雀が目の前に追加していってくれるままに、ディーノも消費し続け。12個入りくらいだった箱の中身は、二人がかりですっかり空になってしまった。
「はぁ・・・いいもんだな、もなか・・・だっけ」
 ディーノは充分に堪能して、ハァと溜め息をつきながら締めにお茶を啜って、湯呑みをテーブルに戻す。その手を、雲雀がおもむろに掴んできた。
 なんだろうとディーノが見つめている間にも、雲雀はその手を自分の口元に引き寄せ。ペロリ、とディーノの手にこびり付いたあんこや皮を舐め取り始めた。
「・・・きょ、恭弥!?」
 ビックリしてつい声を上げてしまうディーノだが、雲雀は構わず舌を這わせていく。そしてあらかた食べてしまうと、残りはハンカチで丁寧に拭き取っていった。さらに、もう一方の手も、同じように。
 甲斐甲斐しい、と表現出来るような雲雀のその行動に、ディーノは完璧に固まってしまった。ここにいるのが本物の雲雀なのか、なんて疑問まで浮かんでくる。
 それほど、普段の雲雀からは考えられない行為を、しかし目の前の雲雀と思しき人物は続けていった。両手をすっかり綺麗にした雲雀は、今度はディーノの顔を見上げてくる。
「たくさん、ついてるね」
 そして小さく笑ったかと思うと、ゆっくりディーノの顔に近付いてきて、またペロリと。手と同じようにあんこと皮がベッタリついている口元を、手と同じように舐め始めた。
「っ、恭弥!?」
「おとなしくしてて」
 ビックリして反射的に逃げようとするディーノを、雲雀は抵抗をものともせずアッサリと押さえ込んで、丹念に舌を這わせていく。感触だけをとれば愛撫されているようだが、実際はただ雲雀は食べ残しを取ってくれているだけだから、ディーノはどう反応していいかわからなかった。
 雲雀に他意はないのに、一人で変な気分になってしまうのは恥ずかしい。かといって、雲雀がただ単に口周りを綺麗にしてくれているだけ、というのもおかしい話で、違う意味で変な気分になってしまう。
 と、ディーノが頭をグルグルさせている間も、雲雀はまるで犬のようにペロペロと舐め続けていった。そして、しばらくしてようやく、キスを解くときのようにチュッと音を立てて離れていく。
「うん、美味しかったよ」
「・・・・・・・・・・・・」
 やっぱり笑いながらそう言う雲雀を、もう本当にこれは誰なんだ、という心地でディーノは見返した。そろそろ我慢も限界だ。
「・・・なあ、恭弥。やっぱ、おまえ、今日おかしいって・・・」
 またソファに座り直して、もう冷めているだろうお茶を喉に流し込んでいく雲雀へ、ディーノはもう一度そう言葉を投げた。それでも雲雀は、また何がととぼけて見せるかと思えば。意外にも今度は、ちゃんと答えを返してきた。
「・・・今日は、日本ではそういう日だからね」
 いつも違う、おかしいことをしていることも否定はしない。ディーノは益々首を捻った。そういう、とはどういうだろうと、考えてみる。常ならず、やたらと優しく世話を焼いてくれる雲雀。思い付いたことを、まさか、とも思いながらディーノは一応確かめてみた。
「・・・恋人に優しくする日、とか?」
「さあね」
 雲雀から返ってきた曖昧な返事は、つまり否定もしていない。もしかして本当に、それに近い日なのだろうか、ディーノはだったら嬉しいのにと思う。
 しかも、何気に恋人と言ってみたのに、その部分に反論が来なかった。聞き流されただけかもしれないが、しかしディーノとしては雲雀に否定されなかったことを喜びたくなる。
 それでも何か、しっくりこないような。戸惑いは消えず、ディーノはつい雲雀をジッと見つめた。
「どうしたの?」
「・・・いや・・・・・・」
 問い掛けてくる声色も、いつもよりも優しい気がする。雲雀の一挙手一投足が気になってしまって、ディーノはなんだか居心地の悪さを覚えてしまった。こんな雲雀に、どう接していいのかよくわからなくなる。
 どうしよう、とディーノがなんとなく気まずく思ってしまう状況を、変えるように応接室の扉がノックされた。風紀副委員長の草壁は、委員長ちょっと、と雲雀を促してくる。
 立ち上がった雲雀は、そのままディーノを置いて出ていってしまう、いつもの行動とはちょっと違って。通り過ぎざまに、ディーノの頭を軽く撫でてきた。
「すぐ、戻るから」
 だから悪いけどそれまで一人で待ってて、なんて含みはさすがになかったかもしれないが、そう言って応接室を出ていく。パタンとドアが閉まってから、ディーノはつい大きく息を吐き出した。
 いつもと違う雲雀に、つい身構えてしまって、ちょっと疲れてしまった気がする。
「・・・な、なんなんだ、一体」
 ディーノは脱力するのに任せてソファに横になりながら、今のうちに改めて考えてみた。雲雀が、今日おかしい理由を。とはいえ本人が、そういう日だから、と一応答えてくれたのだが。ディーノは日本が今日一体なんの日なのか、全くわからなかった。こればかりは、イタリア人のディーノがいくら考えても無駄だろう。
 ディーノは、そうだ誰かに聞けばいいんだ、と電話を取り出した。つい頼れる右腕に掛けようとして、いや日本人に聞いたほうがいいだろう、と思い直す。
 掛ける先は、沢田家。ツナが出てくれたから、ディーノはすぐに質問を切り出した。
「なあ、ツナ。今日、日本ってなんの日なんだ?」
『今日は・・・えっと、あ、敬老の日です』
 耳慣れない言葉にディーノは首を傾げる。
「・・・けいろう?」
『はい。えーっと・・・尊敬の敬に、老人の老で、敬老です』
「・・・・・・・・・」
 前者はともかく、老人の老、というのはちょっとディーノの思っていた行事とかけ離れている気がした。なんだか嫌な予感がしつつ、より具体的に聞いてみる。
「・・・つまり、どういう日なんだ?」
『どんな・・・敬老の日は・・・』
 どうやらその場に奈々もいるらしく、ツナは少し間をおいてから、答えてくれた。
『老人を敬い大切にし、その長寿を祈る日。だそうです』
「・・・・・・・・・・・・」
 何が、恋人に優しくする日、だろう。いや、ディーノが勝手にそんなかんじなのではないかと思っただけなのだが。それでも、雲雀も否定はしなかったのに。それなのに。
 どうしてそんなことを、と不思議がるツナに適当に返して、ディーノは電話を切った。そしてタイミングよく、雲雀が帰ってくる。
 ディーノはソファに寝そべったまま、雲雀を見上げた。
「お帰りー」
 と、低い声で感情を込めずに言ってやったら、雲雀は少し片眉を上げる。突然不機嫌そうになっているから、いろいろな可能性を考えているのだろう。
「・・・一人にされて、拗ねてるの?」
 取り敢えず、優しいキャラは貫くようだ。雲雀はまた僅かに笑って問い掛けながら、ゆっくりと近付いてくる。
 しかし、その優しい理由に見当を付けたディーノは、そんな雲雀の態度もただ面白くないだけだった。
「今日・・・敬老の日なんだってな」
「・・・・・・・・」
 すぐ側まで来て見下ろしてくる、雲雀の切れ長の瞳が、ちょっと大きく開く。それから、ハァと息を吐いた雲雀は、次の瞬間にはいつもの表情に戻っていた。冷たさすら感じるような、無愛想な顔に。
「・・・なんだ、ばれたの」
 そして平坦な口調で言いながら、雲雀はあっさりディーノから離れて、向かいのソファにゆったりと腰掛けた。
 ちょっとどこかで、いや違う、と言ってくれるのを期待していたディーノは、益々僻みっぽい視線を雲雀に向ける。
 つまり、雲雀はやっぱりただ単に、いつもと違う態度を取ることでディーノを揶揄って面白がっていただけなのだろう。敬老の日にかこつけて、なんの日か知ることでディーノが見せる反応も込みで。
 そうとわかっていても、そうかそうだったのか、と流すことなどディーノには出来なかった。
「老人を敬い大切にし、その長寿を祈る日、だってな。つーか、オレ、老人じゃねーし・・・!」
 確かに雲雀よりは年を取っているが、それでも年寄り扱いされるのは心外だ。つい噛み付くように言ったディーノに、雲雀は涼しい顔でしれっと返してくる。
「でも、あなたの長寿を祈ってるのは確かだよ」
「・・・・・・」
 長生きしてねと言われるのは嬉しくないわけではないが、しかし今からそんな心配をされるのは、やっぱり心外だ。ムッとするディーノに、雲雀はさらに言ってくる。
「敬ってはないけどね」
「・・・だろーな」
 そこは腹が立つというよりはもう諦めの心境で、ハァと溜め息をついたディーノは、ふと気付いた。祈るを肯定し敬うを否定し、ということはあと一つ、残っている。この際、目的語は忘れることにして、ディーノは雲雀に問い掛けた。
「・・・大切にする、ってのは?」
「・・・今日、どう感じたの?」
 質問で返されてしまったが、ディーノは素直に考えてみる。確かに今日は、何故かいつもはあり得ないくらい優しく丁重に扱われた、気がした。
 正直ビックリして戸惑ったというのが一番大きかったが。でも、ディーノは同時にやっぱり嬉しかった。
 揶揄って遊ぶという目的があったとしても。雲雀の、人に気なんて遣わず自分のやりたいことしかしない、そんな本質は変わっていないはずだ。気の進まないことは、決してやらない。つまり、気持ち悪いくらいに優しく感じられた雲雀の、今日の行動の全ても。
「・・・・・・・・・」
 確認したところで、元に戻ってしまった雲雀は、はぐらかして答えてくれないだろう。ディーノはだから問い掛けず、腰を上げて、雲雀の隣に移動していった。
「・・・何?」
 と、素っ気ない態度を取るいつもの雲雀に、ディーノはちょっと安堵めいたものを感じてしまう。無愛想なこの雲雀に、ディーノはもうすっかり慣れてしまっているのだ。
 とはいえ、せっかくの機会だから、という気にもなる。ディーノは雲雀の顔を覗き込んでいった。
「敬老の日、まだ終わってねーけど? もう優しくしてくれねーの?」
「・・・・・・・・・」
 ディーノを見返してくる雲雀の目が、しばし思案する。それから、結論が出たらしい、ゆっくりと腕を伸ばしてきた。
「まぁ・・・中途半端は好きじゃないしね。大切に、してあげるよ」
 そして小さく笑ってみせる雲雀に、頭をよしよしと撫でられるから、ディーノはやっぱりムズムズするような感覚に襲われる。
 いつもと違う雲雀は、どうしても違和感があってちょっと可笑しい。それに、いつものように自分から積極的に雲雀を構っていかないというのも、落ち着かなかった。
 でも、こんな機会はめったにないだろう。そう思ってディーノは、噴き出しそうになるのも、雲雀をギュッと抱きしめたくなるのも、我慢して。
 おとなしく、雲雀の常ならず優しい腕に、身を任せてみた。




 END
タイトル「pretesto」は「口実」って意味です。たまにはディーノに優しくしたい、雲雀の「口実」でした。
だから優しくすること自体が目的だったわけですが、ディーノは気付いてません。
大体「敬老の日」をチョイスする辺りが渋過ぎです雲雀さん(笑)