first...
軽く触れるだけの、キスだった。
それでも、体が熱くなって、胸が高鳴って。苦しいくらいの幸福感。きっとあれ以上なんて、この世に存在しない。
そう、思った。
リング争奪戦も終わり、未だ安静が必要なスクアーロの身柄は、そのまましばらくキャバッローネが預かることとなっていた。
スクアーロが事実上軟禁されている病室へと、ディーノは足を向ける。そろそろディーノも本国に帰らなければならないのに、なかなか踏ん切りがつかずにいた。
この機を逃せば、もしかしたらもう二度とスクアーロに会えなくなるかもしれない。そう思うと、どうしても決断を下すことが出来なかった。
物音を立てずに病室に入ると、スクアーロはおとなしくベッドに横になって、目を閉じている。再び、こんな距離でその姿を目にすることなんて、もうないとディーノは思っていた。
ディーノはキャバッローネのボスに、そしてスクアーロはヴァリアーに入隊し、いっとき重なり合っていた2人の道は、分かたれた。
それぞれの道を、それぞれに進んでいくと、思っていたのに。こんな形で交差するなんて、自分たちがスクアーロの行方を塞いでしまうなんて。
ディーノは苦い思いを抱くと同時に、こんな形であっても、再び出会えたことを喜びたい自分がいることに、気付いていた。
「・・・スクアーロ」
呼び掛けてみても、スクアーロの反応はない。それでも、声の届く距離触れられる距離に、今スクアーロがいるのだと、そう思えばディーノに湧き上がる感情があった。
昔、当然のようにスクアーロに話し掛け肩を寄せ合える、そんなときがあった。一度だけ、キスもした。なんとなく、どちらからともなく触れた唇は、どちらのせいなのか酷く熱く感じられて。動悸を抑えられないのはディーノだけではなく、スクアーロも同じくらい顔を赤くしていた。
ディーノはそれが初キスだった。そして、初恋だった。
「・・・初恋は実らない。日本のことわざ・・・違うか、なんかそういう言葉があるらしいぜ」
ディーノは届いていないとわかっていて、だからこそ、呟いていく。
「多分、その通りなんだろうな。みんな、その痛手を糧に成長して、そんでまた、別の人に恋していくんだろうな。でも、オレは・・・」
ディーノの胸が、締め付けられるような痛みを覚えた。あれからもう、そろそろ10年は経とうとしているのに。あの頃のあざやかな思いは、未だディーノに焼き付いたままだった。
「・・・なあ、スクアーロ。あんときの・・・キス、覚えてっか?」
包帯の取れたスクアーロの顔を、ディーノはジッと見下ろす。幼さの抜けた精悍な顔つきは、自分と離れたあとの期間にスクアーロが得たもの。今さらにそのことが、ディーノは悔しかった。
仕方がないと、分かれた道を振り返らず進んできたのに。だが今、こうやってスクアーロを目の前にして、ディーノは気付かされてしまった。
本当は、離れたくなんかなかったのだ。
「・・・まあ、キスって言えないくらいのだったけど・・・オレ、あれがファーストキスだったんだぜ」
ゆっくりと伸ばした指で、そっとスクアーロの頬に触れる。こうやって触れるのは、どれくらいぶりなのだろうか。
「それで・・・初恋、だったんだ」
だった、なんて言い方は本当は正しくないのかもしれない。この些細な接触、それだけでディーノは胸が詰まりそうだった。
指を滑らせて、すっかり長く伸びている髪にも触れてみる。自分の知らないスクアーロが、ここにいるのだと、そう思えばやはり胸が締め付けられるようだった。
こんなふうに、苦しいくらいに胸が騒いで痛んで、この感覚をディーノは知っている。昔スクアーロが、与えてくれたものだった。スクアーロだけが。
だったら、あのときのように口付けたなら、あのときのような幸福感を再び味わえるのだろうか。ディーノは確かめたくなって、ゆっくりと身を屈めていった。ベッドに手をつけば、ギシリと鳴ってディーノの胸も跳ねる。
唇で触れようとした、スクアーロのその口が、不意に動いた。
「・・・跳ね馬ぁ」
「・・・っ!!」
思わずパッと離れたディーノを、睨むように見据えながらスクアーロはゆっくりと体を起こしていく。
「スクアーロ、オレ・・・」
「何故、オレを助けた」
何を言っていいかわからないまま口を開いたディーノを、スクアーロがさえぎってきた。それは不思議がるような口調ではなく、咎めるようなもので。
それがわかっていても、ディーノに返せる答えは一つしかなかった。
「・・・そんなの、助けたかったからに決まってんだろ」
元々は山本がもしものときにと備えていたのだが、逆の可能性だって当然考えていたのだ。正直にディーノが答えれば、スクアーロは憎々しげに顔を歪めた。
「余計なこと、してんじゃねぇぞ」
「・・・余計なことって、なんだよ」
落ち着かなければと思いながらも、昂ぶった気持ちを引き摺ったままのディーノの感情は、抑えようがなく乱れ始める。
「なんで、オレがおまえを助けちゃ、ダメなんだよ」
「・・・・・・テメェは・・・ファミリーとか、大事なもん抱えきれないほど持ってんだろうがぁ!」
突如、スクアーロの口調が怒鳴るようなものに変わった。射抜くような瞳でディーノを見上げながら、言葉を投げ付けてくる。
「だったら、余計なもんにまで関わってんじゃねぇぞ!!」
「・・・・・・・・・っ!!」
スクアーロの剣幕に、圧されたのは一瞬だった。
「余計なことってなんだよ・・・! そりゃオレには、守んなきゃなんねーもんたくさんあって・・・でも、だからなんだってんだよ!!」
ディーノも言葉を荒げて、スクアーロに言い返していく。ディーノの言葉を気持ちを、存在そのものをシャットアウトしようとしているような、スクアーロの態度がディーノを無性に苛立たせた。
「オレは・・・オレにとってはおまえも・・・っ」
感情のまま言おうとして、しかしディーノに残る理性が、僅かに躊躇う。
これ以上は、言わないほうがいいのかもしれない。自分の気持ちを、今ならまだ、気付かない振りをして封じることが出来る。
・・・果たして、出来るのか? 自問したディーノは、すぐに答えを見付けてしまった。
もう、手遅れだ。スクアーロを前にして溢れ出した思いは、もうとめられない。だって今でもこんなに、スクアーロに口付けたいと思っているのだから。
「・・・オレはおまえも、大事だ。大事だ、すげー大事だ。それの・・・何が悪ぃーんだよ!!」
抑え切れない思いが、ディーノの口を離れていった。
「オレはおまえを心配しちゃいけないのか!? 見守っちゃダメなのか!? 思うだけも許さねーって言うのか!? でも、オレは・・・おまえのこと、好きだ!!」
声を張り上げて、ディーノは本当はずっとこの気持ちを伝えたかったのだと、思い知っていく。スクアーロに言いたかった。今を逃せばもう二度と、言えないかもしれないのだ。
好きだと、離れたくなかったと・・・側に、いたいと。
「あの頃からずっと、好きだった・・・今だって、好きだ! 悪いか!!」
「・・・・・・悪いに決まってんだろうがぁ!!」
突然割って入ってきた遠慮のないスクアーロの声が、ディーノの鼓膜を震わせた。ついビクリと体を揺らしたディーノを、スクアーロがまるで憎むような強い眼差しで見つめてくる。
「おまえ、ホント・・・最悪だなぁ・・・!!」
「な・・・・・・っ!?」
そんなふうに言われる謂れはないと、思う暇もなく。ディーノは、スクアーロに力強く腕を引かれ、気付けば上半身を抱き寄せられていた。
自分の体にしっかりとまわっているスクアーロの腕が、信じられなくて夢のようにさえ思えて、ディーノはこれが現実なのか確かめるようにとっさに腕をまわし返す。それでもスクアーロの腕はしっかりと、むしろより強く、ディーノを抱きしめてきた。
「テメェは昔っから・・・なんでそう・・・っ!」
その口調は一見、苦々しいような、非難するようなものでいて。
そういえば、スクアーロはあんまり素直じゃなくて憎まれ口が得意だったと、ディーノはふと思い出した。じゃまだとか鬱陶しいとか言いながら、邪険な態度を取りながらも、結局側にいさせてくれたのだ。
スクアーロの、あの頃の少年のものとは違う体つきに、それでも昔と同じ温度を感じた気がして。ディーノは確かめたくて、スクアーロの顔をそっと窺った。
「スクアーロ・・・」
「・・・・・・・・・」
その、怒ったようなどこか気まずそうな表情は、ディーノも見覚えのあるものだ。あのときのスクアーロも、こんな顔をしていた気がする。
そのときのように、自然と見つめ合った二人の、唇がやがて重なった。記憶にあるたった一度のキスのときと同じ、いやそれ以上の感覚に、ディーノは襲われる。
すぐに離れてしまったのに、ディーノの胸はどうしようもなく高鳴っていた。スクアーロはどうなのだろうかと思って、ディーノはつい目の前の胸を触ってみる。
自分と同じくらい、その心臓は脈打っていた。
「・・・うわ、すげ」
「う゛お゛ぉい!!」
思わずディーノが呟くと、スクアーロが照れ隠しなのだろうが、身を引き剥がそうとしてくる。だからディーノは、慌ててスクアーロに抱き付いていった。
「オレも一緒だ、スクアーロ」
自分もまだ心臓が高鳴っていると伝えるように、ピッタリと体をくっつければ、同じ速さの鼓動はすぐにどっちのものかわからなくなる。
スクアーロをこんなに近くに感じたことは、あの頃でさえなかったかもしれないと、ディーノは思った。
「スクアーロ・・・好きだ。もう、離れたくねえ」
「・・・・・・恥ずかしいこと、言うなぁ」
ディーノの言葉を、素直に受け止めてくれない返事もくれないスクアーロは、その代わりのように。再び、ディーノの口を塞いできた。
あれ以上なんてないと、そう思っていたのに。体が熱くなって、胸が高鳴って、苦しいくらいの泣きたいくらいの幸福感。それはきっと、あのときよりもずっと、今のほうが。
もう一度しっかりとスクアーロに抱き付いていきながら、ディーノは思った。初恋は実らない、その言葉は確かに正しいのかもしれない。ディーノの恋は、一度は終わった。本当は離れたくなかったのに、仕方ないと諦めて終わらせてしまったのだ。
それから長いときが経って、今のディーノは、自分の力を強さを知っていた。今後スクアーロがどうなるのかわからないし、目指すところはきっと違うだろう。それでも、今度こそ、離れない。
「・・・そろそろ離せぇ、傷が痛ぇ」
「嫌だ」
少し力を弱めながらも、ディーノはスクアーロに伸ばした腕を引くことはしなかった。しっかり意思を持って言うディーノに、スクアーロがハァと溜め息をもらす。
「・・・テメェ、タチ悪くなってねぇかぁ?」
舌打ちすらしながら、それでもスクアーロの右手が、彼にしては優しくディーノの頭を撫でてきたから。
ようやく落ち着いてきた心臓が、懲りずにまた高鳴ってしまった。
END スクアーロは結構前から起きて聞いていたと思います。
今ならまだ自分の気持ちをごまかせる⇒もう無理だ、というディーノと同じ心境の変化を辿ったのです、と補足を(笑)