gravitation



 ディーノと出会って、もうすぐ一年が経とうとしていた。
 ほぼ同時に付き合い始めて、それから、外で会ったりディーノの屋敷で過ごしたり。ディーノの部屋で、ソファに座って過ごしていて、ふとした瞬間にキスを交わす。そんな流れにも、たいぶ慣れた。
 それでもバジルが、ディーノとのキス自体に慣れることは、まだ出来ていなくて。大体、相変わらずバジルは、ディーノに微笑み掛けられるだけでどうしようもなくドキドキしてしまっていた。さすがに、顔すら合わせられないほどではなくなったが。
 腕を体を触れ合わせて、顔を近付けて、やわらかい唇に触れれば。頭に血が上って、激しく心臓が高鳴って、それから。
 舌を絡ませるような深いキスをしていると、バジルはたまになんだか、体が疼くように感じられることがあった。
 湿った音をさせて離れていくディーノの唇が、すぐ間近で微笑むから、バジルはふらりともう一度近付いていく。サラリと髪を撫でられるのも気持ちよくて、ずっとこうしていたいような気がすると同時に、まだ何か足りないような気もした。
 何度もキスを繰り返し、ようやく今度こそ離れて、バジルの頬を撫でながらディーノが笑う。
「だいぶ、慣れたな」
「は、はい・・・」
 バジルは視線を伏せて、小さく返事した。実際のところ、まだ慣れてはいない。それでも最初に比べればマシになっているのは確かだが、それをディーノに指摘されるのも情けない話だ。
 ちょっと恥ずかしくて俯くバジルに、ディーノはやわらかく微笑んでから、ふと切り出してきた。
「・・・そうだ、おまえに言わないといけないことが、あったんだ」
「え?」
 思わず顔を上げれば、ディーノは苦笑いのような表情をしている。
「ホントは、もっと早くに言わないといけないって、思ってたんだけど・・・」
「・・・・・・・・・」
 いつもの軽やかなものよりも、真剣さを増している気がする口調に、バジルはドキリとしてしまった。
 初対面で告白して、それを受け入れてくれて以来ディーノは、バジルを恋人として扱ってくれている。それでも、ディーノも同じように好きだと思ってくれて始まったわけではないと、バジルがそのことを忘れることはなかった。
 いつか好きになってくれればいいと思っていたバジルは、同時にいつか、やっぱり好きになれないと言われるのではないかとずっと不安だったのだ。
「ほら・・・オレ、おまえにちゃんと返事してなかったろ? だから・・・」
「・・・・・・・・・」
 やはり、ディーノはバジルの告白に対する返事をしようとしているのだろう。
 バジルがチラリと視線を向ければ、ディーノは反対にふいっと視線を逸らしていった。少し言い澱むような口調にも、バジルの不安は募る。
 さっきまで本当の恋人同士のようなキスをしていた、そのことは少しもバジルの気を楽にはしなかった。ディーノは一応付き合っているという形だから、義務感のようなものでやってくれているだけかもしれないと、思えてくる。
 ディーノの視線が向いてきて、今度はバジルのほうが逸らして俯いてしまった。
「バジル・・・あのな、オレ・・・」
「・・・・・・・・・」
 聞いてしまえば、ディーノとこれで終わるのかもしれない。恐怖すら感じて、バジルはとっさに立ち上がった。
「・・・す、済みません・・・し、失礼します・・・っ!!」
「えっ!?」
 当然ディーノは驚くが、バジルはそんなことに構っていられない。聞きたくない一心で、逃げるように部屋を出ようとした。
「おい、バジ・・・うわっ!!」
 しかし、そんなバジルを呼び止めようとするディーノの声が、途中で途切れて派手な物音が響くから、バジルは思わず振り返ってしまう。
 追い駆けようと立ち上がった拍子になのか、ディーノはテーブルやソファを巻き込んで豪快にこけていた。絨毯はやわらかいとはいえ、おそらく思いっきり顔から倒れ込んだのだろうと予想が付いて、バジルはつい駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
 しゃがんで覗き込んだバジルの視線の先で、ディーノはどうやら怪我した様子もなく、ゆっくりと体を起こしていく。
「だ、大丈夫だ・・・」
 少しばつの悪そうな顔をしたディーノは、しかしすぐにバジルを真っ直ぐ見つめ、さらに腕をギュッと掴んできた。
「だから、続き、な」
「・・・・・・・・・」
 絶対に聞いてもらう、という意思を込めたような力強さで留められ、バジルは逃げられなくなる。ディーノはそのままその場に座り直し、バジルも向かいに正座しながら観念した。
 もし、やっぱりそういう対象として見られないから終わりにしようと言われたら、それでも諦められないだろうから頑張ろう。そう自分を先に励まそうとしても、やはり気持ちが沈んでいくバジルに、ふとディーノが触れてきた。
「なんて顔、してんだよ」
 優しく頬を撫でられ、促されるように視線を上げると、ディーノはすぐ目の前でやわらかく微笑んでいる。そして、そっと唇を軽く重ねてきたディーノは、続けて言った。
「好きだよ」
「・・・・・・・・・え?」
 予想していたのと違う言葉が聞こえた気がして、目を丸くしてしまうバジルに、ディーノはもう一度繰り返す。
「オレ、おまえのこと、好きだ」
「・・・・・・・・・」
「今さら言うのも、今までなんだったんだって感じで、なかなか言いにくくてさ・・・ごめんな、遅くなって」
 申し訳なさそうに言うディーノに、つい反射的に首をプルプルと横に振れば、ディーノはまた微笑み掛けてきた。腕を掴んでいたはずのディーノの手は、いつのまにか外れ代わりにバジルの頬や髪を撫でている。
 それでもまだ、どういうことか呑み込めないバジルに、ディーノは言葉を惜しまずその思いを伝えてくれた。
「最初は、勢いとかなんとなくとか、そんなんだったんだけど・・・。いつのまにか、おまえのこと、可愛くて堪らなくなってって・・・オレ以外のもんにしたくなくなった」
「・・・拙者には、ディーノ殿しかいません」
 またバジルが反射的に言葉を返せば、ディーノの笑顔が深くなる。
「うん、これからも、オレだけを見ててくれよ?」
「勿論です・・・」
 そんなの言われなくたって、バジルにはもうディーノしか見えない。今までも、そしてこれからもきっと。
 バジルは目の前で微笑むディーノを控えめに眺めた。やっぱり、見つめられるだけでドキドキさせられてしまうこんなにも魅力的なディーノが、好きだと、そう言ってくれたのだろうか。
「・・・あ、あの、もう一度」
 とても信じられなくてバジルは、震えそうになる声で問い掛けた。
「言ってもらっても・・・よろしいですか・・・?」
「ん? ああ・・・」
 ディーノは笑顔を崩さず、しっかりとした口調で告げる。バジルがずっと、本当は欲しくて堪らなかった、言葉を。
「バジル、好きだ・・・愛してる」
「・・・・・・・・・」
 その瞬間、バジルに湧き上がった喜びは、とても言葉に出来るものではなく、そして一人で抱えきれるものでもなかった。
「ディーノ殿・・・・・・っ!!」
 衝動的に、バジルはディーノに抱き付いていく。それを、おそらくディーノは受け止めてくれようとした、のだろうが。バジルに勢いがあり過ぎたせいか、二人で絨毯へと倒れ込んでしまった。
「あいてっ!」
「す、済みません!!」
 ディーノから声が上がるから慌ててバジルが体を起こせば、ディーノは眼下で気を悪くした様子もなく笑っている。そして伸びてきた手が、また頬を髪を優しく撫でてくるから、バジルは嬉しくて嬉しくて。
「拙者も、ディーノ殿が好きです・・・」
 一年前よりもずっと強くなっている思いを口にして、バジルはさらにディーノへと口付けていった。唇を触れ合わせ舌を絡ませていけば、ディーノは当然のようにそれを受け入れ、応えてくれる。
 バジルは、どうしていいかわからないくらい、嬉しかった。
 しかしハッと、自分がディーノを絨毯に押し付けるようにしていると気付く。慌てて体を起こし離れていこうとしたバジルは、途中でピタリと動きをとめてしまった。
 倒れ込んだ拍子にだろう、ディーノのシャツの裾がめくれ上がっている。そこから覗く、脇腹の刺青に、バジルは目を奪われた。腕と首筋にあるのは見えて知っていたが、こんなところにもあるとは知らなかったのだ。
 白い肌に刻まれた蒼い刺青は、あざやかで美しい。
「・・・すごく、綺麗です」
 バジルがつい手を伸ばして、刺青に指をそわせると、ディーノの体がビクリと震えた。突然で驚いたのかくすぐったかっただけかもしれないが、もし嫌だったからだと思うとバジルは焦る。
「あっ、す、済みません!」
「・・・いや、別に・・・触ってもいいぜ?」
 しかしディーノは、バジルを拒絶していると思われたくないのか、体を起こすこともなくそのままの体勢でそう言ってきた。
 それを、正直に受け取ってもいいのかわからなくて、それでもバジルはやっぱり触りたくてもう一度手を伸ばしていく。
 シャツを少し捲り上げれば、刺青は意外と上のほうまで続いていて、同じように下にも伸びていた。一体どこまであるのか、ズボンの中まで入っていっているその先を思えば、バジルはなんだかドキドキしてくる。
 普通は決して見られない場所にあるその刺青、指に触れるディーノの肌、その感触や温度。バジルはおかしなくらいキスしているときと同じくらい、体が熱くなって何か疼くような感覚に襲われた。
 ディーノにチラリと視線を向ければ、目が合って、引き寄せられるようにキスしていく。また、体温がふっと上がったような気がした。
「ディーノ殿・・・拙者、なんだか、体が熱くて・・・変な気分なのですが・・・」
「えっ・・・?」
 正直に言うと、ディーノが驚いたような顔をするから、バジルは自分が変なのだろうかと思う。
「拙者、おかしいのでしょうか?」
「・・・・・・・・・いや、おかしくはねーよ」
 どこか困った表情で言ってから、しかしディーノは、今度は笑って続けた。
「オレも・・・同じような気分だし」
「そう・・・なのですか・・・?」
 同じと言うわりに、ディーノはいつも通りの表情に見える。が、よく見れば確かに、頬が僅かに熱を持っているような気もした。
 それに、その笑顔。どこがどう、なんてわからないが、でも何かいつもと違うふうにバジルには思えた。いつもバジルを惹き付ける微笑みが、いつも以上にバジルの、何かを煽る。
 合った視線を逸らせないまま、熱を確かめるように頬を撫でていけば、ディーノがハァと息を吐いた。その吐息までもがバジルを引き寄せ、唇が重なると同時にディーノの腕が背を抱いてきて、バジルは眩暈のような感覚を覚える。
 バジルもディーノの体を抱き返そうとして、しかしそこで改めてハッとした。そういえばさっきからずっと、ディーノを絨毯つまり床に押し付け続けているのだ。
 なんてことをしているんだと、バジルは血の気の引く思いだった。
「もっ、申し訳ありません!!」
「・・・・・・え?」
 ディーノが戸惑いを浮かべるのにも気付かず、バジルは慌てて体を起こしてから、ディーノの腕を引っ張って一緒に立ち上がる。
 それから、改めて頭を下げ非礼を詫びた。
「失礼を致しました・・・済みません!」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・ディーノ殿?」
 なかなかディーノが反応を返してくれないから、やっぱり怒らせたのだろうかと、バジルはそーっと視線を上げる。すると、目が合った瞬間、ディーノが噴き出すように笑った。
「ハハハっ、いいって!!」
「・・・・・・は、はい」
 どうしてディーノが笑っているかはわからないが、どうやら機嫌を損ねていないようで、バジルはホッとする。それに、綺麗な微笑みもいいけれど、ディーノのこういう明るい笑顔もとても魅力的で好きだった。
 やっぱり笑うだけでドキドキさせてくれる、この人が自分を好きだと言ってくれている。こんなに幸せなことがあっていいのだろうかと、信じられないくらいだけど、それが現実で。
 舞い上がりそうだからこそ、気を引き締めなければとバジルは自分に言い聞かせた。それから、改めてディーノを見上げる。
「・・・あの、これからも、よろしくお願いします!!」
「ああ、よろしくな」
 少し気負って言ったバジルに、ディーノは自然な笑顔で返して、頬にチュッとキスしてきた。その、僅かな感触も、掛かってくる髪もふわりと香ってくる匂いも、何もかもが相変わらずバジルの鼓動を早めて。
 バジルはくらりとするような感覚を覚えながら、ディーノの微笑みに引き寄せられるように、唇をしっかりと重ねていった。




 END
一年近くまともに返事を返してこなかったディーノさん…
ともかく、これでようやく、正式な恋人同士になりました。
そろそろ本気でバジル君に性教育が必要になって参りました…親方様!!(笑)