ペッパースウィート



 スパナが研究室に篭って、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。
 同じ技術者として、研究に熱中するあまり、という気持ちは正一にもよくわかる。それでも、やっぱり心配でもあるし、正一は様子を見にいくことにした。
 少し外れのほうにあるスパナの研究室の、扉をそっと開ける。防音設備も整っている部屋の内側に入っても、意外となんの機械音も聞こえてこなかった。
「スパナ・・・生きてるか・・・?」
 熱中するとご飯をとるのも忘れてしまう、それがしばしばあることだとやはり同じ技術者として知っている正一は、おそるおそる問い掛けながら足を進めていった。
 大小の鉄くずやら工具が散乱する道なき道の先に、スパナの黄色い頭が見える。
「・・・スパナ!?」
 うつ伏せに倒れているようで、正一は慌てて駆け寄った。スパナは万年床のようなマットレスに突っ伏して、どうやら眠っているようだ。
「・・・・・・はぁ」
 正一は思わず息を吐いてから、隣に腰を下ろしながらピクリとも動かない頭を見下ろした。淡い金髪は、今となってはもうめずらしいものでもないが、それでも素直に綺麗だと思う。
 不精しているだろうに、ボサボサの自分の髪とは違い指通りがよさそうで、正一は少し羨ましかった。と同時に、なんとなく手を伸ばしてしまう。
 触れる、その直前、その頭がピクリと動いた。
「っ!!」
 ついビクリとしてしまった正一は、スパナがゆっくり体を起こしていくのを、ただ見守る。スパナはボンヤリした表情で、頭を掻きながら、正一に視線を合わせてきた。
「・・・おはよ」
「・・・・・・今、夜だけどね」
 正一は一応つっこみを入れてみるが、スパナは聞いているのかいないのか、大きなあくびをしてからモソモソと体を動かす。そして、何かを抱えると、正一に見せてきた。
「いい出来だろう」
「・・・・・・・・・」
 スパナがどことなく誇らしげに持っているそれは、高さ50センチほどの、ミニモスカ、といったかんじのもの。
「随分篭っているから、何を作っているのかと思ったら・・・」
 実用的な兵器か何かかと思えば、どう見てもただのオモチャにしか見えないロボットで、正一はちょっとガクリとした。いや、スパナが一ヶ月も篭っていたのだから、成果はこれだけではないのだろうが。まず自慢げにそれを出してくるところに、正一はちょっとそれはどうなんだろうと呆れたのだ。
 しかし同時に、こういうのが嫌いでない正一は、つい眼鏡を光らせながらしげしげとミニモスカを眺めていく。
「でも、こんな小型で・・・一体、どんな機能がついているんだ?」
「・・・ところで、正一」
 スパナが作り上げたのだから、さぞ性能のいいロボットなのだろう、と思った正一の問い掛けはアッサリとスパナに流された。
「今日は何日?」
「・・・・・・・・・」
 相変わらず何故か繋がらない会話に内心溜め息をつきながら、違う理由で正一の口元が答えを返すのを躊躇う。しかしどうせ、スパナには通じないだろうと、正一は口を開いた。
「・・・12月3日だよ」
「そっか・・・」
 そしてやっぱり、だからどうということもなさそうに、スパナはフラリとちゃぶ台と書いたドラム缶のほうへ歩いていく。
 正一はまた、つい溜め息をついてしまった。12月3日、それは正一の誕生日だ。それを、話したことはあるがスパナが覚えているとも思えなかったから、予想通りではある。それでもちょっと、ガッカリするような気分だった。
 わざわざ誕生日の日にこうやって会いにきた、そのことにもその意味にも気付かれないのは、ありがたい気もするが。やっぱり、なんだか惜しい気もする。
 グルグルと考えてしまう正一の前に、不意にスパナが立った。下を向いていたから気付かなくて、不意打ちのように目の前に見えた顔に、正一はついドキリとする。
「な、何?」
「正一、目を閉じて?」
「えっ?」
 さらにスパナがそう言ってくるから、正一は益々ドキッとした。
「いいから」
「・・・・・・・・・」
 スパナの意図が全くわからなくて、それでも正一は言われた通りに目を閉じていく。どうせ何か悪戯を思い付いたのだろうと、そう思いながらも次の一言に、正一の心臓はさらに鼓動を早めていった。
「口も開けて」
「・・・・・・・・・」
 一体スパナが何をしてくるのだろうと、正一は少し期待してしまいながらも待つ。そして正一の、舌に、何かが乗った。
「・・・・・・ん?」
 正一はパチリと目を開けて、口の中からそれを取り出す。取っ手の付いたスパナ形の、これはスパナがいつも舐めている飴だろうか。つい確かめるようにもう一度口に戻して、齧って。その触感は間違いなく飴で、そしてその味は・・・とんでもなく、不味かった。
「な・・・なんだよこれ!!」
「飴」
「味!!」
「ペッパー」
 スパナはなんでもないことのように答えるが、正一はそりゃ不味いはずだと、口の中に広がるかなり刺激的な味に悶絶する。さすがに気を利かせてくれたのかスパナが差し出してきた緑茶を飲み干してから、正一は肩を上下させながらスパナを睨んでいった。
「な、なんでこんな、変な味のを作ったんだ!!」
「だって正一、好きじゃなかったっけ? なんとかペッパー」
「はぁ!?」
 そんなもの好きと言った覚えのない正一は、首を傾げてから、ハッと思い当たる。
「ブラッド+ペッパー・・・」
「あ、それそれ」
「それは、僕の好きなミュージシャンの名前だよ!」
「・・・勘違い」
 軽く肩を竦めるスパナに対して、正一はガックリと肩を落とした。勘違いでこんな不味い飴を食べさせられたのかと、それからどうしてスパナがわざわざこんな飴を用意しているのだろうと少し疑問に思う。だが、どうせちょっとした好奇心なのだろうと思い直した。
 それよりは、正一的に気になるのは、別のことで。
「・・・で、どうしてわざわざ目を瞑らせたんだよ」
 変にドキドキしてしまったと、それは告げずに問い掛ければ、スパナは首を傾げた。
「・・・サプライズ?」
「・・・・・・・・・」
 全く意味がわからないと、正一は溜め息をもらす。確かに驚かされたが、スパナの表情ではどうせ驚かせようと思った理由も特にはないのだろう。正一は追及するのはやめておいた。
 口直し、と差し出されたイチゴ味の飴を舐める正一に、スパナが不意に言ってくる。
「まぁ・・・とにかく。正一、おめでとう」
「・・・・・・・・・・・・」
 正一は、眼鏡の奥の目を丸くしてしまった。おめでとう、がなんに対しての言葉なのか、全くわからない。
「・・・え?」
「誕生日・・・じゃなかったっけ?」
 しかしスパナがそう言うから、正一はさらに驚いた。まさか覚えていたとは。つまり、さっきの飴は、プレゼント代わりだったということだろうか。
「・・・そ、そうだけど・・・よく、覚えてたな」
「まーね」
 スパナはいつものボンヤリとした表情で、サラリと言った。
「ウチ、どうでもいいことは、忘れるけど」
「・・・・・・・・・」
 裏を返せば、どうでもよくないから覚えていたということだろうか。そう判断してもいいのかと、正一はスパナを見つめた。スパナにとって自分が、少しは特別な存在なのだろうかと。
「スパナ、それって・・・!」
「じゃ」
 しかしスパナは、正一が確認しようとするのを待たず、くるりと踵を返してしまった。そして、フラフラと歩み寄っていったマットレスに、ボスッとうつ伏せに倒れていく。
「スパナ!?」
 具合でも悪くなったのかと、正一が慌てて駆け寄れば、顔と枕の隙間から声がもれてきた。
「ウチ・・・もうちょっと寝るから・・・おやすみ」
「・・・・・・・・・」
 ヒラヒラと振られた手もすぐにパタリと落ちて、小さく寝息が聞こえ始める。
「・・・おやすみ」
 つい律儀に返してから、正一はハァと息を吐き出した。相変わらずマイペースなスパナに翻弄されるように、まともに会話も成立しない。
 出会った頃からそうで、正一だって人付き合いが得意ではないが、スパナはその極め付けだろう。
 なのに、こうやってつい構ってしまう、自分に正一はちょっと呆れた。振り回されてどうせスパナにその気はないだろうにドキドキさせられて、本当に困ってしまう。
 どうでもよく思われているのかと思えば、こうやって誕生日を覚えていてくれて、方向性は間違っている気がするが一応祝ってくれて。
 そのことがとっても嬉しく思えてしまう、それも呆れてしまうが事実だった。
「はぁ・・・」
 ゆっくりと部屋を出ようとした正一は、ふと気付く。ちゃぶ台ドラム缶の上に、いくつも置かれているそれは、さっき食べさせられたペッパー味の飴。
「・・・ブラッドのほうを覚えられてなくてよかった・・・かな」
 思わず呟いてから、そういえばスパナはうろ覚えで勘違いしていたとはいえ、正一自身教えた記憶のないその名を頭の片隅に留めてくれていたらしい。
 いっそ全く関心をもたれていないとわかれば、期待することもないのに。それでもやっぱり正一は、スパナの世界に自分がちゃんと存在していることが、嬉しかった。
「・・・はぁ」
 安らかに眠っているだろう金色の頭を見つめ、人の気も知らないでと、正一はつい溜め息をつく。それから、食べるかどうかはまた悩むことにして、スパナが作ってくれたペッパー味の飴を一応全部回収しておいた。




 END
甘い!わけではないけど、全く甘くないわけでもない話。のつもりです。
とはいえ、スパナにその気があるのかは、謎です(笑)