六年ぶん



 滑らかな頬に触れ、やわらかな唇に口付けて。溢れ出す愛しさと喜びは、大き過ぎて逆に怖いくらいだった。抱きしめている腕を解いていけば、全部嘘だったと言われてしまいそうで。
 それでも、ずっとこのままこうしているわけにはいかなかった。いっそ忘れてしまいたいくらいだが、フゥ太は今仕事中なのだ。
 名残惜しくて最後にチュッと頬にキスしてから、フゥ太はディーノから腕を離す。
「ごめん、戻らないと」
「・・・ああ、そうだな」
 頷いたディーノは、フゥ太の視線を受け、ぎこちなく顔を俯けていった。気まずそう、というよりは恥ずかしそうな、その熱を持った頬に触れたい。もう一度抱きしめて、キスしたい。
 ふつふつと湧き上がる思いを、フゥ太はどうにか抑え付けた。これ以上すれば、本当に仕事に戻れなくなってしまう。
 でもやっぱり、今日このまま別れたくはなかった。それこそ、この短い時間のことが夢だったとしか思えなくなりそうだ。
「・・・パーティーが終わったら、ディーノ兄のところ行ってもいい?」
 フゥ太は欲求に素直に、しかしなるべく純真なお願いに見えるように表情を繕いながら、問い掛けた。ディーノは少し間を空けてから、問い返してくる。
「・・・仕事はいいのか?」
「問題ないよ」
 フゥ太がキッパリと答えれば、ディーノは「わかった」と頷いた。


 パーティーが終わり、フゥ太はディーノと共にキャバッローネの屋敷に向かった。そしてそのまま、ディーノの部屋で二人っきりになって。
 フゥ太はつい、すぐにディーノを抱きしめていった。少し驚いた表情をしたディーノは、それでもさらに口付けていくフゥ太を拒まない。
 応える、というよりは受け止める、という表現が合う素振りだが、フゥ太にとってはそれで充分だった。ディーノを自分の腕で抱きしめその唇にキス出来る、それだけで。
 一先ず満足してそっとフゥ太が腕を解くと、ディーノは数歩後退した。
「・・・わ、ワインでも飲もうぜ」
「そうだね」
 気を取り直すように言ったディーノに、フゥ太も同意する。まだ戸惑いや躊躇が見えるディーノに、早急に迫るつもりはなかった。今日はただ、共に寄り添って過ごせればそれでいいとフゥ太は思う。
 ワインとグラスの用意をするディーノを、フゥ太はソファで待った。
「赤でいいか?」
「うん」
 フゥ太が頷くのを確認してから、ディーノはテーブルに赤ワインの瓶とグラスを置く。それから、動きをとめるディーノは、おそらくフゥ太の隣に座るか向かいに座るか悩んでいるのだろう。
 フゥ太が腕を引くと、ディーノは僅かに視線を泳がせてから、そのまま隣に腰を下ろした。
「・・・そういえば、まだ酒飲める年齢じゃないんだよな」
 ディーノはそう言いながらワインをグラスについで、フゥ太に差し出してくる。受け取ったフゥ太は、ディーノの用意が整うのを待ってから、乾杯をした。
「誕生日おめでとう、フゥ太」
 今日初めて、ディーノがフゥ太に屈託なく笑い掛ける。一年前に好きだと告げてから、ディーノはフゥ太に対してちょっとぎこちなくなった。意識されているということだから嬉しかったが、こんなふうに昔のように笑い掛けてもらえるのも、とても嬉しい。
「ありがとう」
 フゥ太もニコリと笑い返して、確かにこの歳でもういつのまにか覚えてしまったワインを喉に流し込んだ。同じように喉を鳴らしたディーノが、隣でワインの味に満足そうに笑う。
 自分に向けられていなくても、やっぱりディーノの笑顔は魅力的で。その綺麗に微笑む唇に、口付ける権利が本当に自分にあるのだろうかと、フゥ太はやっぱりまだ信じられなかった。
 そっと手を伸ばして、微かに髪に触れると、ディーノがピクリと反応して顔を向けてくる。ゆっくりとその唇にキスしていけば、ディーノはやっぱり拒まなかった。
 しっかりと触れさせてから、チュッと音をさせて離れていけば、ディーノは落ち着かないように視線を伏せる。
「・・・その、好きだな」
 おそらく、パーティー途中のあのときから何度もキスしているから、そのことを言いたかったのだろうが。フゥ太は金糸を撫でていた指を、頬へと滑らせながら答える。
「うん、好きだよ、ディーノ兄」
「・・・いや、そうじゃなくて・・・」
 ちょっと困ったような顔をするディーノは、フゥ太の指がゆっくり唇をなぞり始めて、言葉をとめた。
「だって、今でも夢みたいだから・・・。本当なのかなって、つい確かめたくなるんだ」
「・・・・・・」
 何度も何度も、ディーノが受け止めてくれるのを確かめて。それでもフゥ太は、やっぱりまだ信じられない思いだった。
 六年も、ずっと片思いしていたのだ。ずっと、幼い自分ではきっと無理だと、見ているしか出来なかった。
 告白したところで、振り向かせられる自信もなくて。あるのはただ、ディーノがどんな答えを返そうと、変わらないだろう強い思いだけだった。
 嬉しくて堪らないけど、どうしてだろうと不思議で、全部幻だったほうがよっぽどあり得そうに思えて。それなのに。
 懲りず口付けていき、受け止めてくれるそのやわらかさに、これが現実なのだと確かめる。
「・・・嬉しいよ、ディーノ兄」
「フゥ太・・・」
 ゆっくりと自分の腕でディーノの体を抱きしめていく、そうすればまたフゥ太の中で溢れ出した。喜びと、ディーノへの愛情と、欲望。
 鼻腔をくすぐる、やわらかい髪から香る匂いに、胸が焦れたように熱くなりながらフゥ太は思う。早く、全部自分のものにしたい、どこまでも許されるのだと知りたい。
「・・・そういえば、今日返事してもらうっていうのは、去年の誕生日プレゼント代わりだったんだよね?」
「え、あ・・・そうだったな」
 唐突な語りだしに思えたのだろう、ディーノは少し戸惑った声色で肯定した。フゥ太は一旦腕を解いて、ディーノを見つめる。
「だから、ディーノ兄・・・今年のプレゼント、貰っていい?」
「そりゃ・・・オレに、可能なことなら・・・」
「ディーノ兄にしか出来ないことだよ」
 去年と同じ返しをするディーノに、フゥ太も去年と同じ言葉を返した。
「ねえ、ディーノ兄・・・ディーノ兄を、僕にちょうだい?」
「・・・それって」
 去年も言われたとディーノが眉をしかめるが、フゥ太は首を横に振ってから言い直す。もっと直接的な、欲望を伝える言葉に。
「ディーノ兄を・・・抱かせて?」
「・・・・・・え・・・っ?」
 目を少し丸くしたディーノを、もう一度抱きしめていきながら、フゥ太は繰り返した。
「ディーノ兄を、抱きたい」
「・・・・・・・・・」
 腕の中の体が僅かに竦んでいるのに気付いていても、言葉はとめられずフゥ太の口からもれだす。
「僕、出会ってから・・・6年間ずっと、ディーノ兄のことが好きだった。ディーノ兄を僕のものにしたかった」
「・・・フゥ太・・・」
「抱きたいって、思ってる」
 フゥ太もすぐにディーノが応えてくれるなんて、期待はしていない。ただ、自分がそう思っているのだと、ディーノに知って欲しかった。それでも、受け止めてくれるの、と問いたかったのだ。
「・・・・・・・・・」
 ディーノは少し身動ぎして、フゥ太が腕の力をゆるめると、まるで逃げるように体を引いて立ち上がる。
 そのまま歩き出したディーノは、途中で一度促すようにフゥ太を振り返るから、フゥ太も腰を上げた。今日はこのまま帰らされてしまうのだろうか、それも仕方ないだろうと思う。
 ディーノが向かったのは、しかし部屋の外へ出る扉ではなかった。ディーノはその部屋へ入ると、中央に置かれた大きなベッドの端に腰掛ける。
「・・・ディーノ兄?」
 そこはどう見ても寝室で、どういうつもりなのだろうとフゥ太が入口で問い掛ければ、ディーノは視線を向けては来ずに答えた。
「・・・するんだろ? それとも、先にシャワー浴びるか?」
「・・・・・・」
 とてもこれから情事に耽ろうとしているようには見えない、俯いて硬い表情のディーノに、フゥ太は苦笑する。
「いいよ、無理しなくても」
 今日のところは、いい返事が聞けただけで満足だった。フゥ太はゆっくり歩み寄って、近付く気配にやっぱり僅かに体を強張らせるディーノの、額に軽くキスをする。
 抱きたい、それは本心だけれど。ディーノに無理を強いたくないし、応えようとしてくれる気持ちだけで、充分だと思う。
 もう今日は帰ろうと、ディーノから離れようとしたフゥ太の腕が、しかし強く引かれた。
「・・・っ!?」
 予期していなかった力を加えられ、フゥ太の体はバランスを崩してベッドへと倒れ込む。それはちょうど、ディーノに覆いかぶさるような体勢だった。
 軋むベッドの上、すぐ真下にディーノの体。フゥ太は心臓がドクリと鳴り、一気に体が熱を帯びるのを感じた。
 いくら何もするつもりはなくても、こんな体勢ではいつまで我慢出来るかわからない。慌てて離れようとしたフゥ太を、しかしディーノが腕を掴んでしっかりと引き止めてきた。
「・・・ディーノ兄?」
 戸惑うフゥ太を見上げ、ディーノは問い掛けてくる。
「フゥ太・・・オレのこと、ずっと思っててくれたんだろ?」
「・・・うん」
 フゥ太はつい、正直に答えた。
 初めて会ったときから、ずっとずっと、フゥ太はディーノだけを見ていたのだ。純粋に思えた好意が、すこし質を変えて、誰にも渡したくないと自分だけのものにしたいと、ときに醜いほどの執着を感じながら。
 ただただ、好きだった。
「好きだよ・・・ディーノ兄、好き」
 そんなディーノに好きだと言って、それを受け止めてもらえる。それはフゥ太にとって本当に、ずっとずっと願って望んで、だからこそ現実なのだと信じられないくらいの、喜びで。
「好き・・・」
 真っ直ぐディーノの瞳を見つめて伝えながら、フゥ太は体以上に、感情が昂ぶってしまうのを感じた。つい何度も呟くように言うフゥ太に、ディーノはゆっくりと手を伸ばしてくる。
「フゥ太・・・ありがとな、ずっとオレのこと好きでいてくれて」
 優しくフゥ太の頬に触れながら、ディーノは小さく微笑んで、言った。
「・・・好きだよ」
「ディーノ兄・・・」
 やっぱり夢なのではないかと、フゥ太は思ってしまう。今日パーティーでディーノと会ってから今までの出来事が、全部現実だなんてとても信じられないくらい、自分に都合がよ過ぎる気がして。
 フゥ太はまた、確かめるようにディーノへと口付けていった。唇を摺り合わせ、舌でペロリと舐めると、閉じていったディーノの目蓋が震える。それからゆっくりと、まるでフゥ太を招き入れるように、その口を開いていった。
 その仕草だけでクラリと眩暈のようなものを感じながら、フゥ太はより深くディーノと唇を合わせていく。同時にディーノの体を抱きしめていき、もうとまれない程の昂ぶりを感じた。
 腕の中のディーノの体は、やっぱり少し強張っている。当然だろう。それでもディーノは、フゥ太の6年分の思いに、応えようとしてくれているのだ。
「ディーノ兄・・・」
 愛しくて堪らない思いに従って、髪を撫で頬を摺り寄せ口付けを落としていく。
「・・・そうだ、フゥ太」
 すると、ディーノがふと、フゥ太の口元に指を添えてきた。もう片方の腕はいつのまにかフゥ太の背にまわり、まだ控えめにでもフゥ太を見つめ、囁くような小さな声で。
「もう・・・その呼び方は、なしな」
「・・・・・・うん」
 フゥ太は胸が締め付けられるような思いになりながら、踏み出してきてくれたディーノにまたキスを落とし、その体を強く抱いていった。
 そして、口付けの合間に、もう抑える必要のない愛情と欲望を込めて。
「ディーノ」
 と、名を呼んだ。




 END
ディーノが借りてきた猫のようにおとなしい…。
毎度のことながら・・・エロの直前で終わって、大変申し訳ない気分です…(笑)