change the world



 一目見た瞬間、好きになってしまった。
 バジルが家光の指令通り、日本にハーフボンゴレリングを届けに来て、ヴァリアーの男と戦闘になり。バジルではとても歯が立たず危機的状況の中、彼は現れたのだ。
 キャバッローネ10代目「跳ね馬」ディーノ、バジルはその名を聞いたことは当然あったが、目にするのは初めてだった。
 一目惚れ、としか言いようがない。そんな状況ではないとわかっていながら、バジルは自分に湧き上がった思いを、ごかましも疑いも出来ず自覚してしまった。
「大丈夫か? すぐ病院に連れてってやるからな」
 敵を退けたディーノは、自らバジルに肩を貸して車まで連れていってくれる。そのまま隣に乗り込んでくるディーノを、バジルはつい傷が痛むのも忘れて見上げた。
「ディーノ・・・殿・・・」
「心配すんな、楽にしてろ」
 安心させるように笑って言ってくれるディーノへと、バジルは思わず身を乗り出して、勢いのまま一息に言葉にする。
「拙者・・・ディーノ殿に惚れてしまった模様です! 宜しければお付き合い下さい!!」
「・・・・・・・・・」
 ディーノが目を丸くしたが、バジルはそんな反応も気にならず、取り敢えず伝えた満足感から気が抜けて意識が遠のきかけた。
 が、そんなバジルの耳に思いもしない言葉が届く。
「じゃ、よろしくな」
「・・・・・・・・・えっ!?」
 驚きでつい見開いたバジルの目に、ディーノの笑顔が映った。しかしバジルは、そこで今度こそ気力の限界を迎え、気を失ってしまう。
 そして、目を覚ましたとき、バジルはベッドの上だった。どうやら怪我の手当てもしてくれているらしく、痛みはあるがバジルはそれよりも気になる。
 不覚にもハーフボンゴレリングを取られてしまったあと、いろいろとどうなったのか。それから。
「ディーノ殿・・・」
 バジルはベッドの上で思わず呟いた。さっき出会ったばかりの人なのに、思い浮かべるだけでバジルの胸は高鳴る。
 一瞬で好きになってしまった。その思いのまま、なんだかディーノに告白してしまった気がするが、その記憶は正しいのだろうか。
 さらにそのあとのディーノの言葉なんて、自分に都合がよ過ぎで夢で見たとしか考えられない気がするけど、とバジルは首を捻りながら思い返していった。
 すると、不意に部屋のドアが開いてそのディーノが入ってくるから、バジルはドキッとしてしまう。
「ディーノ殿・・・っ」
 思わず体をガバリと起こしたバジルは、体が軋んで呻いてしまった。
「おい、無理するなよ」
「いえ、大丈夫です・・・」
 それよりも、バジルは状況がどうなっているのかが気になって、とても寝ている気分ではない。
 ディーノはそれを読み取って、ベッド脇の椅子に腰を下ろしながら大体のことを教えてくれた。本当のハーフボンゴレリングはディーノが持っていたこと、自分がおとりだったこと、作った時間でヴァリアーを迎え撃つ準備をすること。
「・・・あの人も、考えてのことだったと思うし」
「はい、さすが親方様です!」
 気を悪くしないように、と気遣うようなディーノの口調には気付かず、バジルは上司の判断に感服した。そして、ということは自分もどうやら無事役目を果たせたようで、ホッとする。
「親方様の思う通り、上手くいったようで安堵しました」
「・・・さすが、家光の弟子だな」
 するとディーノがねぎらうように、微笑んで頭を撫でてくるから、バジルはまたドキッとしてしまった。途端に、自分の告白のことが気になりだす。
「・・・あの、ディーノ殿」
 バジルは率直に、本人に確かめることにした。
「拙者は・・・ディーノ殿に、告白しましたか?」
「・・・ああ、聞いたぜ」
 しっかりと頷いて返され、やっぱりあれは現実だったのだとバジルは確認する。だとしたら、あのディーノの返事は、あれも現実なのだろうか。
 それを確かめるのはさすがにちょっと心の準備がいって、すぐに問い掛けられないバジルに、しかしディーノがアッサリと言ってきた。
「で、オレがよろしくなって答えた」
「・・・・・・えっ!?」
 やっぱり、それも記憶間違いや夢ではなかったのだ。でもどうしてなのか、ディーノがどういうつもりなのかバジルはわからない。
「あの・・・」
 しかし尋ねる間もなく、不意にドアがノックされ、ディーノが苦笑した。
「しばらくは、落ち着く暇もなさそうだな」
 そして立ち上がり際、ディーノはもう一度バジルの頭を優しく撫でてくる。
「またな」
「あ、はい、また!」
 思わず礼儀正しく返事をしながらバジルはディーノを見送った。そういえば、今大変な状況なのだ。これから、ボンゴレ10代目の座を巡る争いが否応なく始まる。
 そう、気を引き締めようと思っても。
 よろしくな、と言ってくれたディーノをつい思い出して、バジルは嬉しくなってしまった。


 それから間もなく、やはり争いは避けようがなくて、リング争奪戦が始まった。
 バジルはツナの修行に付き合うことになり、ディーノはどうやら雲の守護者の家庭教師をすることになったらしく、あまり二人でゆっくりと過ごす機会はとれなくて。
 それでも、何度か話をした。ディーノが部下がついていないときは何故か途端に弱く不器用になることも、実際に見て彼の部下から聞いて知り、バジルはなんだか余計にディーノのことを好きになってしまう。こんなときに、そう思ってもやっぱり、ディーノに惹かれる気持ちはとめられなかった。
 そして、お互いの修行も一段落し、大空戦を今夜に控えて。ようやく、少し落ち着いて話をすることが出来た。
 勿論、状況が状況だから、呑気に会話を楽しむわけにはいかない。ディーノの部下が淹れてくれたコーヒーは、バジルの口にはただ苦かった。
「家光たちは、まだボンゴレを出られないみたいだ」
「そうですか・・・」
 重苦しい話題に溜め息がもれそうになりながら、バジルは隣に座るディーノにおそるおそる確かめる。
「その、9代目は・・・」
「・・・まだ、予断を許さない」
「そうですか・・・」
 厳しい状況で、でも自分には何も出来ないのが歯痒かった。こうやって、少し落ち着いていられるのも、逆を言えばもう手の尽くしようがないからなのだ。
「もう・・・オレたちには何も出来ねーもんな」
 ディーノもバジルと同じ思いを抱いているのだろう。結局部外者の自分たちには、もう今日の大空戦も見守ることしか出来ない。
 不甲斐ないと言いたげに、頭を押さえハァと溜め息をつくディーノに、バジルは思わず声を掛けた。
「でも、ディーノ殿は精一杯のことをされたと思います!」
 ボンゴレ同盟ファミリーのボスでありながら、ディーノは危険を承知でツナたちに手を貸し、自ら家庭教師だって買って出たのだ。普通出来ることではないと思う。
 バジルがおこがましいだろうかと思いながらも励ますように言うと、ディーノは苦笑いしながら、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
「それは、おまえだってだろ?」
 その指が、修行中に出来た頬の傷をそっと撫でるから、バジルは途端に鼓動を早める。
「い、いえ、拙者はその・・・」
 こんな状況だと思っても、ディーノに触られれば、つい顔が熱を持っていくのを感じた。そんなバジルを覗き込むようにして見つめ、ディーノが逆に励まし返すように、頼もしい笑顔でしっかりした口調で言う。
「大丈夫だ、こんな戦いは今日で終わる。ツナたちが勝って」
「・・・はい」
 バジルもそう信じていた。頷いて同意すると、ディーノがふっと笑って。指の代わりに、今度は唇で傷へと軽く触れてくるから、バジルは息を呑んだ。
 至近距離で目が合って、心臓がドキドキしながらも、そのまま自然と唇を合わせる。やさしく触れてくる感触に、バジルは今日の戦いのことも全部、少しの間忘れた。
 でも、離れればすぐに現実を思い出してしまう。
 ただ幸せに浸ってはいられないと思うバジルに、しかしディーノは明るい声で語り掛けてきた。
「そしたら、二人でゆっくりしような」
 この戦いが、終わったら。
「・・・はい!」
 思わず意気込んで返事をするバジルに、ディーノはやっぱりやわらかく笑い掛けて。
 どちらからともなく、もう一度、キスをした。


 リング争奪戦は無事にツナたちの勝利で幕を閉じる。しかし、バジルにはゆっくりする余裕など、与えられなかった。
 早々に家光から招集され本国に戻ったバジルは、ディーノとゆっくりするどころか顔を合わせることも出来ないまま、気付けば10年後の世界に送られてしまったのだ。
 「助太刀の書」と日本へ向かう道中の出来事で、この時代のおおよその状況は掴めて。つい先日までのリング争奪戦がなんだったのかと思えるような過酷な状況に、バジルは驚きながらも、敢えて考えないようにしていた。
 果たしてこの10年後の世界で、仲間や友や、ディーノが無事でいるのか。
 指令書にこの時代の戦い方と向かうべき場所が書かれていて、それに従ってバジルは日本のボンゴレアジトへと辿りついた。そこで、ツナたちと顔を合わせて、つい数日前に別れたときと変わらぬ様子にホッとする。
 そして、この10年後の世界でもディーノが健在なのだと、その姿を見て知って、心の底から安堵した。しかしバジルは同時に、大変な状況だと思いながらも、つい気になってしまう。
 ディーノは、笑顔も頼もしさも相変わらず部下がいないと運動神経が低下するところも、魅力は全然変わっていなかった。それでも、このディーノは、バジルの知っているディーノではない。バジルの知らない10年の歳月を経た、ディーノなのだ。
 そんなディーノと自分が、この世界ではどうなっているのだろう、バジルはどうしてもそれを考えてしまった。
 普通に考えれば、10年経ってもディーノが側にいてくれるなんて、そんなのあり得ないだろう。付き合ってくれると確かに言ったが、いくらでも選択肢があるだろうディーノが、10年の間に他の人を選んでいる可能性は高いだろうとバジルには思えた。
 ディーノとキスをしたあのときが、なんだかすごく昔のことのように感じられる。
 疑問というより不安を抱えながらも、バジルはそれを紛らわせるように修行に打ち込んだ。同じように忙しくしているディーノとは、なかなか会うこともなく。
 しかしある夜、バジルは何か飲もうと向かった食堂で、偶然ディーノの姿を見てしまった。
 ディーノの部下もいるとはいえ、二人でこうやって顔を合わせるのは初めてで、バジルは少し緊張してしまう。10年の歳月を経たディーノと、どんなふうに接すればいいのだろうか迷った。
「よお、バジル。修行、頑張ってるみたいだな」
 いっそ言葉は交わさず立ち去ろうかと思ったところに、ディーノが気さくに声を掛けてきてくれるから、バジルはホッとすると同時に少しドキリとする。
「・・・いえ、まだまだです!」
「そうか? バジルらしいけど・・・無理はするなよ?」
 ディーノは優しい口調で言ってから、手にしていたコーヒーカップを、ふと思い出したように持ち上げた。
「バジルも飲むか?」
「・・・では、頂きます」
 ちょうど作ったばかりのところだったらしく、ディーノは自らバジルの分も用意してくれる。そしてカップがテーブルに無事二つ置かれるのを見届けてから、気を利かせたのか部下の人たちは下がっていった。
「あ、ありがとうございます・・・」
 すぐ隣の椅子にディーノが座ってくるから、バジルは反射的にドキッとしながらコーヒーカップを引き寄せる。動悸をごまかすように口をつけ、そしてハッとした。
 そのコーヒーは、ミルクと砂糖の入った、バジルの好みに合わせた味だったのだ。まだバジルがディーノに教えていないことを、このディーノは知っている。
 不思議な気分でバジルがそっとディーノに視線を向けると、同じようにディーノもバジルをジッと見つめていた。
「10年前か・・・懐かしいな」
「・・・・・・」
 自惚れだろうか、その自分に向かう眼差しが妙に優しい気がして、バジルはドキドキしてしまう。やっぱりまともにディーノへ視線を向けられなくなってしまった。
 またごまかすようにコーヒーを啜るバジルへと、ディーノが問い掛けてくる。
「ちょうど・・・リング戦が終わった頃だったよな?」
「はい・・・」
 記憶を辿るようなディーノの言葉に、そうなんだ、とバジルは改めて実感した。
 目の前のディーノは、あの頃の自分たちにあったことを、全部知っているのだ。バジルがディーノに告白したことも、付き合ってもらえるようになったことも。
 当時のディーノだって充分大人に見えたが、それよりさらに年を重ねたディーノは、きっと今ならお見通しなのだろう。ディーノを前にしたバジルが、いつもどうしようもなくドキドキしていることだって。
 そう思えば、バジルはちょっと気が楽になって、でも懲りずにどうしても気になってしまった。
 このディーノは、あの頃の二人に起こったことを知っている。そして、バジルが知らない、その先のことも知っているのだ。
「・・・あの、ディーノ殿・・・」
 未来を覗き見することに対するうしろめたさ、そしてその未来自体に対する不安で、バジルの胸はざわめく。
「その・・・拙者たちは・・・」
 聞いてもいいのだろうか、聞かないほうがいいのだろうか。迷いがバジルの言葉を澱ませた。
 それでも問いたいことは伝わったようで、ディーノはまるでバジルの覚悟を計るように見つめてくる。
「・・・オレたちがどうなってるか、知りたいか?」
「・・・・・・・・・」
 聞けばわかる、そう思うとバジルはやっぱり怖くなった。
「やはり・・・聞かないほうがいいのでしょうか・・・未来のことは」
 あまり未来のことを知るのはよくない、という理屈はバジルにもわかる。でもそれ以上に、望まざる未来を目の当たりにする勇気が、バジルはどうしても持てなかった。
「そういうもんらしいな・・・。でも、どっちにしても」
 肯定したディーノの口調が、しかし途中で少しトーンを変える。ふっと軽くなった気がして、バジルはつい顔を上げた。
 ディーノは正面からバジルを見つめ、確かに見覚えのある笑顔を浮かべる。
「おまえが元の世界に帰って・・・どうするのか次第、だからな」
「・・・拙者次第ですか?」
「だって、そうだろ?」
 ゆっくりとバジルの手を取りながら、ディーノはしっかりとした口調で言った。
「今この世界で、オレたちがどうなっていようと・・・これからおまえたちがどうなるのかは、おまえたち次第だ」
「・・・・・・・・・」
 バジルの両手を掴む手以上に、力強くディーノの言葉がバジルに届く。
「たとえば、おまえがオレと10年後も一緒にいたかったら・・・離さなきゃいいだけだろ?」
「・・・・・・・・・」
 しっかりと握られた手を見つめ、バジルは確かにその通りだと思った。
 バジルたちは未来を変える為にこの世界に呼ばれたのだ。そう、未来は変えられる。自分が頑張れば、ディーノとだってずっと、一緒にいられる。
「・・・はい! その通りです!!」
 バジルは目の前がパッと明るくなったような心地がした。その様子にディーノは笑って、ゆっくりバジルから手を離して、しかし今度は苦笑いする。
「でも、バジル・・・」
「はい?」
「10年経ったらオレがこうなってるんだって・・・ガッカリしたんじゃねーの? オレ、もう32だしな、冷めたんじゃね?」
「いえ!!」
 バジルは即座に否定した。ガッカリなんてとんでもない。10年経ったって、どうしてディーノはこんなに魅力的なんだろうと、バジルは不思議ですらあった。
 勿論それは、30を超えているとは思えないほど若々しい外見のことだけではない。
「ディーノ殿は変わらず素敵です! 拙者は惚れ直してしまいました!!」
「・・・・・・ハハ、そっか」
 ディーノは目を丸くして、でもすぐに少し可笑しそうに笑った。
 10年前のディーノの延長線上に、このディーノがいるのだから当然だが。バジルはその表情に、つい半月ほど前に出会ったディーノの笑顔を思い出す。
 早く会いたい、話したい、今度こそゆっくり二人で過ごしたい。バジルは改めて強くそう思った。
「・・・でも、ま、せっかくだし」
 ディーノはコーヒーを飲んでちょっと間を空けてから、問い掛けてくる。
「今、10年前のオレとのことで何か不安や疑問に思ってることとか、あるか? それくらいなら、オレが教えてもあんまり問題にはなんねーだろ」
「・・・・・・・・・」
 確かに、バジルは疑問に思っていることがあった。
 ディーノはどうして自分の告白に応えてくれたのだろう。少しは自分と同じように、好きだと思ってくれているのだろうか。
 目の前のディーノは、その答えを知っているのだ。未来を覗き見るのとは違うかもしれないが、それでもバジルは、やっぱりこんな形でそれを知るものではないと思う。
「・・・いえ、いいです!」
「いいのか?」
「はい・・・それは、拙者が自分で、ディーノ殿と確かめていきます!」
 大事なことだからこそ、バジルにとってのディーノ本人から、直接聞きたかった。
 ハッキリと言ったバジルに、またディーノが少し目を丸くしてから、ふっと笑う。そして、ゆっくりとバジルのほうへ身を乗り出してきた。
「じゃ、せめて・・・いーこと教えてやるよ」
「・・・えっ?」
 近付く距離に、ついドキッとしてしまうバジルへと、ディーノはすぐ目の前であざやかに微笑む。さらに、潜めた声で、耳打ちしてきた。
「オレは、耳と刺青が弱ぇーんだ」
「え・・・・・・」
 すぐに意味を取れないバジルに、頬に唇を掠めさせてからディーノは戻っていく。
「・・・・・・っ!!!」
 そのキスと、それからディーノの発言の意味するところを理解して、バジルは火がついたように真っ赤になってしまった。
 その上、今さらのようにパッと身をうしろに引いて、当然椅子から転げ落ちてしまう。
「大丈夫かー?」
 そんなバジルの反応を面白がるように笑いながら、ディーノは手を差し伸べてくれた。ちょっと恥ずかしくなりながらもその手を取るバジルへ、腕を引きながらディーノが口を開く。
「バジル、この戦いもきっと、すぐに終わる」
「え?」
 なんだか聞き覚えのあるセリフに、バジルは目を丸くしてディーノを見上げた。バジルを真っ直ぐ見つめてくる眼差しは、やっぱりとても優しい。
 10年前よりも少し落ち着いている気がする声が、バジルの脳裏に思い出される大空戦前のセリフに、かぶさるように言葉を紡いだ。
「そしたら今度こそ、二人でゆっくり・・・しろよ?」
「ディーノ殿・・・」
 10年も前のやり取りをディーノが覚えてくれていた、そのことがバジルは嬉しい。それに、なんだか妙な話だが、ディーノとのことをディーノ本人が応援してくれているような気がした。
「はい!」
 バジルが張り切って返事をすると、ディーノは頷きながら笑う。
 バジルが10年後のディーノに、ディーノを見たように。10年後のディーノもバジルに、10年後のバジルを見ているような気がした。
 その瞳に宿る、優しく慈しむような愛情、で。


 未来での戦いも終わり、無事に戻ってきたバジルは、ようやく念願のときを迎えていた。ディーノの屋敷に招かれて、二人でゆっくりと過ごすことになったのだ。
 ゆったりと並んでソファに身を落ち着けるなり、ディーノが労わるようにバジルの頭を優しく撫でてくる。
「大変だったな・・・」
「はい・・・でも、いい経験が出来ました!」
 確かにとても大変だったけれど、今となってはかけがえのない体験だったと言えるし、少しは成長出来た気もしていた。
「そっか・・・」
 バジルの頭を引き続き撫でまわしながら、ディーノは少し目を細めて見つめてくる。
「なんか、逞しくなったな」
「・・・ありがとうございます!」
 そう言ってもらえると嬉しくて、バジルは自然と顔を綻ばせた。しかしディーノは反対に、笑顔を苦笑いに変えていく。
「オレ・・・また何も出来なかったな」
「ディーノ殿・・・」
 自嘲するようなディーノの、気分はバジルにも想像が付いた。
 大切な人が命を懸けて戦っているのに、自分は何もしてあげられない、その歯痒さは身に覚えのあるものだ。
 今回ディーノは、見守ることすらも出来なかったのだから、なおさらだろう。
 その悔しさも申し訳ないと思う気持ちもわかるけれど、バジルはディーノが何も出来なかったとは思っていなかった。
「そんなことないです!」
 バジルは力強く否定する。10年後のディーノは自分の力になってくれたし、何より。元の世界に戻ってディーノと、その思いがバジルをどれだけ励ましてくれただろう。
「早くディーノ殿に会いたくて、拙者は頑張れました!」
「・・・そっか」
 バジルが正直に言うと、ディーノは少しは気が楽になったのか、笑ってくれた。ホッとしたバジルは、しかしすぐにドキリとさせられてしまう。
 ディーノに、抱き寄せられたのだ。ギュッと抱きしめられて、それだけディーノが自分のことを心配してくれていたのだと思えば、申し訳ないと同時にやっぱり嬉しい。
 バジルも腕を伸ばして、そろりとディーノを抱き返した。ずっと、こんなふうにディーノと寄り添って過ごしたいと思っていたから、バジルは幸せを感じる。
「ようやく、ゆっくり出来るな」
「はい・・・」
 ディーノもこうして自分と過ごせるのを待ってくれていた。そう思えばバジルは益々嬉しい。
 どうしてディーノが自分と付き合ってくれるのか、やっぱりよくわからないけれど。今はこうしてくれるだけで充分だと、バジルは思った。
 半ばウットリするように身を預けていたバジルは、しかしふと、そういえば10年後のディーノが言っていたことを思い出す。ちょうどすぐ目の前に、ディーノの耳が見えたのだ。
 とはいえ、いつものように髪でほとんど隠れているが。それでもすぐ間近にその存在を認識すれば、バジルはつい確かめたくなってしまった。
 どうしようかと考え、でもやっぱり気になるから、手を伸ばす。
「・・・バジル?」
 じゃまな髪をどけるとディーノが不思議そうにしたが、バジルはそのまま近付いて耳へチュッとキスをした。
「・・・ひゃあ!?」
 するとディーノが、声を上げて慌ててバジルから離れていく。あっというまに顔が真っ赤になりながら、バジルの唇が触れた耳を押さえてソファの端に張り付いていった。
「な、な・・・」
 その動揺する様子は、どう見ても驚いたからだけではないだろう。
「ディーノ殿のおっしゃった通りだ・・・」
 本当に耳が弱いんだ、とバジルが思わず呟くと、思わぬ形で弱点をばらされたディーノはさらに動揺した。
「な、何吹き込まれたんだよ!」
「いえ・・・」
 あとは刺青も弱いと聞いたが、この様子では多分それもその通りなのだろう。とはいえそれは、まだ確かめられそうもない。
 それよりもバジルは、今まで見たこともないディーノの反応、表情に目を奪われていた。
 落ち着いていたり頼もしかったり、バジルの前では悠然と笑っていることが多かったディーノの。焦った表情や紅潮した頬に、バジルはまたずっとディーノのことを好きになってしまった自分を感じた。
「・・・ディーノ殿! 拙者は頑張ります!」
「ん・・・? あ、何?」
 ディーノが逃げていった分、近寄っていきながらバジルは意気込んで言う。繋がらない会話にディーノは不思議そうにしていたが、バジルは気付かず続けた。
「10年後もディーノ殿と一緒にいられるように頑張ります!」
「・・・・・・・・・」
 するとディーノが、眉をひそめながら控え目に問い掛けてくる。
「えっと・・・そうじゃなかった・・・みたいなのか?」
 バジルが張り切っているのは、そうでない現実を未来で見たから、だとディーノは思ったのかもしれない。そこは確かめていない、とすぐに答えようとしたバジルだが、ふと問い返してみた。
「心配ですか?」
「・・・そりゃあ・・・な」
 答えが返ってこず落ち着かないのか、ディーノは窺うようにバジルを見ながらボソリと答える。
 バジルが、やっぱりそうだろうかと思いながらも、ディーノの側にいられなくなっている未来をおそれたように。ディーノも同じように不安に思ってくれているのなら、バジルは嬉しかった。
 心配に思うということは、10年後も一緒にいられればいいと、ディーノも考えてくれているということだから。
「拙者たちが10年後どうなっているのかは、聞きませんでした」
「・・・そっか」
 ディーノが少しホッとしたように息を吐いた。10年後のディーノがしてくれたように、バジルはそんなディーノの手をギュッと握っていく。
「ディーノ殿と拙者が、そういう気持ちでいたら、きっと大丈夫です!」
 少なくともバジルは、たとえ気紛れだろうと一度自分の手を取ってくれたディーノを、もう決して離すつもりはなかった。
 ギュッと握っていくバジルの手を、不意にディーノが握り返してくる。
「・・・そうだな」
 そして、笑って同意してくれるから、バジルは嬉しかった。
 10年後も一緒にいられるかどうかはわからない。それはこれから次第なのだ。
 そんな未来のことよりも、今ディーノが自分と一緒にいたいと思ってくれていること、それが何より意味のあることだとバジルは思った。
 なんだかちょっと畏まった気分になって、バジルはついペコリと頭を下げていく。
「では、これからも宜しくお願いします!」
「ん、よろしくな」
 そう答えてくれるディーノは、視線を上げればやっぱり、笑顔を浮かべてくれていた。バジルも自然と顔を綻ばせて、少しの間見つめ合い。それからどちらからともなく、唇を合わせていく。
 ああこの人が好きだ、ずっと側にいたい、バジルは改めてそう思った。




 END