blind



 雲雀とケンカをした。
 正確に言えばケンカというよりは、無愛想な雲雀にディーノが一方的に拗ねてしまった形だった。
 雲雀がそういう性格だと知っているし、ずっと年上の自分が譲り合わせるべきなのだと、ディーノも思っている。
 だが、雲雀に比べたら大人でも、ディーノはまだ二十を少し過ぎたばかりの、大人とも言い切れない未熟な人間だ。
 せっかく時間を調節して忙しい中会いにいったのに、雲雀があまりにも素っ気ない態度を取るから。「もー、いいよ」そんな子供じみた言葉を残して、応接室を出てそのままイタリアに帰ってきてしまったのだ。
 ケンカではないのだから益々、雲雀から歩み寄ってくることはないだろう。元に戻ろうと思ったら、自分で修復しなければならない。
 そう思っているのに、ディーノはあれ以来雲雀と連絡を取れずにいた。
 雲雀はいじけるように帰ってしまったディーノに呆れているかもしれない。いや、全く気に留めてもいないかもしれない。
 そもそもディーノは、雲雀が自分のことをどう思っているのか、それがいまいちわからなかった。会いにいってもいつも素っ気ない態度ばかりで、ディーノが好きだと言ってもいつも何も返してくれない。キスはしてくるけれど、それだけで雲雀が自分と同じ気持ちでいる、なんて自信を今は持てなかった。
 ディーノは元来、臆病者だ。ファミリーを失うのが怖いから、ボスとして自ら体を張る。雲雀に嫌われていると思いたくないから、自分に向かうマイナスの感情には鈍感になる。馴れ馴れしく話し掛け、つれなくされても構い、鬱陶しがられても気にせずやってきた。
 そうやってずっと見ない振りをしてきたのに、一旦不安に感じ始めると、とまらなくなってしまう。雲雀は本当は自分をどう思っているのだろう、それを知るのが怖かった。
 携帯を手に取り、雲雀の名前を表示させては、通話ボタンを押す勇気が出ずにしまう。ディーノは日本から帰ってきてから何度もそれを繰り返し、今もまた携帯を机に投げてデスクに突っ伏した。
 一週間一ヶ月、日が経つにつれ、益々どう切り出していいかわからなくなっていく。掛けても出てくれないかもしれない、不安ばかりが募っていった。
「・・・・・・ん?」
 そのとき、放っていた携帯が着信を知らせる。誰だろうと何気なく手に取りディスプレイを見たディーノは、そこに表示されている名前に、目を見張った。
「・・・恭弥・・・!?」
 まさかと思ってジッと見つめるが、やはりそこには雲雀の名がある。
 なんとか聞き出して登録しておいた雲雀の携帯番号。ディーノからは何度か掛けたことがあるが、勿論雲雀からは今までに一度もなかったのだ。
 それなのに、あんなに気まずい別れ方をしたのに、雲雀のほうから掛けてきた。いやもしかしたら、あのときのことなんて雲雀にとってはどうでもいい出来事だったのかもしれない。
 いつまでも引き摺られたくなかったはずなのに、アッサリ忘れられるのも嫌だった。かといって、雲雀に愛想を尽かされたと知らされるのも怖い。
「・・・・・・・・・」
 振動を続ける携帯を手に、ディーノは迷った。せっかく雲雀のほうから掛けてきてくれたのだから、前向きに会話すればいいのに。
 やっぱりどうしても通話ボタンが押せず、そのうちに電話は切れてしまった。
 一体なんの用件だったのだろうと気になるが、わからないからこそ知るのも不安で。掛け直すなんてこともとても出来ず、ディーノはまた携帯をまた手放した。


 リボーンはいつも、ディーノの事情なんてちっとも顧みず日本に呼び付ける。今回も、とにかく来いとだけ言われてディーノは日本に来ていた。
 あれ以来、雲雀からの電話はない。ディーノから連絡を取ることも、勿論出来ずにいた。
 リボーンの用事を終わらせ、あとはもうイタリアに帰るだけ。なのだが、ディーノはつい並盛中学校に来ていた。
 せっかく日本に来たのだから、せめて雲雀の顔だけでも見たい。でも、どんなふうに声を掛けていいかわからなくて、会うのが怖かった。
 応接室の近くまでやって来たディーノは、しかし躊躇したがる自分に勝てなくて、ハァと溜め息をつきながら元来た道を戻ろうとする。
 そのとき、ディーノの視界に雲雀の姿が目に入った。
 その瞬間、ディーノは駆け出してしまう。雲雀がこちらに気付いたかを確かめる余裕もなく、逃げるように目の前の階段を駆け上った。
 雲雀は自分になんて気付いていないかもしれない、気付いても追い駆けてなんてこないかもしれない、そう思いながらも足がとまらない。
 そして階段を上りきって屋上に着いたディーノは、勢いで扉を閉じ鍵を掛けようとした。雲雀の姿を見ただけで乱れてしまった心を、静かに落ち着けたい。
「・・・あれ?」
 しかし、普通に閉めたはずだったのに、ドアがガコッと歪んだ気がした。強い違和感に、開けようとしても鉄製の扉はピクリともしない。
「・・・・・・ハァ」
 雲雀とのことで気が滅入っているのに、追い討ちを掛けられたようでディーノは大きな溜め息をついた。どうやら壊れてしまったドアに背を預け、ズルズルと座り込む。
 どうやって雲雀に接していたか、笑い掛けていたか、わからなくなってしまった。このままでは自然と疎遠になってしまうのに、やっぱり会うのが怖い。
 取り敢えず今回はこのまま帰ろう、今度頑張ろう、ディーノはそう思いながらロマーリオを呼ぼうと携帯を出そうとした。
 しかし、不意に凭れ掛かっていた扉がガタッと動く。
「っ!?」
 ビックリしてディーノが背を離したドアが、何度か軋んだ音を立てて揺れた。誰かが開けようとしているのだろう、これで助けてもらえるとディーノはホッとする。
 閉じ込められていることを伝えようと立ち上がろうとした、そのときだった。扉の向こうから、舌打ちとそれに続けて声が聞こえてくる。
「屋上の扉、壊れてる。至急修理の手配して」
 それは聞き間違えるはずもない、雲雀の声だった。おそらく風紀委員にだろう、苛立ったようにそう告げて電話を切る。
 ディーノは息を潜めて扉の向こうの様子を窺ったが、雲雀はそのまま動こうとしなかった。すぐ近くの雲雀の気配に、ディーノは自分に気付いて欲しい思いと気付いて欲しくない思いで揺れる。
 するとそのとき、ディーノの携帯が着信した。ポケットでブルブルと震える携帯を取り出し、ディスプレイを見たディーノは息を呑む。
 ディーノに電話を掛けてきたのは、扉一枚隔ててすぐ側にいる、雲雀だった。
 やはり雲雀はさっきディーノに気付いていたのかもしれない。雲雀が自分を気に掛けている、それがどういう意味でなのか、知るのはやっぱり怖かった。
 ディーノは出る勇気が持てず、携帯が動かなくなるのをただ待つ。やがてコールは途切れ、ホッとしてしまうディーノに、小さく雲雀の呟きが聞こえてきた。
「・・・嫌になったのなら・・・そう言えばいいじゃない」
 それはいつもの不遜な口調とは違って、どこか切ない響きを持ったものに、ディーノには思えた。
「・・・っ、恭弥!」
 ディーノはとっさに立ち上がり、ドアに張り付いて名を呼ぶ。扉の上部にある擦りガラスに、ちょっと驚いた顔をした雲雀の顔がぼんやり映っていた。
「恭弥、オレ・・・」
 たとえ自分が雲雀に嫌われていたとしても、嫌っているなんて誤解されるのは嫌だ。
「オレはおまえのこと、嫌になってなんか・・・」
 間にある扉が、もどかしい。それでもディーノがなんとかそれだけは伝えようとすると、雲雀が少しうしろに下がった。
 行ってしまうのか焦るが、鈍い衝撃音と共に扉が軋む音がするから、慌ててディーノもうしろに下がる。扉はすぐに派手な音を立てて倒れ、その向こうにトンファーを手にした雲雀が見えた。
 きっとこれ以上壊したくなくて無理に開けようとしなかった扉を、踏み付けて雲雀がディーノに歩み寄ってくる。
 眉をしかめ怒っているように見える雲雀に、逃げたくなる気持ちを抑えどうにか踏みとどまって。でも真っ直ぐ雲雀を見つめることは、ディーノには出来なかった。
「・・・オレ、おまえのこと・・・嫌になんて、なってねーよ」
「だったら、なんで・・・」
 意外に静かな口調の雲雀の、言葉が途中でとまるから、ディーノはつい視線を向ける。
「・・・なんで」
 やっぱり最後まで言わない雲雀は、視線を俯け、年相応の幼い頼りない表情に見えた。
「・・・ごめん、恭弥」
 ずっと年下の少年になんて顔をさせているんだと思っても、ディーノにはどうしていいかわからない。ただ正直な気持ちを、言葉にして吐き出していった。
「恭弥にとってオレは、どうでもいい存在なんじゃねーかって・・・そう思ったら、おまえに会うのが怖くなったんだ・・・」
 キスしてくれるから電話に出てくれるから応接室に入れてくれるから、だからきっと雲雀は自分を特別に思ってくれている、ずっとそう思っていたかったけれど。雲雀に素っ気なくされるたびに湧き上がる、それでも見ない振りをしていた不安に、一度目を向けてしまったらもう無視出来なくなってしまった。
「おまえのこと、嫌いじゃねーから・・・好きだから、だから怖くなるんだ。だって、恭弥は優しい言葉とか態度とか、そんなの全然ねーし・・・」
 泣き言のようなことを聞かせて、本当に雲雀に愛想を尽かされるかもしれない。でも、この思いを隠したまま雲雀の側にはいられない、何も言えずに終わってしまうほうがディーノは嫌だった。
「オレ、おまえよりはずっと年上で、大人でいなきゃなんねーって思ってた。でも・・・オレは出来た人間じゃねー。おまえがオレのことどう思ってんだろうって、不安になるし、迷うし、どうしていいかわかんなくもなるし、逃げたくもなる・・・」
「・・・・・・・・・」
 自分が相当情けない顔をしていると自覚しながら、雲雀は一体どんな表情で自分の話を聞いているのかと、ディーノはそろりと視線を向けた。雲雀は、いつもの無表情と何一つ変わらないように見える。
「・・・あなたのこと、大人とか思ったことないよ。でも、不安とかあなたらしくもない」
「恭弥、オレは・・・」
「僕が何を言っても、能天気に纏わり付いてきて言葉も態度も鬱陶しいくらいで・・・それがあなただったじゃない」
「・・・・・・・・・」
 やっぱり雲雀はそんなふうに迷惑に思っていたのかと、ディーノの胸がギリリと痛んだ。もう目を逸らしてはいられないのに、いざ聞くとやっぱり知りたくなかったと思ってしまう。
 そんなふうに思われているとわかってしまったら、もう今までのように雲雀には近付けない。これで雲雀とは終わりだろうか、そう思うディーノに、小さな呟きが届いた。
「今さら・・・変わんないでよ」
「・・・え?」
 雲雀はディーノのそんなところを、迷惑だと思っていたのではないのだろうか。なのに今の呟きには、むしろ逆の感情が含まれていたような気がした。
 視線を伏せていた雲雀は、困惑するディーノへと手を伸ばしてくる。そして力任せに突き飛ばされ、ディーノはうしろに倒れ込み尻もちをついた。
「・・・っ、恭弥?」
 したたかに打った痛みに顔をしかめたディーノは、しかし雲雀が自分に跨りすぐ間近から見つめてくるから驚く。戦い以外でこんなふうに雲雀のほうから近付いてきてくることなんて、今までになかった。
「どうしたら・・・何を言ったら、あなたは安心するわけ?」
 そして雲雀は、ディーノをジッと見つめ、そう問い掛けてくる。自分の態度が言葉がディーノを不安にさせていた、そう考え不安を解消してくれようとしているのだろうか。
「それは・・・」
 期待と不安で、ディーノの鼓動が早まった。
 雲雀が連絡を取ろうとしてくれた追い駆けてきてくれたこうして近付いてきてくれた、本当はもうそこに答えがあるのかもしれない。でもディーノは、雲雀の口から聞きたかった。
 勘違いではないのか自惚れではないのか、これからも側にいていいのか、ちゃんと教えて欲しい。
「・・・恭弥・・・オレのこと、どう思ってる?」
 今までに一度も確かめられなかった、酷く初歩的な問いを、ディーノはおそるおそる雲雀へと向けた。
「・・・そんなの」
 もしかして言葉になんてしてくれないだろうか、そんな不安も湧き上がってくるディーノに、雲雀は溜め息まじりに呟く。
「あなたはとっくに、わかってるんだと思ってた」
 そして、ディーノの胸倉を掴んで軽くキスをしてきた雲雀は、小さな声でそれでもハッキリと言った。
「・・・好きだよ」
「・・・・・・っ!」
 期待はしていたが、本当にその言葉を雲雀の口から聞けるなんて。ディーノはハッと見張った瞳が、次の瞬間に潤んでいくのをとめられなかった。
 雲雀はそんなディーノにもう一度、今度はしっかりと口付けてから。
「じゃなきゃ、こんなことしない」
 言い切って、眉をしかめながらディーノの目元を拭ってきた。
「恭弥・・・」
「・・・みっともない顔」
「だって・・・」
 雲雀のそのたった一言で、さっきまでの不安が嘘のように消えてしまったのだ。今は、ただただ嬉しかった。
 その気持ちのままギュッと抱き付いていけば、雲雀の手がまず肩に触れてくる。そしてその手は躊躇いがちに、ディーノの背にまわってきた。
 ディーノはまだ二十過ぎの若者だが、雲雀はもっと幼い少年なのだ。とても恋愛ごとに慣れているようには見えないから益々、やり方がわからず元々の無愛想さが勝って、それでも雲雀なりにディーノを特別に扱ってくれていたのだろう。
 なのにディーノはそれに気付かず一人で不安になって、逃げ出そうとして雲雀まで不安にさせてしまった。
 すごく情けなくて申し訳ないのに、やっぱり今は嬉しくて堪らない。雲雀が好きだと言ってくれた、同じ気持ちでいてくれていた。
「恭弥・・・」
 ディーノは目元を拭うと、少し腕をゆるめて雲雀の顔を覗き込む。
「もう一回、聞きたい」
「・・・・・・・・・」
 すると雲雀は眉をしかめ、ディーノからパッと腕を解いてしまった。
「・・・調子に乗らないでよ」
 そしてそう言って立ち上がり離れてしまう雲雀に、以前なら冷たくされていると感じてしまっただろう。
 でも今は、もしかしたら雲雀は照れているのだろうかと考える余裕がディーノにはあった。たった一言があるだけでこんなにも違うのかと、自分の現金さにちょっと呆れるが、好きだと言ってもらえただけでこんなにも心強い。
「ドアの修理、させないと」
 呟きながら屋上を出ていこうとする雲雀に、ディーノはいつものように何も言われずともついていこうとした。
 しかしディーノが腰を上げる前に、雲雀が振り返って。
「・・・来ないの?」
「・・・・・・・・・っ、行く!」
 ビックリして目を丸くしたディーノは、慌てて答えて雲雀を追っ駆けた。雲雀がディーノに背を向けるとき、きっと迷惑がっているのだろうかと思っていたが、もしかしたら本当はいつもこんなふうにディーノが側に来ることを期待していたのかもしれない。
 だとしたら、ディーノが迷惑がられているかもしれないと思いながらも構い続けていたのは、間違ってはいなかったのだろう。そして自分が心の内を晒したことで、雲雀も歩み寄ってきてくれたのなら、情けない醜態だったけれど見せてよかったと思えた。
「恭弥・・・オレも、おまえのこと好きだ」
「・・・知ってるよ」
 隣に並んでディーノが言えば、雲雀はプイッと顔を背けるが、それでも距離は離れない。
 自分に向かうマイナスの感情に鈍感になろうとするあまり同時に見過ごしていた、雲雀の好意がそんなところにも見えていたのだと、ディーノはようやく気付いた。




 END