正×スパ ミルフィオーレ時代
書類をどうにか期限までに提出した正一は、しばらく時間が自由になるから、自然とスパナの元へ向かっていた。
私室ではなくいつも使っている作業場を覗くと、スパナはやはりいる。パソコンに向かう見慣れたうしろ姿に、なんとなくホッとしていい意味で気が抜けていくのを感じた。
「スパナ・・・」
しかし、集中しているからか気付かないスパナに、控え目に声を掛けながら近寄っていった正一はつい声を上げてしまう。
「どうしたんだい、それ!」
スパナの、左手の親指小指以外に、グルグルと包帯が巻かれているのだ。つい先日会ったときには、そんなことになっていなかった。
スパナはさすがに気付いて、正一を見上げてくる。
「いろいろ、落ちてきた」
そして指すほうを見れば、研究所の一角で機材やら工具やらが派手に崩れていた。
「そうか・・・それくらいですんで、よかったのかもしれないな」
運が悪ければもっと酷い怪我を負っていただろうと、正一はホッと胸を撫で下ろす。そんな危機一髪なことがあったとはとても思えない、いつも通りのスパナはフラリと立ち上がりちゃぶ台代わりのドラム缶に歩み寄っていった。
緑茶を入れようとしたのだろう、しかしスパナは手が不便だと気付いて静止する。
「僕が・・・」
「ミニモスカ」
代わりにやるよ、と正一が言うより早く、スパナは自作のロボットを呼んだ。すぐにスーッと近寄ってくるミニモスカは、スパナがボタンを押すと腹部分の扉を開けて、トレーに乗せた緑茶を出してくる。
「正一」
その湯呑みを正一に差し出すと、もう一度ボタンを押してもう一杯。
「・・・有能だね」
「だろ?」
嬉しそうに言うスパナに、正一は狭量だと思いながらもちょっと妬けてしまった。緑茶を入れるくらい、頼ってくれてもいいのに、とも思う。
自分って小さい人間だなと小さく溜め息をつき、腰を下ろして緑茶を啜った。
「・・・でも、他にもいろいろ不便じゃないか?」
利き手じゃないだけマシだが、でも片手が使えないだけで日常生活がだいぶ不便になるだろう。ミニモスカに全部手伝ってもらうわけにはいかない。
「うん・・・キーボードが打ちづらい」
すると眉を下げ親指小指だけ動かしてみせるスパナに、こんなときまで作業優先なんだと正一は苦笑した。
「そうじゃなくて・・・ほら、トイレとかお風呂とかも、大変だろ?」
「・・・そういえば、そうだな」
スパナはようやくそのことに気付いたらしい。僅かに考え込んでから、でも何も考えてなさそうな顔で言ってきた。
「正一、手伝ってくれ」
「・・・・・・えっ、僕がかい!?」
正一はビックリして声を上げてしまう。だって、トイレやお風呂の世話だなんて、想像しただけで正一は顔が赤くなってしまった。
しかし確かにだからこそ、他の人に任せるのも気が進まない、というか嫌だ。
「・・・じゃ、じゃあ・・・て、手伝うよ」
「助かる」
正一がドキドキしながらも答えれば、スパナは短く返して、ミニモスカを呼んで緑茶をおかわりしていく。
誰に言われても世話を受け入れそうなその様子に、先を越されなくてよかったと正一はホッとした。スパナの世話をせっせと焼こうとするのは、自分とミニモスカくらいしかいない気もするが。
それにしても、またやりにくそうにキーボードを打ち始めるスパナを見ていると、片手が不自由なだけで本当に不便だなと気の毒に思える。
キーボードを思うように打てない、それだけでかなりストレスが溜まりそうだ。自分に置き換えて考えてみた正一は、ふと思い付いて問い掛けてみる。
「・・・もし僕がそうなったら・・・君も手伝ってくれるかい?」
「・・・そうだな、そうなったときの為に、今から有能なマシンを作っておこうか」
「えっ!?」
マシン任せなのかと、いまいち愛の感じられないセリフに、正一はショックを受けそうになった。
「冗談だ」
しかし、スパナはすぐに打ち消してから、小さく笑って言う。
「正一の世話は、ウチがやる」
「スパナ・・・」
一転してなかなか愛の感じられるセリフに、正一は嬉しくなってしまった。スパナに世話を焼いてもらう機会なんてそうそうないだろうから、手を怪我するのも悪くないかもしれないと思えてくる。
勿論、実際に不便な身になれば、そんな浮かれたことを思っていられないのかもしれないが。
「・・・正一、代わりにやってくれ」
しばらくしてスパナが、ハァと溜め息をつきながらパソコンを正一のほうへと押し付けてきた。ポチポチ入力するのに耐えられなくなったらしい。
「いいけど・・・何をすればいいんだい?」
「うん・・・」
指示を仰げば、スパナはすぐ隣から、同じ画面を覗き込んで正一に説明してきた。
その近い距離に、スパナに頼られているという感覚に。不謹慎だと思いながらも、この状況をちょっと美味しいと思ってしまう正一だった。