LOVE POSSESSED



 太陽暦460年、のちにデュナン統一戦争と呼ばれる騒乱のさなか、ハイランド王国皇都ルルノイエにアルベルトはいた。
 祖父レオンにその才を高く評価されたアルベルトは、後学の為とここに呼び寄せられたのだ。
 ここで何を学べるのだろうと、アルベルトは顔にこそ出さないが、とても楽しみにしていた。
 そして、そんなときだった。
 初めて、彼の姿を目にしたのは。
「こんなところに、ガキが紛れ込んでいるじゃないか。誰だ?」
 暇潰しを見付けたような響きが、その声には僅かにあった。
「こちらは、私の孫になります」
 すぐに、隣にいたレオンが、まるで隠すようにアルベルトの前に立つ。まるで、ではなくまさしくそうだったのだと、このときのアルベルトが気付くはずもなかった。
 レオンに隠れて姿は少ししか見えないが、それでもその存在感は明らかだ。
 ハイランドの狂皇子、ルカ・ブライト。
 彼はそれ以上アルベルトについて追求することはなく、この場を去っていった。
 それを見送り、どこかホッとした様子で、レオンはアルベルトを振り返る。
「・・・アルベルト、奴には近付くな」
 奴、が誰なのかは問い返さなくともわかる。が、アルベルトにはその理由まではわからなかった。
「何故ですか?」
 尋ねたアルベルトに、レオンは、どうしてもだ、とだけ答え理由を教えない。
 問いを重ねることなど出来ず、アルベルトは歩き出したレオンに従った。レオンは乞われたところで多くを語りはしないと知っている。
「・・・お前も、いつかはわかる」
 そんなレオンは、最後に一言だけ、アルベルトに残した。


 何故近付いてはならないのか、それはわからない。だが、祖父に逆らう理由もないのでアルベルトは、言われるままそうしようと思った。
 レオンの言葉に間違があったことなど、アルベルトにとっては一度もないのだ。
 そしてそもそも、アルベルトがルカに会うことなど、なかった。レオンが軍師を務めているとはいえ、皇子であるルカに将でもないアルベルトが会う機会などなかったのだ。
 だからアルベルトは祖父の忠告をいつしか忘れていた。覚えておかなければならないことは他にいくらでもあったのだ。
 今いる廊下が、ルカのよく通るところだということも、アルベルトは気付いていなかった。
 そのときが、来るまでは。
 書物を抱え落とさず歩くのに集中していたアルベルトは、あと数歩の距離になってやっと目の前の男に気付いた。そして、気付いたときには遅かった。
 その男、ルカ・ブライトは、アルベルトの存在に気付くと、その足を何故かとめた。
 レオンの言葉を思い出し、逃げたほうがいいのだろうかと思ったアルベルトは、しかしルカが立ち止まった為に自ら立ち去ることが出来なくなる。
「・・・確か、レオンの孫だったな」
 ルカは、まるで値踏みをするようにアルベルトを見下ろす。
 多くの人間はその視線に耐えられず目を伏せてしまうが、アルベルトは逆に目を逸らせなかった。
 初めて目の当たりにした、ルカ・ブライトという男の、纏うもの。その身から溢れるほどの、憎悪。
「どうして・・・」
 まざまざと感じられたそれに、引き摺られるように、アルベルトは思わず声にしかけた。ハッとして慌てて口を噤んだが、ルカがそれを聞き流すはずもない。
「なんだ? 言いたいことがあるなら、言え」
 ルカは促すように、命令する。
 言わないほうがいい、なんでもないと謝罪しこの場を去ったほうがいい。そう思っていながら、それでもアルベルトの口は動いた。
「何を・・・そんなに・・・憎んでいるのですか?」
 その瞬間、ルカの目の色が変わった。
 その変化に、アルベルトは無礼だということも忘れて、弾かれたようにこの場を離れようとした。
 が、ルカが、それを許さない。
 アルベルトの襟首を無造作に掴むと、ルカは力任せに蹴破った扉の向こうに投げ入れた。
 したたかに体を床に打ち付けられたアルベルトは、しかし体勢を繕う余裕も、さっきまで大切に抱えていた書物がどうなったかを確かめる余裕もない。
 目の前に立つ男を、ただ見上げることしか出来なかった。
「何故逃げる? 知りたいんだろう?」
 見下ろすルカに、アルベルトは覚えず頷いて返す。
 底知れぬルカの笑みが、いっそう深まった。
「全てだ。この世の中の全てが、気に入らん」
 ルカを包む憎悪が、それだけで人を殺められそうなほど、その色を濃くする。
 アルベルトの体は自然と震えた。
「・・・だから・・・全てを壊してしまうつもりなのですか?」
 それでも声を出せることに、アルベルトは驚く。何かがおかしい、アルベルトは自分がわからなくなる。
 ルカはニヤリと笑って、体を屈め、アルベルトに顔を近付けた。
「俺が怖いか?」
 思わず身をうしろに引いたアルベルトに、ルカは愉快そうに目を細め問う。
 アルベルトは、その答えを探す為か、目の前の男を正面から見つめた。
 狂皇子、ルカ・ブライト。
 だがアルベルトには、この男が狂っているようには、見えなかった。その身を焦がす憎悪を目の当たりにしてもなお。
 ルカは膝を曲げ、さらに近付く。アルベルトは、今度はうしろに逃げようとはしなかった。
「・・・・・・わからない」
 恐怖は感じている。
 だがそれが、果たして目の前の男に対して感じているものなのか、アルベルトにはわからない。
 確かなことは、今、このルカ・ブライトという男の瞳から目を逸らせないこと、それだけだった。
 ハッキリしない返答をするアルベルトを、ルカは自らで見定めるように覗き込む。
 探るように頬に触れた手は、存外優しかった。
 が、一転して、その手は強い力でもってアルベルトを後方へと倒す。
「・・・っ!?」
 床に背を打ちつけた拍子に開いた口に、何かが触れる。
 9歳のアルベルトにとって、それは呼吸を奪われる行為でしかなかった。
「ん、っは、ぁ」
 息苦しさに耐え兼ねて、その手は無意識にルカの髪を掴む。
 それに引かれるように素直に離れたルカは、薄く笑んでいた。
「・・・・・・」
 空気を取り込み息を落ち着けアルベルトは、真意の見えない男を見上げる。
「・・・僕も・・・殺しますか?」
 世の中の全てを憎んでいると言った男だ。そうであってもおかしくはないと、しかしアルベルトはそのことに恐怖など感じなかった。
「・・・俺は、うるさいガキも下らんブタどもも嫌いだ」
 ルカのその身を包む憎悪に変わりはない。それなのにその口調が、初めに比べて随分穏やかになっているように聞こえるのは、頭の一部が痺れたように霞んでるアルベルトの気のせいだろうか。
「だが、お前は、そんなヤツらとは、少し違うようだ」
 端を上向きに歪めたルカの口が再び近付いてくる。
 荒々しさは、さっきと少しも変わらない。窒息感も変わらない。
 それでも、さっきとは確かに違った。奪うような接触なのに、何かを吹き込まれているような、そんな気さえする。
「・・・お前は、殺さん」
 合間に、ルカはまるで睦言のように囁いた。
「お前は、俺がすることを、見ていろ。その目で、俺がどこに辿り着くのかを」
 ゾクリと、何かがアルベルトの背を這い上がる。
 それは、恐怖ではない。おそらく、それは、期待。
 憎悪に駆られたこの男の果てを、知りたい。その権利を与えられた、喜びにも似た感情。
「それとも・・・」
 ルカに導かれるまま、アルベルトの手は広い背中へ回された。深く笑んで、ルカはアルベルトの耳元へ聞かせる。
「共に、歩むか? お前も、修羅の道を」
 その言葉は、抗いがたい呪文のようだった。触発されるように、焼けるような疼きがアルベルトの体に広がる。
 言葉になどならず、アルベルトはただルカの背に回した手に力を込めた。
「・・・っ、ん」
 三度目の口付けは、まるで契約のように、アルベルトの体の隅々にまで浸透していく。受け入れてしまえば、なんて心地いいのだろう。
 アルベルトは、自分がこの男に魅入られてしまったのだと、知った。おそらくは、初めて目を合わせた、そのときから。
 感じていた恐怖は、自分が自分でなくなるような感覚に対してだったのだろう。だが、それでも、自分は変わらず自分だった。この男が、憎悪に支配されてなお、自らの狂気すら制御しているように。
 何故レオンが近付くなと言ったのか、今ならわかる。レオンはやはり正しかったのだ。
 だがそれでも、もうアルベルトには後戻りなど出来なかった。
 軍師にとって、主とは運命に等しい。ならばアルベルトは、たった今、選んだのだ。自らの運命を。
 もう、逃れられない。




END

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アルベルトが産まれるのが10年早かったら…と考えるとちょっと惜しい気もします。
が、アルベルトが9歳だからこそ萌えるのも事実(笑)

ところでルカ様は、このまま最後までしちゃったんだろうか。
こんな、どこともしれない場所で…(笑)

捧、なずみ様。