Web拍手02 テーマ「食」
ユバアル
不意に首筋に痛みが奔り、アルベルトは思わず顔をしかめた。
「軟弱な肌だな」
顔を上げてユーバーは馬鹿にするように鼻を鳴らす。少し強めに歯を当てただけで、皮膚が裂け血が流れ出したのだ。
「あなたこそ、手加減というものを少しは覚えたらどうです?」
「何故俺がそんなことをしなくてはならない?」
心底不思議そうにユーバーは言葉を返す。ユーバーは、自分の意の沿わぬことに従ったり譲歩したり決してしない男なのだ。
「っ、・・・ユーバー」
アルベルトの非難を含めた声も、やはり気に掛けることなく、ユーバーは自らの欲に忠実に行動する。
僅かに裂けた皮膚の割れ目に更に歯を立て、容赦なく傷を抉った。そして流れ出る血を舐め取るユーバーの瞳は、妖しく煌いている。人を一刀で切り裂き、吹き出る血を浴びるときのそれと、変わらない。
明らかに血の色と匂いと味に昂っているユーバーを、アルベルトはしかし冷静に見た。血を好む性癖を持つものの、ユーバーがこれまで行為のときに血を求めることはなかった。そして今も、アルベルトは身の危険など感じてはいない。ユーバーにとって自分が、数少ない「殺さない」人間であると知っているのだ。
「・・・ユーバー、血が見たいなら、外で誰か狩ってくればいいだろう。私に付き合う謂れはない」
思わず流れた血に興が乗っただけだろうから、それでもまだ血を欲するなら他を当たれ、そうアルベルトは溜め息まじりに言った。
するとユーバーは、少し迷ったようで、だが結局アルベルトの上から退かない。どうやら性欲のほうが勝ったようだ。
「口うるさいやつだ」
悪態をつきながら、ユーバーは首筋を諦めて他へ移る。
しかしアルベルトの意識は、未だ残るピリリとした痛みに引き摺られ、ふと下らない疑問を生じさせた。
「・・・やはり、人を喰うことがあるのですか?」
そうであっても不思議ではないと、アルベルトは率直に問う。答えを聞いてどうするわけでもなく、単なる好奇心だった。
それを感じ取ったのか、ユーバーは聞いてどうするとは返さず、しかし素直に答えを寄越しもしない。
「どうした? 喰って欲しいのか?」
ユーバーはニヤリと笑って、わざとらしく舌舐めずりをした。その問い掛けに、アルベルトは眉をしかめる。
「遠慮します。痛いのは苦手なんですよ、耐性がありませんから」
さっきの行為もついでに咎めるようにアルベルトは言って、しかしふいに、しかしと口の端を上げた。
「・・・ただ、全てが終わったあとなら、煮るなり焼くなり、喰うなり、あなたの好きにして構いませんよ?」
冗談めかして言いながら、紛れもなく本心だと、アルベルトは瞳でだけ語る。そうなったとき、もはや自分に残るのはただの空っぽな肉体のみ。ならばその残滓など、どうしてくれても構わない。いや、他ならぬユーバーに、差し出そう。アルベルトはそう言っているのだ。
「ふん、喰わんさ」
が、ユーバーは心底嫌そうに返した。あんな不味いもの、と顔を歪める。それは人を食べたことがあるのかというアルベルトの問いに暗に答えるものだったが、言った本人はもちろん尋ねたアルベルトも気になど留めなかった。
「・・・だがな」
ユーバーはアルベルトの首筋の、自らがつけた傷に舌を這わせる。乾きかけた血を舐め取り、味わうように口内を巡らせてから喉を鳴らした。
「お前なら、喰ってやらないこともない」
その血も肉も、ひとかけらも残さず喰ってやる。不遜な言い方にみえて、しかしその口調はどこか優しい。
それは、アルベルトの存在を、終わりの見えない生の中で忘れず刻み付けるということ。
ユーバーが情というものをほとんど持ち合わせていないことを考えれば、それは過ぎた感情だ。愛情、と表現してもいいかもしれない。
そんなユーバーに、アルベルトは表情を少しも変えることはなかった。ただ、ユーバーの頭を、子供を宥める仕草のように撫でる。
「そのときは、痛みのないようにお願いします」
そんなふうにされて、しかしユーバーは気を悪くすることもなく、くくっと笑う。
「ふん、努力はしてやるさ」
仕方なさそうに言ってユーバーは、もう一度、傷口を軽く食んだ。
相変わらず薄暗い感じのユバアルでした。
しかしこの二人、愛は・・・あるかもしれない。
ワイゲド
「・・・やっぱりな。そんなことだろうと思ったよ」
夜、ゲドが一人で静かに酒を楽しんでいたところに、突然ドアを開けてワイアットは開口一番そう言った。
そして断りなく部屋に入ると、備え付けの簡素な調理台に持ってきた紙袋を置く。
「いつも言ってるだろ? 酒飲むときは、ちゃんと食い物も腹に入れろって」
小言を言いながら、ワイアットは紙袋から食材を取り出し、手早く調理し始めた。
ゲドは気にせず酒を呷りながら、そんなワイアットのうしろ姿をなんとはなしに眺める。肉や野菜を刻んで炒めていくその背中は、妙に楽しそうだ。本人も認めている通り、料理をするのが好きなのだろう。
「・・・ん、どうした? そんなに見つめられると、照れるじゃないか」
視線を感じたのかワイアットは、振り向き冗談めかして笑った。
何を言っていると、言葉にはせずにゲドが酒を呷ると、ワイアットはその笑顔を苦笑に変える。
「だから、酒だけ飲むなって、言ったばかりだろ? ほら」
ワイアットは完成した一品を取り敢えずゲドの目の前に置いた。
それは野菜と肉を炒めただけのものなのに、盛りつけ方にこつがあるのか立派な料理に見える。もちろん味も非の打ち所がないことなど、ゲドには食べる前からわかっていた。
「どうだ、美味いだろう、俺の愛情料理は」
「ああ」
後半は気にせず、ゲドは正直にその味を褒める。
「だろ? 嫁にしたいと、思わないか?」
「・・・・・・」
冗談めかしてウィンクまで決めるワイアットに、ゲドは呆れた思いを隠さず溜め息を返す。
「他のやつにとられてから後悔しても遅いぜ?」
「・・・無用な心配だろう」
「まあなぁ」
ワイアットは違いないと笑って、もう一品作るつもりか調理台へ戻った。
それからしばらくは、またワイアットの調理をする音だけが部屋に響く。ゲドはその音と、ワイアットの作った料理と、そしてそのうしろ姿を肴に酒を飲んだ。
「でもなぁ、ゲド」
ワイアットはすぐに完成させた料理をテーブルに置く。
「いくら俺が水仕事が好きだって言っても、こんなにかいがいしくしてやってんのは、おまえにだけだぜ?」
「・・・勝手にしているだけだろう」
「あぁ。だから、俺も褒美を勝手に貰うさ」
上体を屈め、椅子に掛けるかと思えば身を乗り出し、口に運ぼうとしていた箸を持つゲドの手を掴んでとめる。
そして、ちょうど開いていたゲドの口を、そっと塞いだ。短く味わってから、すぐに離れ、ワイアットはニヤリと色を含めて笑う。
「この続きは、あとでじっくりと、な」
「・・・・・・」
答えず酒を呷るゲドに、ワイアットは椅子に掛けながら言葉を掛ける。
「あ、おまえもしかして、こういう展開になるのを期待して、何度言ってもいつも酒だけ飲んでるわけじゃないだろうな?」
「・・・・・・そんなわけないだろう」
否定しながら、しかし半分はワイアットの言う通りだった。褒美云々はともかく、おそらくゲドは期待していたのだろう。
一人で酒を飲んでいれば、そのうちワイアットがやってきて、料理を作ってくれる。その姿を見ること、そしてその手料理を肴に二人で酒を飲む。このささやかな時間が、実はゲドはとても好きだったのだ。
そしてそれは、ワイアットも同じだと、ゲドは知っている。
料理を作るのは元々好きだが、ワイアットはそれ以上に、ゲドの為に作るのが、好きなのだ。そしてワイアットのほうこそ、そのあとに続く二人の時間を期待していた。
率直そうに見えて、案外と照れ屋で軽口でごまかす男なのだ、ワイアットは。
ゲドが無言でボトルを掲げれば、ワイアットは初めからこのテーブルにあったグラスを手に取る。
「ほら、おまえも満更じゃないんだろう?」
「・・・・・・さぁな」
「ったく、素直じゃないんだからよ」
仕方なさそうに、ワイアットは笑った。
素直じゃないのはお前だろう、とはゲドは返さない。そういうことにしておいたほうが、どうやら互いにとってはいいらしいと、ゲドは気付いていたのだ。
「じゃ、ま、乾杯といくか」
「・・・・・・何にだ?」
「うーん・・・これから始まる長い夜に、ってとこか?」
「・・・・・・」
ゲドがわざとらしく溜め息をつけば、またそういう態度を取る、とワイアットは仕方なさそうに笑う。
そうやって、ワイアットが仕方ないと笑えば、実のところはゲドの勝ちなのだ。
ゲドはグラスを呷る振りをし、ワイアットに気付かれないように少しだけ、笑った。
主導権を持ってるのはワイアット、と見せ掛けて、
実は手綱を握っているのはゲドでした。
という話・・・か?(いろいろ見失いました)
シザアル(含ユバアル)
(シザアルが何故か一緒に暮らしてたりします)
「アル、ほら、ちゃんと食えよ。あ、コーヒーここに置いとくからな」
そう言ってシーザーはテーブルに、あたたかそうな湯気の立つカップを置いた。
それを一口飲んでから、アルベルトは言われた通り、緩慢な動作で朝食を口に運び始める。
そうここは二人の愛の巣・・・ではなく、元々はアルベルトのハルモニアでの住まいだった。そこに、シーザーが転がり込んできたのが、ちょうど一ヶ月ほど前。
「英雄戦争」で見事アルベルトに出し抜かれたシーザーは、探しに探してアルベルトの居場所を突き止めたのだ。
『放っておくと、また何を企むか、わかったもんじゃない。だから、おれが側にいて、おまえを立派に更生させてみせる!!』
これが、シーザーの言い分だった。
そんなわけで一緒に暮らすことになったシーザーとアルベルト。
そしてシーザーが毎日せっせとしていること、それはアルベルトの更生・・・とは程遠く、何故か家事全般だったりする。
というのも、アルベルトの溢れんばかりの才能は、日常生活においては全く発揮されないようなのだ。
自他共に認める怠け者だと思っていたシーザーは、しかし上には上がいることを知った。
例えば、まずアルベルトは起きない。寝汚い自信のあるシーザーすらも舌を巻くほど、特に朝のアルベルトはたちが悪かった。
おかげでシーザーは毎朝嫌いな早起きをしてアルベルトを起こす羽目になったのである。放っておいて仕事に遅刻される、そんなことは同じシルバーバーグ家の人間として阻止しなければならなかったのだ。
そんなわけで今日もシーザーがあの手この手を使い数十分後にやっと起きたアルベルトは、焼き立てだったはずのパンがすっかり冷めていることにも気付かないのか、もそもそとただ口を動かしている。
シーザーと違って硬質なアルベルトの髪は寝起きでもそれなりにまとまっていて、跳ね放題のシーザーのボサボサ頭っぷりとは程遠い。同じように眠いはずなのに、弛んでいるシーザーの顔とは反対にアルベルトの顔はこんなときでもいつも通り締まって見える。
シーザーはそんなふうに自分を生んでくれた両親を、同じ血を引くはずのアルベルトを見ているとちょっと恨みたくなってしまう。のは、措いといて。
シーザーがしなければならないのはそれだけではなかった。
寝起きがそんな調子だから、アルベルトは放っておくと当然朝食など食べない。それどころか、調べ物に熱中したりなんかすると、平気で一食でも二食でも抜いてしまうのだ。
他にもいろいろあるが、とにかくそんなアルベルトを見るに見兼ねて、シーザーは好きでもない家事に勤しむようになったのだった。
「・・・ったく、おれがいないころは一体どうやって暮らしてたんだよ」
自分の現状、そしてアルベルトのどうしようもない不精を思って、シーザーはついついぼやいた。
のわりに、そこにはどうも、『アルベルトは、おれがついてないとだめなんだから、まったくぅ!』という響きが多分に含まれていたりする。
シーザーがこういう役回りに落ち着いてしまったのは、何もアルベルトのせいだけではないようだ。
そして、アルベルトが朝食を食べている間に、シーザーが何をしているかというと。
「よし、できた!」
満足そうなシーザーの声と共に完成したのは、栄養を考えてチョイスされきれいに詰め合わされた、アルベルトのお弁当である。
桜田麩でハートマークすら書いてないものの、愛妻弁当と言ってもなんの過言もない代物であった。
「弁当、入れとくからな。残さず食えよ」
シーザーは完成した弁当を甲斐甲斐しくアルベルトの鞄にしまう。
「さて、おれも食うかな・・・・・・!?」
そして朝の勤めを終えたことだし朝食をとろうと思ったシーザーは、しかしアルベルトの向かいの席という自分の定位置が埋まっていることに気付く。
「お、おまえっ・・・!!」
そこにいるのは、しょっちゅうこうしてシーザーとアルベルトの仲睦まじい?朝食風景を邪魔しに来る男、その名もユーバーだ。
さっきまでは確実にそこにいなかったが、ユーバーが神出鬼没な奴だとシーザーはこの一ヶ月で痛いほど知っていた。
「何しに来たんだ! おまえは食べなくて平気なんだろ!? 食うな! そもそもそれはおれの飯だ!!」
一息で抗議するシーザーを、しかしユーバーは微塵も気にせずに、暇潰しのようにシーザーの朝食を平らげていく。
そして、ふと思い出したようにアルベルトに話し掛けた。
「そうだ、今夜はお前の部屋に泊まるからな」
それは、頼みでも命令でもなく、決定だ。
聞こえているのかいないのか、いいとも嫌だとも返さないアルベルトに代わって、シーザーは断固拒否をする。
「だめだ! おまえ、またアルに変なことするつもりだろ!! おれの目が黒いうちは許さねえぞ!!」
シーザーはユーバーからアルベルトをかばうように間に立った。
「・・・ただの弟に、そんなことを言われる筋合いは、ないと思うが?」
「うっ」
ユーバーはそんなシーザーを面白がるように見上げる。
「それとも・・・白目を剥きたいか?」
「・・・うっ」
その瞳が妖しく光った気がして、シーザーは情けないが思わず数歩後退りした。
頭は人並み以上でも、力も体力も人並み以下のシーザー。ユーバーがその気になれば、瞬きする暇さえなく、シーザーの首はぴょんと飛んでいってしまうだろう。
身体的な弱さを、頭脳で完璧にカバー出来てこそ軍師。なのだが、ユーバーを説得したりする自信などシーザーには全くなかった。なんといってもユーバーは人外、人間の理屈などちっとも通用しないのだ。
ユーバーに言うことを聞かせることの出来る人間を、シーザーはアルベルト以外に知らなかった。
そのアルベルトが、不意に口を開く。
「・・・ユーバー」
ちなみにこれがアルベルトの今日の第一声だったりする。
それが自分の名ではなくこの男のものだということにシーザーはちょっとムッとした。が、それ以上に、おかげでユーバーの意識が自分から逸れたことにホッとしてしまったシーザーだった。
「・・・このままでは、遅れる」
何が何に、とは言わなかったが、これまたよくあることなので、ユーバーはすぐに理解する。
「いいだろう」
特に嫌がったり面倒がったりする様子もなく、ユーバーは立ち上がった。そして、アルベルトも立ち上がるのを待ってから、手を水平にかざす。
「あっ、ちょっと、おいっ!!」
二人の足元が金色に光りだし、見慣れたその光景にシーザーは慌てて声を上げた。
そんなシーザーに、アルベルトがちらりと視線を向ける。そして、口を開いた。
「・・・・・・行ってくる」
帰ってくる、ことを前提とした言葉。
思わず嬉しくなって、行ってこい!とシーザーは言おうとした、が。
「おい、俺のぶんのメシも忘れず作っておけよ」
「・・・・・・・・あぁ!?」
性悪そうに笑って言ったユーバーの言葉に、シーザーは思わず目を剥いた。
それから、抗議しようとしたが、もうすでに二人の姿はない。
「・・・・・・ちくしょう、絶対追い払ってやる!」
シーザーはさっきまでユーバーがいた場所を睨みつけながら、帰ってくるまでにあいつを除去する方策を考え出そう、と決める。
しかし、シーザーがこれからしなければならないことは、それだけではなかった。朝食の後片付け、掃除洗濯、買い物、夕飯の準備、などなど山ほどあるのだ。
「・・・取り敢えず、朝飯食うかな」
などと呟きながら、シーザーは慣れた手つきでフライパンをひっくり返し目玉焼きを作り始める。
その姿は、完全に主婦のものだった・・・。
こうしてシーザーの軍師としての才が埋もれていくわけです・・・か?
しかも、シザアルかユバアルか微妙なかんじですが。
実は何気にちゃんとシザアルだったりするんですよ。
ヒュゲド (もう、でき上がりまくってます・・・)
「えーっと、エビチリ定食とホットグラタン、お好み焼き、ピザマン・・・それから・・・・・・」
ヒューゴはメニューを見ながら次々と注文していった。それを律儀にメモっているメイミを手でとめて、ゲドはヒューゴに咎める目線を送る。
「・・・ヒューゴ、頼み過ぎだろう」
「そんなことないです。これくらいは食べないと! えっと、それからカレーライスと・・・」」
しかしヒューゴは首を振り、さらに注文を続ける。
「・・・腹を壊すぞ」
「大丈夫ですって!」
「しかしな・・・・・・」
そんな二人に、メイミは注文はあとで聞きにくると言って厨房に戻ってしまった。
「よし、もう一度選び直そう。エビチリ定食とピザマンと・・・ホットグラタンじゃなくてカリカリグラタンにしようかな・・・それで・・・」
「・・・・・・せめて、ピザマンまでにしておけ」
溜め息まじりにゲドが口を挟むと、ヒューゴは口を尖らせる。
「・・・ゲドさんは、オレが大きくなるのが嫌なんですか?」
「そんなわけないだろう・・・。だが、闇雲に食って背が伸びるわけではないだろう?」
「それは・・・そうですけど・・・」
ヒューゴは少し視線を落とし、しかしまた上げた。
「でも、何もしなかったら絶対に伸びないじゃないですか!」
「そうか?」
「・・・・・・ゲドさんは・・・何もしないでも伸びたんだ・・・・・・ズルイ」
「・・・・・・」
自分に羨むような視線を向けるヒューゴを、ゲドはどう対処していいかわからなくなる。
「・・・でも、本当にいつ頃から伸びだしたんですか?」
「・・・・・・」
こんどは探るようなヒューゴの目線を受けて、しかしゲドはやっぱり無言で答えた。
そしてその沈黙を、ヒューゴは正しく理解する。
「・・・・・・そっか、覚えてないんだ・・・」
「・・・・・・」
百以上生きているゲドにとっては百年ほど前の話、覚えていないのも仕方ないかもしれないと思いながらも、ヒューゴはなんだかちょっと怖くなった。
「・・・・・・オレも、そのうち、いろんなこと忘れていっちゃうのかな・・・」
「・・・・・・」
そんなことはない、とはゲドには簡単に言えない。自分は長い人生の大概のことをもう覚えていないのだから。
しかし、例えば友と過ごした日々、大切な思い出はゲドだって覚えている。詳細には覚えていなくても、そのときの自分の感情、共にあったという喜び、そんなものは決して忘れることはないのだ。
「・・・あ、でも」
ゲドがそう伝えようとした、しかしそれより早く、ヒューゴが顔を上げる。
「オレは、ゲドさんとのことなら、忘れない自信があります」
迷いなく、ヒューゴは笑った。
「今こうして過ごしている時間も、オレはきっと忘れません」
大事な人と過ごす、些細なしかし大切な時間。どれだけ年月が経っても、それらは消えてしまうわけではないのだと、ヒューゴはすでにわかっていた。
「・・・・・・そうか」
ゲドは、ヒューゴという人間の強さをまた知る。なんだか目の前の少年が眩しく見えて、ゲドは思わず目を伏せた。
「あ、照れてます?」
「・・・いや」
本当に違うので否定したゲドだが、ヒューゴは勝手に都合よく解釈する。
「えへへ。オレ、ほんとに忘れませんから。ゲドさんとのこと、全部。もちろん・・・」
ヒューゴは嬉しそうに、しかしそれまでの笑顔とは少し違う笑みを浮かべながら続けた。
「昨夜のゲドさんも、全部、ね」
「・・・・・・・・・」
にんまり笑って見上げるヒューゴの瞳がキラリと光る。それは、その気になりかけている、という印だった。
ヒューゴのスイッチが入るタイミングがいまいちわからないゲドは、何故この流れでと思いつつ、どうにか方向転換してやろうといつものように口を開く。
「・・・それで、結局何を注文するんだ?」
「・・・あ、忘れてた!」
それにアッサリかかって、ヒューゴはまたメニューをしげしげと眺め始める。
「ええっと、エビチリ定食とお好み焼きとクリームグラタンとピザマンと・・・」
「だから・・・」
懲りずにまたたくさん注文しようとするヒューゴに、ゲドは呆れる。
が、もちろん放ってもおけないので、ゲドはゆっくり口を開いた。
「・・・・・・あまり食べ過ぎるのも、体に悪いぞ」
もちろんそれは、とめるための単なる方便ではなく、ヒューゴの体を心配しているのは本心でもある。
「・・・じゃあ、やめます」
それがわかったのか、ヒューゴはアッサリとそう言った。
すぐ納得すると思っていなかったゲドは思わず首を傾げそうになったが、しかし自分を見上げるヒューゴの視線に、ギクリとする。
「その代わり・・・・・・ゲドさんを、食べさせて下さいね」
「・・・・・・そんなメニューはない」
まったくもってヒューゴのスイッチはわからない、とか考えている場合ではないのでゲドは遠回しに拒否する。
だがヒューゴには全く通用しなかった。
「ありますよ、オレだけの、特別メニューです」
言いながらヒューゴは、テーブルの上のゲドの手に、そっと自らの手を乗せる。
その手を撫でるように絡めるように動かしながら見上げるヒューゴの瞳には、あの光が戻っていた。
「・・・・・・」
こういう方面には意外としつこいヒューゴだ。
そっと引こうとしたゲドの手を、ヒューゴはもちろん逃さない。
「・・・・・・・・・取り敢えず、昼食だ」
その間に何か対処法を考えようとするゲドだった。
「はい、メインの前にまずは前菜ってことですね!」
「・・・」
「スタミナつくのにしましょうね。カラヤ名物なんて、結構精力つきますよ! 一緒にどうです?」
「・・・・・・」
このヒューゴから逃れられる自信が、どうにもないゲドだった。
そしてそれはまた、いつものことだったりも、するのだ。
レストランのメニューに「焼肉」とか「蒲焼」とかあればよかったですね。
あとは「マムシドリンク」とか?
なくてもこのヒューゴはいつでも満々そうですけどね。
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