シザアル


いつの時期の話なのか、とかは考えないで下さい・・・



 会えるかもしれない、と思った。会いたい、と思った。
 ――会いたくない、とも思った。

 俄か雨に襲われたシーザーは、雨宿りの場所を求めて一際大きな木を目指して走った。
 そして、その木の下に、人影を見付ける。遠目でもわかる、赤髪の持ち主。シーザーの兄、アルベルトその人だ。
 もしかして、とシーザーは可能性を考えてはいた。もうすぐこの一帯で戦が起きる。おそらくここは戦場になるだろう。アルベルトが一度は足を運ぶだろうことは想像に難くなかった。
 昨日は来ず、おとといも、その前も。そして今日、アルベルトは遂に姿を見せたのだ。
 シーザーは今日に至るまで、ここに何度もやってきた。アルベルトが来るかもしれない、きっとそうだろう、そう予想していたからだ。会えるかもしれない、そう期待していたからだ。
 だが、待ち望んでいたアルベルトをこうやっていざ目にすると、シーザーは反対の思いにとらわれてしまう。会いたくない、このまま立ち去ってしまいたい、と。
 会いたい、会いたくない、迷う気持ちが雨の中でシーザーの身動きを奪う。それでも、逃げ出したい気持ちが勝ちそうになった、そのときだった。
 木に凭れ目を閉じていたアルベルトが、不意に目を開けて視線を動かし、そしてシーザーを捉える。
「・・・っ!」
 シーザーは動揺しそうになるのを、どうにか抑えた。相変わらず雨は降り続いているが、視界をさえぎるほどではない。アルベルトも、そこにいるのがシーザーだと、はっきりわかっただろう。
 目が合った以上、すごすごと逃げ出すわけにはいかない。シーザーは平静を装いながら、雨宿りする為だと言い訳がましく心の中で呟きつつ木陰に入った。
 そして、真後ろでもないすぐ隣でもない、微妙な距離を選ぶ。
 シーザーは、ちらりと視線を向けた。だがアルベルトは、同じようにシーザーに視線を向けはしない。シーザーがすぐ近くにいることをまるで意識していないように見えた。
 アルベルトに何か言われるのも怖い。だがそれ以上に、無視されるほうがずっとシーザーは嫌だった。
「・・・・・・なあ、アルベルト」
 シーザーはおそるおそる口を開いた。アルベルトをちらりと見ても、やはり反応はない。いつもの無表情でただ前を向いている。いや、目の前の光景は目に入ってはいないのかもしれない。何か思案中でシーザーの言葉なんて耳に届いていないのかもしれない。
 半分、そうだったらいいと思いながら、シーザーは続けた。
「・・・家出たのって、おれのせい・・・?」
 シーザーはそれがずっと聞きたかった。同時にやっぱり、聞きたくはなかった。その答えを知るのが怖い。
 シーザーが14のとき、アルベルトは家を出た。それ以来、一度も戻ってくることはなかった。だからシーザーは、兄をずっと追いかけているのだ。
「おれが・・・兄貴のこと・・・好きだ、って言ったせい・・・?」
 兄弟としてじゃなく、好きだと。思い余ってシーザーはアルベルトに告げてしまった。そしてアルベルトはそれからすぐに、シーザーに拒絶の言葉も何も言わず、家を出たのだ。
 久しぶりに会って、すぐ側でその顔を見上げて、やっぱりシーザーは自分がこの兄を好きなんだと実感する。好きだ、側にいたい、全部欲しい。それと同じくらい、嫌われるのが怖い。気持ち悪いと思われているかもしれない、それを知るのは怖い。
 相変わらず自分を見ようとしないアルベルトに、シーザーの不安は募るばかりだった。
「・・・アルベルト、何か言えよ。・・・言ってくれよ」
 それでも、真実を知らなければ、先に進めないのだ。シーザーは、なんでもいいから反応が欲しかった。アルベルトにちゃんと自分の言葉が届いているのだと、確かめたかった。
「なあ、アルベルト・・・!」
 シーザーが焦れて掴みかかろうとした、それより一瞬早く、アルベルトが口を開く。
「・・・・・・やみそうだな」
 それは明らかに、シーザーに向けた言葉ではなかった。確かに、さっきまで勢いよく降っていた雨は、すでにぱらつく程度になっている。だがシーザーは、そんなことはどうでもよかった。
「兄貴、そうじゃなくって・・・!」
 今度こそ詰め寄ろうとしたシーザーだが、やはり先にアルベルトが動いてしまう。凭れさせていた体を木から離し、前へ一歩踏み出した。
 このまま立ち去ってしまうつもりだと思って、シーザーは焦る。
「おい、アルベルト・・・兄貴・・・っ!?」
 が、一度シーザーに背を向けたアルベルトは、不意に振り返った。シーザーと真っ直ぐ目を合わせ、そしてシーザーのほうに身を乗り出す。
「・・・・・・?」
 つい後退りしたシーザーの、背が触れた木の幹のすぐ両脇に、アルベルトは腕を伸ばし肘をついた。
 すぐ至近距離にアルベルトの顔が見えて、シーザーの心臓が跳ねる。じっと見つめられ、文句も疑問も追及の言葉もシーザーの口からは出てこれなくなった。目前のアルベルトの緑の瞳に映る自分が、随分間抜けな表情をしている気がする。それでもシーザーは、繕うことも出来なかった。
 間近のどこか冷え冷えとした美貌が、ゆっくりと近付いてくるように見えるのは、シーザーの気のせいだろうか。何かに圧されるように目を閉じたと同時に、シーザーの唇に触れる何かやわらかいもの。
「・・・・・・っ!!」
 一瞬ののち、はっと目を開いたシーザーに見えたのは、離れていくアルベルトのいつもの無表情。
「シーザー、軍師たるもの、どんな不測の事態にも即座に平然と対応出来なければならない」
「・・・・・・っ兄・・・!」
 低い、澱みのない感情も感じ取れない言葉を残して、アルベルトはシーザーに背を向け今度こそ立ち去ろうとする。慌てて追いかけようとしたシーザーは、しかし力の抜けた膝のせいでその場にへたり込んでしまった。
 ただ小さくなっていく兄の背を見送りながら、シーザーの手は自然と唇に伸びる。一瞬アルベルトの唇が触れた、そこに。
「・・・・・・・・・な・・・」
 なんだったのか、なんであんなことをしたのか、考えても少しもわからない。脱力した体を木に凭れさせながら、シーザーは頭を抱えた。
 アルベルトの気持ち。知るのが怖い、それでも知りたい。迷いながら、シーザーはまたアルベルトを追うしか出来なくなる。その理由が、また一つ増えたのだから。
 空はすでに晴れ間を覗かせようとしている。だが、シーザーの心が晴れる日は、まだ当分来そうになかった。





ヒュゲド


「明日、雨降ると思います?」
 窓の外を眺めながら、ヒューゴは問いを口にした。
 ゲドはつられて同じように窓の外を見たが、そこには真っ暗な夜空が広がっていて、空模様など見えない。月も見えないのでどうやら雲が掛かっているようだが、ゲドは夕方の空を思い出して答えた。
「いや、降らないだろう」
「えー、そうですか?」
 ヒューゴは窓辺から離れ、ベッドを椅子代わりにしているゲドの隣にやってきて、同じように腰を下ろす。
「オレは降ると思うんですけど」
「いや、降らない」
 長年の経験から、ゲドはそう断言出来た。
 だがヒューゴは、同意してもらえないのが不満なのか、軽く口を尖らせる。
「でもー・・・」
 やっぱり降ると思うんですけど、と言おうとしたのか、しかしヒューゴは途中で言葉をとめた。
 そして、ゲドを見上げて、きらりと瞳を輝かせる。
「・・・・・・」
 ゲドは、またヒューゴが何か思い付いたのだと、すぐに感付いた。こんな目をしたとき、それはヒューゴがゲドに何かねだったりするときである。
 他愛もないそれは、いつもゲドを困らせる。何故なら、ピシャリと却下することが、いつも出来ないからだ。
「ゲドさん、だったら賭けません?」
 にこりと笑って、ヒューゴは今回の提案を口にした。
「明日、雨が降ったらオレの勝ち、降らなかったらゲドさんの勝ちです」
 言いながらヒューゴは、ゲドの肩に手を掛けて、顔を近付ける。
「もしゲドさんが勝ったら、明日はゆっくりと体を休められるんです」
「・・・・・・」
「その代わり、もしオレが勝ったら、だるい体を引き摺りながらオレと出掛けるんです!」
 そしてまるで自然な流れかのようにキスしてこようとするヒューゴを、ゲドは溜め息をつきながらとめた。
「その賭けは・・・おかしいと思うが」
 まず何故翌日ゲドが疲れているのが前提なのか。このままおとなしく眠れば、そんな事態にはならないはずだ。
「どこがですか?」
 しかしヒューゴは、きょとんと首を傾げる。こういうヒューゴは、わざとボケて見せているのか、それとも本当にわかっていないのか、いまいち判別がつかない。
「・・・普通は、こういうことを賭けの対象にするんじゃないのか?」
 自分の肩に乗せたヒューゴの手を指しながら、ゲドとしては至極真っ当なことを言ったつもりだったのだが。
「・・・・・・うわ、ひどいですゲドさんっ!!」
 ヒューゴは大げさなほどのけぞり、それからわざとらしいほどガックリしながらベッドに手をついた。
「そっか、ゲドさんにとっては、オレとキスするのもエッチするのも、罰ゲームみたいなもんなんだ、そうなんだ・・・」
「・・・・・・・・・」
 これでヒューゴが、落ち込んだ振りをしてゲドがいやそうじゃないと言うのを待っているのだったら、対処は逆に簡単なのだ。
 だがヒューゴは、本気でショックを受けていた。
 ならばゲドもまた、本音で返してやらなければならなくなる。
「・・・・・・そんなふうに思っている・・・わけでは」
「・・・本当ですか?」
 ヒューゴはちらりとゲドを見上げた。それから、そろりと再び距離を詰めてくる。
 すぐ間近まで来て、ヒューゴは真っ直ぐゲドの瞳を覗き込んだ。空を映したような青、草原のような緑、どちらにも見えるヒューゴの瞳が、力強い眼差しでじっとゲドを見つめる。
「・・・じゃあ、いいんですよね?」
「・・・・・・・・・」
 再びゲドの肩に手を乗せて、ヒューゴはゆっくりと顔を近付けてくる。それを拒むわけにもいかず、ゲドはおとなしくヒューゴの唇を受け入れた。
 するとヒューゴは、嬉しそうに笑って、張り切ってゲドをベッドに押し倒す。
「じゃあ、賭けは成立ってことですね!!」
「・・・・・・・・・・・・」
 何か言い返さなければならない気もするが、ゲドの口からなんの言葉も出てこなかった。
 いつものことだが、こういう状況になったゲドはつい思ってしまうのだ、まぁいいか、と。
 こんな自分よりもうーーんと年下の子供に負けているようで、多少釈然としないものも感じるが。しかし、ヒューゴに勝てない自分があまり嫌いではない、ゲドだった。







ゲオカイ
(まだ+)


「あー、熱いですねー」
「・・・そうだな」
 手をぱたぱた振って僅かな風を自分に送りつつぼやくカイルに、ゲオルグも同意した。
 さっきまでゲオルグとカイルは兵の訓練をしていた。その最後に、兵士に乞われて二人で手合わせをしたのだ。
 優男、と呼ばれているカイルだが、やはり立派な女王騎士。その実力にも申し分なく、随分と白熱した手合いになった。そして終わるころには、二人とも汗だくになっていた。
 これが夕方なら、このまま部屋に帰ってシャワーを浴びることが出来るが。生憎まだ昼過ぎで、やるべき仕事も残っている。そういうわけにもいかないだろう。
 汗を掻いた体が気持ち悪いが、諦めて詰め所に戻ろうと、ゲオルグは思ったのだが。
「というわけでゲオルグ殿、水浴びに行きませんかー? いい場所があるんですよー」
「・・・・・・水浴び?」
 カイルの提案に、ゲオルグは首を傾げたが、カイルは気にせずどこかへ向かって歩き出した。水浴び、という単語は今のゲオルグにとっては一番の誘惑で、つい並んで歩きながら一応聞いてみる。
「いいのか?」
「別に、30分くらい、いいでしょー。それに、女王騎士がだらーんとした姿を晒しとくわけにはいかないし」
「まあ・・・それもそうだな」
 真面目なザハークやアレニア辺りが聞いたら眉をしかめそうだが、適度に力を抜く主義のゲオルグは頷いた。正直、熱を冷ませるのは嬉しい。
「それにー、フェリド様もたまに使ってるんですよー。女王騎士長様のお墨付きだから、誰も文句はないでしょー」
 そういうものでもないと思ったが、ゲオルグは口を挟まないことにしておいた。やはり今は水を浴びたい気持ちが強いからだ。
 その水浴び場は、女王騎士しか入れないエリアの中庭にあった。ようは水が豊かなソルファレナによく見られる噴水なのだが、桶や籠が置いてあるしタオルまで用意してあって、どうやらカイルとフェリドのせいで水浴び場と化してしまっているようだ。
 カイルは早速、上着を脱いで籠に放り込み始める。ゲオルグもそれに倣ってまず眼帯を外し、それから上着から脱いでいく。
 女王騎士服はなかなか複雑な作りで、全部脱いで着直すとなるとかなり時間が掛かる。確かに、悠長に居室に戻って風呂に入っている時間はないと思うが。しかし、上半身の衣服を取れば、あとはベルトにぶら下がった上衣とズボンや靴だけになる。
「・・・なんだか、ここまで脱いだら全部脱いでも変わらん気がするな・・・」
 いっそ素っ裸になって水を浴びたい気になるゲオルグだ。一般の兵士や市民は入れないとはいえ、女官などは普通に通り掛かる場所だから、そういうわけにもいかないとわかってはいるが。
 しかしカイルは、それとは違う、そしてちょっと意外な理由を挙げた。
「でも、何かあったとき、すっぽんぽんじゃさすがにねー。上半身裸なら、駆けつけたって、ちょっと女性の黄色い声を浴びるだけですからねー」
「・・・・・・・・・」
 後半はともかく、カイルがちゃんとそういうことを考えていることにゲオルグはちょっと驚く。不真面目とまでは言えないが真面目だともとても言えない、ゲオルグはそうカイルの仕事ぶりを評価していた。だがそれだけではないのだと、カイルを見直す。
「さて、じゃあ一発浴びますかー!」
 髪も解いたカイルは、上体を前に傾げた。そして桶から汲んだ水を頭から勢いよく浴びれば、ゲオルグのほうまで僅かに水しぶきが飛んでくる。つい逸る手つきでゲオルグも冷たい水を頭にかぶせれば、汗と共に不快感が流れ去っていった。
「はー、気持ちいー!」
 思わずといったように声を上げながら、カイルはぶんぶんと頭を振って水気を飛ばす。その犬のような仕草を微笑ましく思いながら、ゲオルグは自らも髪の水気を払うと、カイルに倣って湿らせたタオルで上半身を拭き始めた。本当ならもっと豪快に水をかぶりたいところだが、あいにく今は下半分は服を着たままなのでそうもいかない。
 それでも、タオルで拭くだけでも随分違った。ぬれた肌は、風が吹くたびにゲオルグに堪らない清涼感を与える。カイルは再び頭から水をかぶっているが、ゲオルグは噴水の淵に腰掛け風当たりを楽しむことにした。体を伝い落ちる水が、服の隙間に僅かに忍び込んでくるのが少し気になるが、それを差し引いてもやはり心地よい。
「これは、いいことを教えてもらったようだな」
「でしょー!」
 ゲオルグが満足げに言うと、カイルがまた犬のように頭を振ってからゲオルグに笑い掛ける。
「野郎同士で水浴びなんて、色気もへったくれもないところが難点ですけどねー」
「まあ、そりゃあ・・・」
 それくらいのことには目を瞑らなければ、と答えようとしたゲオルグは、思わず言葉を澱ませた。
 水が滴り落ちる髪を掻き上げたカイルは、ゲオルグと同じように噴水の淵に腰掛ける。すぐ横の、細身だが鍛えられた体を滴が伝っていく様、太陽の日差しを受けて金の髪が産毛が水滴と共に淡く光る様、そんなものが妙にゲオルグの目を引いた。
 色っぽい、なんて男に対して抱く感想ではない気もするが、しかしそれが一番ぴったりくる気がする。女好きの遊び人と言っている割にカイルはさっぱりしていて、いまいち艶っぽいものが感じられなかったが、こうやって見るとなかなか・・・などとゲオルグはついカイルを眺めながら思った。
 相変わらず、カイルの絹糸のような金の髪を光を反射しながら水滴が流れ、ぽたぽたと服に噴水の縁に落ちて染みを作っていく。まばたきするたびに、水を含んで重そうにすら見える睫毛から飛沫が飛んでいっている気がする。
 昼下がりの中庭というシチュエーションと相まって、まるで物語の一場面のような光景に、ゲオルグはしばし見入った。
 カイルは顔を仰向け陽の恩恵にあやかっていたが、そのうちゲオルグからの視線が気になったからか、不意にゲオルグと目を合わせる。そして、どこか婉然と微笑んで言った。
「・・・水も滴るいい男」
「・・・・・・・・・」
 ゲオルグは、少しどきりとした。考えていたことが見透かされたのだろうかということに対して、そしてカイルのその笑顔そのものに対して。
 だがカイルの笑顔は、すぐにいつものぱっと明るいものに変わった。
「ですねー、ゲオルグ殿!」
「・・・・・・俺が、か?」
 てっきり、オレって水も滴るいい男でしょ?とでも言い出すかと思っていたゲオルグは、カイルの予想外の言葉に首を捻った。対してカイルはぶんぶんと首を縦に振る。
「そーですよ。悔しいけど様になってますもんー。男の色気、ってのかなー」
「・・・・・・」
 どうやら、似たり寄ったりの感想をお互いに抱いていたらしい。若干、自分のほうがよこしまな気がゲオルグはしたが。そしてカイルは、ゲオルグの心中知らず何やら続ける。
「なんといっても、黒髪! 女性の黒髪も堪らなく艶っぽいですけど、男の黒髪も、なんか硬派ってかんじがして、いいですよねー!」
 そう言いながら、カイルの手がゆっくりと持ち上がろうとした。そうまるで、ゲオルグの黒髪に手を伸ばそうとしているかのように。
「・・・・・・・・・」
 思わずその場面を想像して、ゲオルグはそうなってしまう前に、すっと立ち上がった。
 カイルと違って、ゲオルグは水浴びに特に色気というものが必要だとは思わない。そんな展開など、別にいらないのだ。
 勿論、カイルにそんな意図はないだろうし、そこに色気が介在すると思ってしまうゲオルグがどうかしているのだが。
「そろそろ、戻らんとならんだろう?」
「あ、そういえば、結構まったりしちゃいましたねー」
 カイルはあまり悪びれず言って、さっきまでの流れなんて忘れてしまったかのようにあっさりと腰を上げた。そして先に立ち上がったゲオルグよりも早く、勤めに戻る準備を始める。
 そんな別に気にするようなことではないことが、何故かちょっとだけ気になってしまう。服を着る為に体や頭をしっかりと拭きながら、ゲオルグはもう一度てっぺんから水をかぶって頭を冷やしたほうがいいのではないかと、ちらりと思った。






ゲオカイ



 それは、カイルとゲオルグが街の露店を物色して回っているときだった。
 ぽつり、ぽつりと雨が降り出したのだ。
「あ、雨ですねー・・・」
 呟いたカイルの唇は、少々尖っている。
 二人は今日この街に着いて、まず宿をとってから、散策がてらに商店を覗いていた。それは、ゲオルグにとっては偵察のような意味を持つのかもしれないが、しかしカイルにとっては立派な、デート、だった。
 一仕事終えて、この街でしばらくゲオルグとまったり過ごすことが出来るのだ。その出鼻を、雨によって挫かれてしまうなど、カイルは絶対に嫌だった。
 なのにゲオルグは、空を仰いでから、カイルに伺いを立てる。
「一先ず宿に戻るか?」
「・・・小雨だから、まだいいじゃないですかー!」
 ちょっとムッとしながらも、カイルはゲオルグの腕を引っ張ってお茶を売っている露店に連れていった。幸いどの露店も天幕を張ったタイプで、しばらくは商売を続けるようだ。
「ほら、さっき選んだチーズケーキにぴったり合う紅茶、探しましょうよー」
「それもそうだな」
 チーズケーキ、と一言言っただけでゲオルグはあっさり同意してくれる。なんだか悔しいカイルだが、それはいつものことでもあるので、気にしないことにしてゲオルグとのショッピングを楽しむことにした。

 のだが、その僅か十分後。本格的に雨が降り出して、ショッピングを楽しむどころではなくなってしまった。
「さすがに、戻ったほうがいいな」
「・・・そうですねー」
 楽しいデートに、まさに水を差されてしまったと、カイルはがっくりする。しかしお互いにもう濡れ鼠のようになってしまっている以上、呑気に買い物を続けるわけにもいかないだろう。
 それでも未練が尽きないカイルは、しかしゲオルグに目を留めて、そしてぱっと考えを改めた。
 雨に打たれて、ゲオルグの艶のある黒髪や精悍な頬を滴が伝い落ちていく様は、それはもうずっと見ていたいくらいにカイルにとって魅力的な光景だが。
 それ以上に、この状況はカイルにとって都合のいい展開になる可能性を秘めているのだ。ここまで雨にぬれてしまったということは、宿に帰ったらお風呂に入ろうという話になるだろう。報酬を得たばかりで懐があたたかいことだしと、風呂付きの部屋を取っているのだ。
 狭い個室で裸で二人きりになって、そうなれば・・・
「ゲオルグ殿ー、早く宿に戻りましょうー!!」
 することなんて決まっていると、カイルは逸る気持ちからゲオルグを引っ張ってでも宿に戻ろうと思ったのだが。
 当のゲオルグの姿が、さっきまでいたはずの隣になかった。カイルがきょろきょろと見回すと、ある店からゲオルグが出てくる。何やら小脇に大事そうに抱えて。
「・・・・・・・・・」
 どうやら、この街について一番最初にゲオルグが足を運んだお菓子屋さんで、目を付けていたチーズケーキを宿に帰る前にと買いに行っていたのだろう。
 ちょっとの間とはいえ自分を放っておいて、と思うと面白くないが、カイルは不機嫌になるのは抑えておいた。
 これから、チーズケーキにも負けない甘く濃厚な時間を過ごす予定なのだから。

 が、今日はとことんカイルの予定通りにはいってくれなかった。
「カイル、先に湯を使え」
 なんてゲオルグが言ったのだ。
「え、な、なんでですかー?」
 当然二人で入るつもりだったカイルは、風呂場に向かう足をとめて慌ててゲオルグを振り返った。よこしまな思いを見透かされ、その上拒否されたのかと思ったのだ。
 だが、そういうわけではなかったらしい。
「いや、お前のほうが髪が長いから・・・風邪引きやすいだろう?」
「・・・・・・・・・」
 それらしい理由を挙げつつ、ゲオルグの手はそっと箱に伸びている。さっき買ってきたばかりの、チーズケーキの箱に。どうやら、今すぐに食べたいらしい。ぬれた体を放って、風呂に入るのを後回しにするほど。
 ゲオルグと付き合う上で、チーズケーキにいちいち嫉妬していたらきりがない。よくわかっているつもりのカイルだが、それでも我慢出来ないときもある。
「・・・嫌です、入りません!」
「・・・・・・は?」
 きっぱりと言ったカイルにゲオルグは眉を寄せたが、カイルの決意に変わりはない。
「ゲオルグ殿が入らないなら、オレも入りません!」
「・・・・・・いや、俺に構わんでいいぞ?」
「入らないったら入らないんです!!」
「・・・・・・」
 ゲオルグは溜め息をついた。駄々を捏ねるな、とゲオルグは言いたげだが、チーズケーキ食べたいから風呂に入らないというのも立派な駄々ではないだろうかとカイルは思う。
「・・・風邪引くぞ?」
「ゲオルグ殿こそ」
「・・・・・・」
 どうやってカイルを説得しようかゲオルグは悩んでいるようだ。面白くないし呆れもするが、しかしカイルは嬉しくもあった。説得して風呂に入らせようとするのは、カイルが風邪を引かないようにと案じているからだ。
「・・・・・・」
 が、そんなことで喜んでていいのか?と一瞬ののちにカイルは我に返った。
「ゲオルグ殿、チーズケーキ食べたい気持ちはわかりますけど、でもゲオルグ殿と一緒じゃなきゃオレもお風呂に絶対に入らないですからね!!」
 こんなことを力説するのもどうかと思うが、ここで引いてなるものかとカイルは言い放った。するとゲオルグは、カイルから手元のチーズケーキに視線を移し、それからまたカイルを見て、溜め息一つ。
「・・・・・・仕方ないな」
「・・・・・・」
 仕方ないのはあなたのほうです、と言いたくなるのを堪えて、カイルはそうと決まればゲオルグが気を変えないうちにと腕を引っ張った。
「はい、入りましょうね!!」
「・・・・・・」
 ゲオルグは名残惜しそうにチーズケーキを見つめてから、やっと風呂場に向かって歩き出してくれた。
 おそらくゲオルグは、さっさと体をあっためて風呂を出てきて、そしてチーズケーキを堪能するつもりなのだろう。
 そうはいくか、カイルは思う。二人で風呂に入るのだから、あんなことやこんなことをしない手はない。どうやってゲオルグをその気にさせるか、考えを巡らせつつもゲオルグの裸体チェックに余念のないカイルだった。



カイルをダメな子にしようと思ったら、同じくらいゲオルグも駄目な人になりました・・・







ガレカイ(ED後)

 なんか、お題から逸れてることに、書き終わって気付きました(遅)




 湖面に糸を垂らし、しばらく待てば、糸の先の餌に食い付いた魚からの反応がある。それはつまり、この湖が魚が棲めるほど、豊かになっているということだった。
「あ、また掛かりましたー!」
 カイルは歓喜の声を上げて、竿をぶんと振り上げる。釣り上げた魚を針から外し、餌を付け直そうとしたカイルは、ふと手をとめた。空を・・・というより太陽を、仰ぐ。
「それにしても・・・暑いですねー」
 ギラギラと照りつけてくる日差しは、容赦がない。カイルはつい帽子のつばを引っ張って、顔に直接当たる光をさえぎった。
「これ、ないと本当に、ロードレイクではやってけないですねー」
 カイルはしみじみと呟く。これ、とは、つばが大きく丈も長いロードレイク帽子のことだった。
 あの帽子は、カイルはてっきり、太陽の紋章のせいで干上がってしまったロードレイクに不可欠なものだと思っていた。だが実のところ、湖に水が戻ってきても、やっぱり必要だったのだ。ロードレイクで生活していく上で、なくてはならないもの。
 カイルも例にもれず、昼間は着用していた。見掛け的にどうかと思わないでもないが、背に腹は代えられない。直射日光を浴びれば、自慢の花のかんばせが台無しになってしまうではないか。だからカイルはこれも例にもれず、外では露出度の低い服装を心掛けてもいる。
 そもそも、ファレナは国全体として晴れの日が多く日差しも強い、らしい。カイルは外国に行ったことがないから、文献で読んで得た知識だが。
 それでも、ソルファレナはロードレイクほどではなかった気がする。ソルファレナは湖に囲まれているからだろうか、などと考えてみているカイルに、横から声が掛った。
「緑が増えれば、少しはましになるであろうが・・・」
 カイルがいろいろ呟いている間、隣でずっと黙々と釣りを続けていたガレオンだ。とはいえ、ガレオンは何もカイルの相手をするのが面倒で無視し続けていたわけではない。喋るカイルに相槌を打ちつつたまに言葉を返すガレオン、というのが二人の基本スタンスなのだ。
「あ、言われてみれば、そうですねー。ソルファレナは緑が多かったですもんねー」
 ソルファレナでは、木陰に入れば、水気を含んだ風が吹き抜け随分と涼しかった。それに比べてこのロードレイクは、水が戻るまでの二年の間に木々は枯れ果て、育ちつつある緑もまだ頼りない。だが、水を取り戻したロードレイクの緑は、これからどんどん育つのだろう。
「じゃあ、これからに期待、ってことですねー!」
「・・・・・・そうであるな」
 前向きに言ったカイルに、ガレオンが深く頷きながら同意した。
 ガレオンのその横顔が、どこか嬉しそうに見えて、カイルもつい笑顔になる。
「てことは、当分はこれと付き合ってかなきゃいけないんですよねー」
 帽子のつばをつんつんとつつきながら、カイルはそれを厭うているとは感じさせない口調で言った。湖面から視線を移すガレオンに、カイルは笑顔を向ける。
「でもこれ、意外と結構似合ってるでしょー!」
 とはいえカイルは、この帽子が自分にぴったりだ、とは思ってはいなかった。やはりその帽子は、カイルとミスマッチだ。お世辞にもお似合いとは言えない。
 だが、その不自然さにもすっかり慣れてしまうくらい、この姿でガレオンと共に過ごしてきたのだ。こうやって、湖の桟橋に腰掛けて釣りをする姿も随分と堂に入っていると思う。
「どこからどう見ても、立派なロードレイクの人、だと思いません?」
 我ながら、ロードレイクに、この街でのガレオン殿との暮らしに、すっかり馴染んでしまったと思うんですけど、どうですか?
 笑顔で問うカイルに、ガレオンは帽子を少々深くかぶり直しながら、返事を寄越した。
「・・・・・・そうであるな」
 さっきみたいに、深く頷くことはなかったが。それでも、さっきのようにそれを歓迎するような表情を僅かに滲ませている、ように見えるのはカイルの気のせいだろうか。
「・・・ガレオン殿ー」
 カイルはすすすとガレオンとの距離を詰め、さらに顔を近付けようとして・・・しかし、互いの帽子のつばにじゃまされてしまった。
「・・・・・・何をしておる」
 そんなカイルをガレオンは半分呆れるように眺めるが、カイルはめげない。
「この帽子、便利だけど不便ですねー」
 ぼやきつつ、カイルは帽子を脱いで、日をさえぎるように太陽にかざした。太陽は今ちょうど、街の方向にある。反対側には、一面に湖が広がるだけ。
 死角を作り出したカイルは、ガレオンの帽子のつばの内へ上手く入り込んだ。そして、素早く口付ける。
 そんなキスの仕方にも、カイルはすっかり慣れてしまっていた。