ヒュゲド
バレンタインというのは、独特の甘く華やかな雰囲気が漂うものだ。それは戦時中のビュッデヒュッケ城も例外ではなかった。
「バレンタインかー」
カラヤにはバレンタインの習慣はなかった。だから余計に、ヒューゴは来る日に向けどんどん高まっていく祭りに似た空気に、なんとなくワクワクしていた。
そんなヒューゴに、軍曹は何気なく話題を振ってみる。
「お前はゲドにチョコをあげないのか?」
「え、女の人が男の人にあげるもんじゃないの?」
きょとんと、考えてもみなかったと表情でも語るヒューゴに、軍曹は思わず吹き出してしまった。
「お前からそんな常識的な言葉が出てくるとはなぁ・・・!」
「な、なんだよ!」
むっとするヒューゴに、軍曹はさらに煽るように言う。ちなみに何故軍曹がこんなことをしているかというと、別にこれといって理由はない。敢えていうなら、成り行きを楽しんでいる、といったところだろうか。
「まあ、そのつもりならいいさ。ゲドが誰か綺麗な女性からチョコを貰うのを、ただ黙って見れてばいい」
「・・・・・・・・・」
ヒューゴの迷いは、多分一瞬だっただろう。
駆け出していくヒューゴを、軍曹は呑気に無責任に見送った。
「はいゲドさん、バレンタインチョコです!!」
そしてバレンタインの日、軍曹が唆した通りの行動をヒューゴは取っていた。朝っぱらからゲドの部屋に押し掛けて、満面の笑みでバレンタインチョコを差し出したのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
起き抜けということもあって、ゲドはしばらく茫然とその自分に差し出されたチョコを眺めた。それから、朝から面倒くさい、と言いたげに頭を押さえたのち、ゆっくり口を開く。
「・・・ヒューゴ、バレンタインというのは女が男に・・・」
「知ってますよそれくらい!!」
一から説明しようとしたゲドを、ヒューゴは勢いよくさえぎった。そして、まだベッドから上体を起こしただけのゲドに合わせるように、ベッドによじ登る。
「でも、別にあげちゃダメってことはないですよね?」
「・・・・・・」
まあ確かにその通りだが。貰うほうにしてみれば、相手が男というのはなんとも微妙な気分だ。
しかしそれを言うと、ヒューゴがショックを受けるか怒るか拗ねるか、どれにしても面倒なことになってしまうだろう。
出来ればもう一度安眠にありつきたい、そのことで頭が一杯のゲドは、だから黙っておくことにした。そして、おとなしくチョコを受け取れば、一先ずこの場は去ってくれるのではないか、そう期待する。
ゲドが手を差し出せば、ヒューゴは輝かんばかりの笑顔で、その手にバレンタインチョコを乗せてきた。
「どうぞ! ゲドさんの口に合えばいんですけど!」
「・・・・・・」
しかしヒューゴは、ゲドが期待したように、立ち去ろうとはしてくれない。それどころか、早く開けて下さい早く食べて下さい!と言いたげな視線を向けてきた。
ゲドは溜め息を一つついてから、包装紙に手を掛ける。何事にも逆らわず穏便に、済ませることが多いゲドだ。ヒューゴ相手だと特に。
包装紙を取って蓋を開け、さらに包装紙に包まれたチョコを手に取る。
「・・・・・・」
甘いものがそんなに得意ではなく、しかも起きたばっかりだから、ゲドもあまり気が進まない。ちらりとヒューゴに視線を向けて見ると、相変わらず妙にキラキラした瞳でゲドを見ていた。
「・・・・・・・・・」
なんだか、一つと言わず、六つのチョコ全てを食べなければ許してくれなさそうな予感がする。さすがにそんなに食べるのはきついので、ゲドは考えた。
六つのうち、半分の三つを手に取って、ヒューゴに差し出す。
「・・・一人で食べても、味気ない」
「・・・それもそうですね!」
ゲドの取ってつけた理由に、ヒューゴはすぐに納得してくれた。早速銀紙を取っていくヒューゴに、ノルマが半分になってホッとしつつゲドも包装を剥いていく。
ぽいっとチョコを口に放り込むヒューゴに、つられるようにゲドも口にして・・・すぐに自らの過ちに気付いた。だが、ときすでに遅く。
口の中の、ゲドにとっては馴染んだ味のそれを飲み込みながら、ヒューゴに視線を向けると。すでにヒューゴの顔は、一目でそれとわかるほど真っ赤になっていた。
そう、ヒューゴがくれたチョコ、それはお酒入りの大人向けなものだったのだ。
酒は少量とはいえ、全く飲めないヒューゴはひとたまりもなく。
「・・・あれぇ、なんか・・・ゲドさんがふた・・・り・・・」
早くも視線が定まらず言葉がおぼつかなくなってきたヒューゴは、次の瞬間、ころりとその場に倒れ込んだ。
「ヒューゴ・・・?」
ゲドが慌てて覗き込むと、ヒューゴはすでに安らかな寝息を立てている。すやすやと眠るヒューゴを、ゲドは取り敢えず布団に入れてやった。
そして、結局食べられなかった四つのチョコを箱に戻す。酒入りならば、ヒューゴに食べさせることはもう出来ない。
かといって、他の誰かにあげたり、捨てたりするのも気が引けた。ヒューゴの思いが詰まっていると思うと、ちゃんと自分が食べてあげないといけない気がする。
困ったものを持って来てくれたと思うが、ヒューゴの様子を思い出すと、そう悪い気がしない気もする。
「・・・・・・・・・」
少し悩んだゲドは、しかしどことなく幸せそうなヒューゴの寝顔を見ていると、別に悩むようなことではないようにも思えてきた。
あと四つばかり食べて、美味しいと一言でも言えば、ヒューゴはきっと目一杯の笑顔を浮かべて喜ぶだろう。ならばそれでいいか、そう思った。
ゲドは箱を隅に置いて、取り敢えず再び眠ろうとヒューゴの隣に横になる。まあたまにならこんなイベントも悪くはないか、そう思ってしまうゲドだった。
ガレカイ
バレンタインはカイルの好きな日だった。
いつも以上に女性に声を掛けてもらえるし、彼女たちの心のこもったチョコも嬉しい。それでなくても、恋する女性は普段よりも輝いて見えて魅力的で、眺めているだけで楽しい。
カイルは甘いものは好きだし、この日特有の甘い空気も大好きだった。
だが、今まで楽しいだけだったバレンタインが、しかし今年はカイルにとって少々違うものとなる。
女性に貰ったバレンタインチョコを大切に抱えて歩いていたカイルは、ふと足をとめた。ガレオンの姿が目に入ったのだ。
正確に言うなら、ガレオンと女性の、姿が。
30歳くらいの、楚々とした女性は、ガレオンに何かを差し出している。いや、バレンタインの日に「何か」もないだろう。バレンタインチョコだ。
カイルは柱の陰に隠れて、二人のやり取りを注視した。
ガレオンは何かを言って首を振ったが、女性はさらに何かを言い募りながらチョコを差し出す。おそらく、受け取ってくれるだけでいいんです、といったところだろう。
少し逡巡する様子を見せながらも、ガレオンはそのチョコを今度は受け取った。女性は嬉しそうに笑ってから、去っていく。
手にしたチョコを対処に困るように見つめるガレオンを、カイルもじっと見つめていた。すると、嫉妬やら何やらのオーラが溢れ出していたのか、すぐにガレオンに気付かれてしまう。
「・・・何をしておるのだ?」
「・・・・・・・・・」
呆れた声色で問い掛けてくるガレオンを、バレたのだから柱から出て近付きつつ、口を突き出しながら見つめた。
「ガレオン殿って、結構モテるんですねー・・・」
「・・・・・・」
ガレオンの視線が、カイルが抱えるチョコたちに向く。おぬしに言われたくはない、といったところだろう。
「・・・別に、ちょっと・・・羨ましいだけですー」
だからカイルは、正直に言った。ガレオンは、どういうことかわからないようで、僅かに首を傾げる。
ガレオンがチョコを貰ったことについてなら、カイルのほうが数多く貰っているから、羨ましがる対象にはならないだろう。
勿論カイルは、ガレオンがチョコを受け取ったことに対して何かを言うつもりはなかった。
「だって・・・彼女たちは堂々と、好きですってチョコ渡せるじゃないですかー」
「・・・・・・しかし、おぬしも・・・」
バレンタインなどにかこつけず、好きだとか言いまくっているではないか。とガレオンは言いたいのだろう。
わかっている。だが、やはりカイルは思ってしまうのだ。
「だって、バレンタインの日は、女性はみんなキラキラ輝いてていつも以上にかわいくて。そういうの、なんかいいなーって。オレには無理だし・・・」
今までは、そんな女性たちを見るのは、楽しいし幸せな気分になるだけだった。だが、さっきガレオンにチョコを渡す女性を見て、初めて違う感情を覚えたのだ。
バレンタイン特有の華やいだ空気、チョコを渡す為にいつもよりも着飾り、恋をし思いを伝える喜びで輝いている女性。それはカイルには逆立ちしても真似出来ないことで。
「別に、女性になりたいわけじゃないんですけど・・・」
たから、ちょっと羨ましいだけなのだ。
カイルは複雑そうな表情をしているガレオンに、笑い掛けた。
「すいません、こんなこと言われても、困っちゃいますよねー。いつもの、どうしようもないヤキモチだと、聞き流しちゃって下さい」
せっかくのバレンタインなのに、僻みっぽくなりたくない。女性たちみたいにチョコを渡すことは出来なくても、この明るく華やかな日にはいつも以上に、ガレオンと楽しく過ごしたかった。
「オレにはチョコをかわいく渡すことは出来ないけど、その代わり、これからもしつこいくらい好きだって言い続けますから、覚悟してて下さいねー!」
カイルがびしっと宣言すると、ガレオンは困ったような表情をする。それが、しかし見掛け通り困っているだけではないことを、カイルは知っていた。
女王騎士二人がこんなところでいつまでも油売っているわけにもいかない。カイルは歩き出した足を、しかしすぐにとめた。ガレオンもつられて立ち止まる。
さっきガレオンにチョコを渡していた女性が、道端で話し込んでいたのだ。それだけならそっと通り過ぎるのだが。
「じゃあ、ガレオン様にチョコ渡したの?」
「うん、ちゃんと受け取ってもらえた」
などというその会話の内容に、カイルは反応してしまったのだ。ガレオンは立ち聞きなど・・・と言いたげに立ち去ろうとするが、カイルは飾りタスキを引っ張って引き留める。ガレオンにチョコを渡した女性に、やはり興味があった。
女王騎士二人がそんなことをしているとは知らず、女性たちの会話は続く。
「でも、はっきり言われたの・・・」
「なんて?」
そこで、ガレオンが逃げたそうにするが、カイルはタスキをぎゅっと握りしめて逃がさない。そして耳を大きくして続きを待つカイルに、女性の言葉が届いた。
「好きな人がいるんですかって聞いたら、いる、って」
さらに女性二人の会話は続いていくが、カイルの耳にはもう入ってこない。
カイルは思わずガレオンのほうをぱっと向いた。ガレオンは、気まずそうに視線を逸らす。聞かれてしまった、と言いたげな様子だ。
それはつまり、そういうことだろう。
「ガっ・・・・・・」
カイルは衝動のままに叫びそうになって、しかし慌てて耐える。
気持ちとしては、ガレオン殿大好きです!と叫ぶか、思いっ切り抱きつきたいところだが。
こんなところでそんなことをしたら、ガレオンに叱られた上で当分近付かせてもらえなくなってしまうだろう。バレンタインにそんなの、悲し過ぎる。
だから我慢したカイルだが、しかしこの喜びを長く抑えておくのは至難の業だろう。
「ガレオン殿!」
だからカイルは、出来るだけ平静を装いながらガレオンに話し掛けた。
「こんなもの抱えてたら仕事になりませんよね。だから、取り敢えず、部屋に置きにいきましょう・・・!」
カイルとしては自然に言ったつもりなのだが。その顔はすっかり紅潮しているし、たとえ態度がどれくらいさりげなかったとしても、カイルの考えていることを察せないガレオンではないだろう。
「いいでしょう・・・?」
もし一緒に来てくれなかったら、一先ず自室に駆け込んでこの感激を叫ぶなりして昇華させてしまおうと思ったのだが。
ガレオンは小さく溜め息をついて、それからカイルにゆっくりと、頷いて返してくれた。
ゲオカイ
バレンタインデーは、女性が男性にチョコを贈る日。
男はどちらかというと甘いものがそんなには好きではないだろうに、何故甘いものを贈ることになっているのか。
よくわからないが、甘党のゲオルグにとってはありがたいイベントだった。
ゲオルグが甘いもの好きだというのは周知の事実だから、本気のチョコから義理チョコまで、この日ゲオルグの元には数多くのチョコが舞い込んできている。
幸せに思いながら、ゲオルグは現在までに集まったチョコをひとまず自分の部屋に置きに向かっていた。
すると、同じように考えたのだろうチョコを抱えたカイルに自室近くでばったり出くわす。
「お互い、大漁ですねー」
「だな」
自然と、部屋までの残り短い距離を並んで歩いた。
「にしてもゲオルグ殿、嬉しそうですねー。大甘党のゲオルグ殿には堪んない行事ですよねー」
などと揶揄うように言うカイルこそ、嬉しそうにゲオルグには見える。
女好きを公言するカイルにとっては、女性にチョコを贈ってもらえるこのイベントは楽しくて堪らないのだろう。カイルの性格からいって、こういう華やかな行事も好きそうなことだし。
そこでゲオルグは、ふと思った。カイルは、ゲオルグにたびたびチーズケーキを作ってくれるほど料理上手で、さらにゲオルグの恋人である。
男同士であるが、しかしノリのいいカイルだから手作りチョコを作ってプレゼント、くらいしてくれそうな気もする。
そんなことを考えながら、ゲオルグはなんとなくカイルのほうを見ていたのだが。
「あ、いくら頼まれたって、これはあげませんよー?」
「・・・いや」
ゲオルグもさすがに、そんなことはしない。カイルが抱えているのがチーズケーキだったら、そのときはちょっと考えるが。
「だって、なんだか物欲しそうな顔してましたよー?」
「・・・・・・」
別にそんなにカイルのチョコが欲しいと思っていたつもりはないゲオルグだが、そんなふうに言われてしまうと微妙な気分だ。
さらにカイルは、ゲオルグの考えを読んだかのような発言をぶつけてきた。
「そうだ、ゲオルグ殿、オレからのチョコも期待はしないで下さいねー。じゃ!」
「・・・・・・」
ゲオルグが一瞬ドキッとして固まっている間に、カイルは自分の部屋に入っていってしまう。
残されたゲオルグは、まあ普通に考えればそうだよな、と思いつつもどこか残念に思ってしまっていた。
この日一日の勤務を終え、部屋に戻ってきたゲオルグは早速チョコにありついていた。
やはり甘味はいい・・・などと思いながら食べているところに、訪問者が。至福の時間をじゃまされた感はあるが、訪ねて来たのがカイルなら話は別で、ゲオルグは部屋に通した。
カイルは、すぐさま何やら綺麗に包装された箱をゲオルグに差し出してくる。
「ゲオルグ殿、これどうぞー!」
今日がバレンタインということを考えると、これは間違いなくバレンタインチョコだろうと予想させる。だがゲオルグは、当然首を傾げた。チョコは期待しないで、と言ったのはカイル本人なのだから。
「しかし、お前・・・」
「いいから、開けて下さいー!」
戸惑うゲオルグの前に箱を置いて、カイルは早くと急かしてくる。ゲオルグは首を傾げながらも、包装を解いて箱を開けた。そして現れたものに、思わず目を見開く。
「これは・・・・・・」
「はい、オレの愛情入りの、特製チーズケーキでーす!!」
とカイルが言う通り、そこにあるのはゲオルグが愛してやまないチーズケーキだった。
バレンタインだというのに、チョコチーズケーキというわけでもない、至ってシンプルなチーズケーキ。
チーズケーキは嬉しいが、少し不思議に思うゲオルグに、カイルが教えた。
「いくら甘党のゲオルグ殿でも、チョコばっかりじゃ飽きるでしょ。チーズケーキが恋しくなるかなー、と思いまして」
確かに、その通りだった。ゲオルグは甘党だが、一番は勿論チーズケーキ。チーズケーキ味のチョコなんてものも中にはあったが、やはり本物とは違う。
それを予測して、バレンタインの日に敢えてチーズケーキを作ってくるとは。ゲオルグは感動すらした。
「さすがだな・・・」
「喜んでもらえて、何よりですー」
にっこり笑って言うカイルを、ゲオルグはつい抱き寄せる。なんて最高の恋人なんだ、などと思った。
左腕でそんなカイルを抱き、右手でチーズケーキを食す。ゲオルグにとってはこれ以上ない、最高に贅沢な時間だ。
半ば幸せボケしたゲオルグは、はははと陽気に笑いながら冗談を口にする。
「しかし、お前はてっきり、自分にチョコを塗りたくった挙句、どうぞ食べて下さいーとか言うタイプだと思っていたぞ」
「ちょっと、オレのことどう思ってるんですかー!」
心外だ、と言いたげにゲオルグを睨んでから、カイルは一転笑ってゲオルグを見上げた。
「・・・もしかして、期待してました? ゲオルグ殿こそそういうの好きだったり?」
さすがに期待はしていなかったが。想像してみると、そう悪い趣向でもない気がする。
「まあ、吝かではないな」
だからゲオルグが正直に答えると、カイルから変態ーと言葉が返ってきた。だがその割に、カイルはゲオルグから離れようとはしない。
それどころか益々ぴったりくっついてくるものだから、ゲオルグもチーズケーキを食べるのは一先ずおいて、両腕でカイルを抱きしめた。
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