2:三歩進んで一歩下がって、二歩進む。
四方を海に囲まれた島国。他国に攻められることもなく気候も穏やかなこの国は、おかげでとても呑気な国だった。
しかし、呑気な国とはいえ、やはりそれなりに陰謀なども存在する。王位継承を巡る争いやそれに関わる大臣の駆け引きなど、本当にごくごく僅かなのだが確かに存在するのだ。
まあそれはともかく、ゲオルグがこの国に流れ着いてから一ヶ月ほど経った。ゲオルグは一応カイルの客人という扱いで、カイルの部屋の一室で生活している。
そしてその間に、だいぶ言葉が話せるようになったゲオルグは、船に乗っていたところ嵐に遭ってこの国まで流されてきたらしいと言った。
しかしそれがわかっても、この国の人は誰一人としてこの島を出たことがないので、ゲオルグの国がどの方向にあるのかなどちっともわからない。
そんなわけでゲオルグは少なくとも当分はこの国で暮らすことになったのだ。そして、いつまでも客人としてただ飯を食うわけにはいかないとゲオルグは考えた。
「うわー、すごいー!」
カイルは目の前で繰り広げられる光景に歓声を上げた。
振り下ろされる剣を素早くかわし、がら空きの側面に叩きつける。それを受けた相手は、真剣ではないもののその衝撃に思わず呻いて、膝をついた。
「わ、勝った! ね、ゲオルグって強いんですかー? それとも相手が弱いんですかー?」
カイルは隣に立つ剣術指南の先生、ガレオンに聞いた。ちなみにカイルは他の勉強があったので、今ここに来たばかりなのだ。
「弱いどころか、強いほうになります。それよりもさらにゲオルグ殿が強いということでしょう」
師範はイカツイ顔そのままの硬い口調でカイルに説明した。そのセリフに、カイルは自分のことのように嬉しくなる。
「へー! 前の国でも剣士みたいなことしてたって言ってたけど、そんなに強いんだー」
カイルは次の相手と剣を交えているゲオルグを見つめた。
もうすっかり慣れたらしい洋服を身につけた長身の体、少し変わった剣の持ち方。機敏な動きとそれに合わせて揺れる漆黒の髪。金の瞳は、初めて見るものではないのに、何故だか特別なものに思える。
「カッコいーなー」
思わずといったように呟くカイルを、ガレオンは微笑ましく見下ろした。ガレオンは厳しそうな見掛けだが、意外と穏やかで優しいのだ。
「すっかり懐かれたようですな。兄がまた出来たような気分なのですか?」
「うーん・・・そうなのかなー」
カイルは「兄」という響きに微かな違和感を感じながらも、自分がゲオルグをかなり気に入っているのは確かなので、頷いておいた。
「ゲオルグ殿の腕なら、貴方様の護衛も立派に務められるでしょう。我輩からも推薦しておきましょう」
「ほんと!? やったー!」
カイルは顔をぱっと輝かせてガレオンを見上げた。そして、ゲオルグがどうやら休憩に入ったらしいと気付くと、カイルはそっちに一目散に飛んでいく。
その様子を見ながらガレオンは、護衛といっても平和な国なので、きっと世話兼フォロー役になるのだろうなと、少しばかりゲオルグを気の毒に思った。
そんなわけで、幸か不幸かゲオルグはカイルの護衛役におさまった。
カイルにとっては嬉しい限りだし、ゲオルグにとってもこれでただ飯ぐらいではなくなるので喜ばしいことなのだ。
では誰にとって不幸なのかというと、この国の王子であるカイルに強い護衛が付いて困る人、である。
それはともかく、カイルはベッドに横になって上機嫌でゲオルグを見つめていた。ゲオルグはベッドに座って何かを書いている。
着ているのは洋服ではなくゲオルグが最初に着ていたような、この国で言うバスローブに近い服だ。洋服に慣れたとはいえ、寝るときはやはり窮屈だと言ったゲオルグに、カイルが作らせてプレゼントしたのだ。
ちなみにカイルも一緒に作ってもらって着て寝ていたこともあったのだが、どうしても朝になるとすっかり脱げてしまうので、着るのをやめてしまっていた。
「日記、何書いてるんですかー?」
カイルはゲオルグの手元を覗き込む。冊子のような紙には、カイルに全くわからない文字が書かれている。フェリドが、少しでも元の国の言葉を使っていたほうがいいだろうと、書くことを進めたのだ。
「オレのことも書いてますー?」
カイルはわくわくして、もっと近寄ってその文字をじっと見る。ゲオルグはその中の一部を指して言った。
「カイル」
「えっ、これ? オレ?」
カイルは指されたところを見たが、とても自分の名前には見えない。
「俺の国の言葉で、たぶん、こう書く」
「へえー」
そう言われると、カイルにはその文字がなんだか特別なものに思えてきた。そして、その文字を使ってゲオルグはどんなふうに自分のことを書いているのだろう、とカイルは思った。
「ねー、そのうちオレにゲオルグの国の言葉教えて下さいねー」
だからカイルはいつかそれを読ませてもらおうと、そう思って言った。勉強嫌いのカイルだが、ゲオルグが関係すると何故だか案外頑張れるのだ。
そのカイルのお願いに、ゲオルグは言葉ではなく軽く頷くことで了承を表現した。
ゲオルグは寡黙で、表情もあまり変えない。
カイルは最初のうちは違う言葉、慣れない環境のせいだと思っていたのだが、どうやら元々の性質らしいのだ。だから、カイルはゲオルグの無表情以外の表情をほとんど見たことがなかった。
カイルはそれを勿体ないとか残念だとか思っているのだが、しかしゲオルグがカイルに一番打ち解けているのは確かなので、それで取り敢えずは満足していた。
などと、そんなことを思っているうちに、カイルは段々眠たくなってきた。カイルは早寝早起きのタイプなのだ。すぐ隣の部屋に自分のベッドがあるのだが、しかしカイルはこのままここで寝てしまおうと、うつ伏せのまま目を閉じた。
「・・・・・・カイル?」
急に静かになったカイルにゲオルグが声を掛けたが、数秒で眠りに落ちていったカイルは答えない。
ゲオルグは寝息を立て始めたカイルに、こんなことは今までもよくあったので、いつものように布団を掛けてやった。
そして、そこから覗く頭に手を遣る。明るい金色をした癖のない髪を撫でながら、ゲオルグは僅かだが笑顔を浮かべた。
カイルがなかなか見られないと思っているゲオルグの笑顔は、案外カイルが気付いていないだけということも多いのだった。
カイルは辺りをきょろきょろしながら走っていた。
「もー、護衛役なんだから側にいてよー」
ぶーたれながら走るカイルは、ゲオルグを探しているのである。
カイルの昼食を挟んだ数時間は勉強に当てられている。アホなカイルはいつも手こずって、いつも夕方過ぎてやっとそれを終わらせることが出来るのだ。
ゲオルグは護衛役といっても、城の中での勉強など安全だとわかりきっているので、カイルの勉強中は好きに過ごしていいことになっている。
そんなわけでカイルは勉強が終わるとゲオルグを探しにいくのが習慣のようになっていた。ゲオルグを待たせておくという手もあるのだが、カイルの勉強はいつ終わるか全くわからないし、何よりこれはカイルが好きでしていることである。護衛役といっても平和なこの国のこと、四六時中一緒にいる必要性など全くない。つまり、カイルがただ一緒にいたいだけなのだ。
「あ、いたっ!」
カイルはいくつか曲がり角がある長い廊下の端にゲオルグを発見した。ゲオルグは長身でこの国唯一の黒髪だから、遠くからでもすぐにわかるのだ。
カイルは走り寄ろうとして、思わず足をとめた。ゲオルグは誰かと話しているようだ。遠いうしろ姿なので相手が誰かはわからないが、何かをしきりに話し掛けているように見える。
「・・・めずらしいなー」
カイルは思わず呟いた。
始めのうちは黒髪にどうしても目がいってしまっていたが、それに見慣れてくると人々は、ゲオルグの顔つきがかなり険しいということに気付いた。それに無口さも加わってゲオルグは、馴染めていないわけではないが、人々に遠巻きにされることが多かった。怖がられているわけではないが、それでも遠慮なく纏わり付くのはカイルくらいなのである。
実際、今のようにゲオルグが一人のときに話し掛けられているのを、カイルは初めて見た。だからカイルは思わず立ち止まってしまったのだ。
「・・・・・・カイル様」
「わっ」
相手が気になって駆け寄ろうとしたカイルは、そのとき突然うしろから声を掛けられて、ビックリした。
声の主は大臣の一人、ルクレティアだ。まだ三十歳ほどの女性でありながら大臣という地位にあることだけで、どれだけやり手かわかるというものだろう。今も、底の知れない微笑を浮かべている。
「な、なんですかー?」
カイルはまだ驚きの余韻でばくばく言っている心臓を宥めながら、ルクレティアに向き直った。
「それが、あのゲオルグ殿と話している方なんですが・・・」
「え、知ってる人ですかー?」
誰なのか気になっていたカイルは、ルクレティアにせがむように聞いた。それにルクレティアは、少し躊躇しながら口を開く。
「くれぐれも他言しないで頂けます?」
「う、うん、しないです」
ルクレティアの声が少し低くなって、深刻な話なのかとカイルは身構えた。
「この国の人は基本的に善良なものが多いのですけどね。勿論、王に成り代わって支配者になろうという野望を抱いているものがいないわけではないんですよ。あのものは、実はそうなのではないかとの疑いが以前からありましてね。実際、ああやってゲオルグ殿に接触を試みているようですし」
「・・・・・・なんでゲオルグに?」
カイルは自分にとって難しい話になんとか付いていきながら尋ねる。
「ゲオルグ殿はカイル様の護衛役になりましたから。護衛役というのは、誰よりも側にいられる職ですからねえ。それに何より、カイル様がゲオルグ殿のことを殊の外気に入っているというのは有名な話ですから」
「・・・う、うん」
確かにカイルはゲオルグのことを気に入っているという自覚はあるが、こうやって言われてしまうとなんだか気恥ずかしかった。
「それで、おそらく彼はまずゲオルグ殿を懐柔して、それからゲオルグ殿を使ってカイル様を懐柔するかもしくは亡き者にしようと考えているんじゃないかと思うんですよ。あ、懐柔というのは化け物のことじゃなくて、仲間に引き入れることですよ?」
「・・・う、うん」
聞こうと思ったことを先に説明されて、カイルはさっきと違った意味で気恥ずかしくなって笑いを浮かべた。
だが、その笑いはすぐに引っ込む。
「だから、ゲオルグ殿には充分気を付けて下さいね」
「・・・え、なんで? 気を付けるのはゲオルグじゃなくて、あの男じゃないんですかー?」
カイルはまだしつこくゲオルグに話し掛けているらしい男を見ながら言った。それにルクレティアも二人に視線を向けながら答える。
「知り合いもいないろくに言葉も通じない異国で生活しなくちゃならなくなったゲオルグ殿には、付け入ることなんて容易いんですよ」
「・・・そ、そんなことないです、ゲオルグにはオレが付いてるんですから!」
カイルは少しむきになって言った。そんなカイルに、ルクレティアは微妙な笑顔を浮かべる。
「だったら、いいんですけどね・・・」
そう言ってルクレティアはゲオルグたちがいる方向とは逆に歩いていった。
カイルはそのうしろ姿を嫌な気分で見送る。しかしカイルはすぐに、ルクレティアはゲオルグのことをちゃんと知らないからだと思い直した。
ゲオルグはそんなことにならないと思いながら、カイルはゲオルグのほうに目を遣る。いつの間にかあの男は姿を消して、ゲオルグ一人になっていた。
「ゲオルグー!」
カイルはゲオルグに駆け寄った。そして、見上げる。
「さっき、話してたのって誰なんですかー?」
ゲオルグのことを信じていないわけではないが、それでもやっぱり気になる。だからカイルはすっぱり聞いてすっきりしようと思った。
「・・・・・・さあ」
「知らない人ですか? 何話してたんですかー?」
たわいない世間話だとか、ゲオルグはしそうにない気もするが、そう言われればカイルは納得しようと思った。
しかしゲオルグは、何を考えているのか読み取れない表情のままで、答えない。
「・・・オレには言えないんですかー?」
カイルは柄になく少し弱い調子で言葉を出した。それに対してゲオルグは、少しの間をおいて、頷く。
「・・・・・・そ、そうなんですかー」
カイルは、正直言って、ショックだった。ゲオルグは自分には心を開いてくれていると思っていたのに。それなのに、何を話していたか言えないという。
「あの、お、オレ、ちょっと用事が・・・!」
カイルは言いながらゲオルグの前から逃げるように走り去った。
なんでも話すことが打ち解けるということではないことくらい、カイルにもわかっている。それでも、さっきルクレティアの話を聞いたせいか、カイルは一気にゲオルグとの距離が開いた気がしていた。
この島国は半径百キロほどの、ここの他を知らない人たちにとっては充分大きいが、他の大陸に比べれば断然小さい島で、国というよりは大きな村といったほうが近いくらいである。
城はこの島の中心部にあり、そして島の四方には離宮がある。この日、王様一家は東にある夜明けの離宮に来ていた。
夜明けの離宮は様々な花がそのうりで、フェリドたちはそれを楽しむ為に来ているのである。カイルも色とりどりの花を最初のうちは一緒に楽しんでいたが、すぐに興味が他に移ってしまう。
「あ、犬だー」
見付けるなりカイルは、尻尾を目一杯振っているのが思わず目に浮かぶような動きで、駆け出していった。
その姿が視界から消えても、フェリドたちは気にも留めない。この平和な島では危険なんてほとんどないし、それにカイルには頼もしい護衛役が付いているのだから。
「ゲオルグ、これってゲオルグの国にもいたんですかー?」
カイルはなんとか捕まえた犬を抱えてゲオルグに見せながら尋ねる。
「いた」
「そうですかー。犬、って言うんですよ、ここの言葉では」
カイルはゲオルグを見上げてなんのわだかまりもない笑顔を見せる。
距離が開いたのなら、また縮めればいいのだ。あれからカイルはそう思って、それまで以上にゲオルグと仲良くしようと決めたのである。
「ほら、ゲオルグも抱っこしてみたらどうですかー? ・・・あっ!」
ゲオルグに渡そうとした瞬間、その犬はカイルの手をすり抜けて逃げていってしまう。カイルは慌ててそれを追い駆けた。
少ししてなんとか追い付き、カイルは犬を抱き上げようとする。
そのときだった。
「カイル!!」
突然掛けられた声に驚いてカイルがその方向に目を遣ると、ゲオルグがこっちに向かって走ってくるのが見えた。
カイルは何故か、犬がまた逃げていこうとするのをとめることもなく、ただゲオルグが大声出すのを初めて聞いたなとぼんやり思う。
そんなうちにもゲオルグは近付いてきて、カイルに思いっきりぶつかってきた。その衝撃で地面に倒れ込みながら、カイルはすぐ側で繰り広げられている光景に息を呑んだ。
カイルの数十センチ先で光る真剣を、ゲオルグが鞘に入ったままの剣で受け止めている。そしてゲオルグは、それを振り払いそのまま相手の鳩尾に向かって刀の先端部分を突き立てた。その男は小さく呻いて、その場に倒れ込む。
ゲオルグはその男が気絶しているのを確かめると、まだ尻餅ついたままのカイルに向かい合うように、片膝をついて腰を落とした。
「・・・大丈夫か?」
「は、はいー・・・」
基本的に平和な国なので危ない目にあったことなどほとんどないカイルは、まだ起こったことを把握しきれないようにボーっとしたかんじで答えた。
しかし、その目がゲオルグの右の二の腕にとまると、ハッとしたように体を起こして手を伸ばす。
「ゲオルグこそ、怪我してるじゃないですか!」
自分が命を狙われて、ゲオルグがそれを助けてくれてその際に傷を負ったのだと、カイルはやっと起こった事態を飲み込んだ。
単純な心配と、次第に強くなってくる自分のせいでという思いでゲオルグを見るカイルに、ゲオルグはいつもと変わらない表情で答える。
「・・・少し、当たっただけだ」
怪我を全く気にしていないかのようなゲオルグだが、しかしカイルは悔やむような気持ちになる。
命を狙われていたというのに全く気付かなかった自分にもだが、それ以上に、ずっと一緒にいられるからという理由で、どうせこの国は安全だからとゲオルグを自分の護衛役にしたことをである。
「ゲオルグ、・・・ごめんなさい」
カイルはゲオルグの傷口の近くに触れたまま、しかしそこを見ることは出来ず目を伏せる。そんなカイルに、ゲオルグは何か言おうと口を開きかけた。
しかしそこで、さっきのゲオルグの声を聞きつけたらしくフェリドたちがやってくる。
「どうした、カイル。何があった?」
フェリドはそう尋ねたが、二人の様子と近くに倒れている男を見て、起こったことをすぐに理解した。
「どうやらゲオルグに助けられたようだな。護衛役にした甲斐があったというものだ」
フェリドは安心したように笑って、二人に立つように促そうとした。しかし、それをさえぎるように言葉を発したものがいる。同行していたルクレティアだ。
「それは・・・どうでしょう」
「どういうことだ?」
首を傾げながら言うルクレティアに、その場にいる人は思わず注目し、フェリドは若くとも信頼出来る部下に説明を求めた。
「カイル様、その男に見覚えは?」
ルクレティアはカイルに視線を向けて、倒れている男を指しながら問う。
言われてカイルは男を見たが、うつ伏せに倒れていて顔も見えないし、元々記憶力もよくないので思い出せない。
「え、ええっとー・・・?」
「あのとき、ゲオルグ殿と話していた男です。どんな方か、覚えています?」
「ああ、あのときの」
言われてみると、このうしろ頭はそうだった気もしてくる。カイルはあのときのルクレティアの話を頑張って思い出した。
「・・・確か、ゲオルグのことを使ってオレをなんとかしようとしてる人でしたっけー・・・?」
「ああ、こいつがおまえの言っていた、王位を脅かそうとしているものなのか」
カイルの半端な回答を補足するようにフェリドが続ける。それにルクレティアは扇をゆったり振りながら頷いた。
「そうだ、そのときゲオルグがこの人の仲間になるかもしれないとか言ってましたよねー。ほら、ならなかったじゃないですかー!」
カイルはやっとルクレティアとの会話をちゃんと思い出して、やっぱり自分の思った通りだったと喜色を浮かべる。だがルクレティアは、何か含んだ笑顔のままで、ゲオルグに視線を移した。
「そうとは言い切れないですよ? こんなふうに命を助けられちゃうと、カイル様は益々ゲオルグ殿に信頼をおくでしょう。気を許し心を許し、そうなればカイル様を利用することも害することもお茶の子さいさいになっちゃいます。今回のことはそれを狙っての計画だった、そうも考えられますよね?」
すらすらと語られるルクレティアの長台詞を、カイルは眉をしかめて聞いていた。
「・・・何言ってるのか、わかんないです」
「ですから」
簡単な言葉で説明し直そうとしたルクレティアは、自分を見据えるカイルの眼差しに、思わず言葉をとめる。
「ゲオルグはそんなこと、絶対にしないし考えもないです!」
カイルはきっぱりとそう言った。その顔は、いつもの明るい笑顔や少しゆるんだ顔とは違って、真剣そのものである。
「・・・どうしてそう言えるんですか?」
その、年に何回見られるかわからないカイルの真面目な表情に、しかし他のものとは違って動じることなく、ルクレティアは冷静に問う。
そんなルクレティアに、カイルは一度ゲオルグに目を遣ってから、やはり澱みなく答えた。
「だって、オレはゲオルグのこと信じてます!」
カイルは確かにゲオルグが男と話していた内容を教えてくれなかったときショックを受けた。しかしそれは、ゲオルグに一番近いのは自分だという自信が少し揺らいだだけであって、ゲオルグへの信頼が揺らいだわけでは全くないのだ。
そしてゲオルグは現に今、カイルを傷を負ってまで助けてくれた。そのときゲオルグが自分を呼んだ声は、何よりゲオルグが自分をただ守ろうとしてくれた証拠だと、カイルはそう思った。
「・・・信じるですか」
「そうです! もー、ゲオルグからもなんか言って下さいよー!」
まだ納得していないように見えるルクレティアに、カイルは苛立ちと悔しさで、掴んだままだったゲオルグの腕を引っ張った。
急に矛先を向けられたゲオルグは、しかしカイルが期待するように口を開いてはくれない。
そんな、あのときのように何も言わないゲオルグに、カイルは信じていないわけではないが不安になる。
「ね、ゲオルグー!」
もう一度カイルはゲオルグを促そうとしたが、そこで途中から黙ったままだったフェリドが声を掛けた。
「取り敢えず、その男を捕まえて、それとゲオルグの傷の手当てをしたほうがいいな」
その言葉に、カイルは慌ててゲオルグの傷口に目を遣った。深くはなさそうだが血が滲んでいる。
カイルはルクレティアのわけのわからない話に付き合っている場合ではないと思った。
「ゲオルグ、行きましょー!」
カイルは立ち上がって、ゲオルグの手を引いて足早にその場を離れた。
ゲオルグの傷はやはり大したことはなく、簡単な手当てですんだ。
その間も、そして手当てをしてくれた侍女が出ていっても、カイルはご機嫌斜めなままだった。口を尖らせルクレティアに対する文句をぶつぶつ言っている。しかしそのうちネタが切れたのか、今度は向かいに座っているゲオルグに拗ねたような視線を送った。
「もー、そもそもゲオルグがあのときあの男と何喋ってたか教えてくれてればよかったんですよー」
案外ネに持っているカイルである。
「ねー、まだ言いたくないんですかー?」
あのときのせいでルクレティアに疑われることになったんだから、とカイルはゲオルグを問い詰めるように見つめた。
「・・・言いたくない、ことはない」
それに対してゲオルグは、特に隠そうとする様子もなく答える。微妙な言い回しなのは、まだこの国の言葉を使いこなせていないからだ。
「じ、じゃあ教えて下さいよー!」
「・・・・・・わからない」
前に乗り出して答えを待っていたカイルは、ゲオルグの返答に、思わず変な顔になった。
「へ? わ、わからない・・・って?」
「・・・言葉が早くて、聞こえなかった」
自然な文章に直せば、早口だったので聞き取れなかった、である。
「・・・・・・だ、だったらそう言ってくれればよかったじゃないですかー!」
「・・・だから、わからないから、言えないと」
「・・・・・・」
カイルは混乱するアホな頭で頑張って考えた。
あのとき「オレには言えない?」と尋ねたカイルに、ゲオルグは頷いた。それをカイルはそのまま、自分には言えない、言いたくないのだ、と取ったのだが。
しかし今ゲオルグが言ったことを総合して考えると、つまり、ゲオルグはカイルに話の内容を話したくなかったわけではなく、ただ単に聞き取れなかったので答えようがなく、カイルの「言えない?」という問いに対して頷いたということなのだろう。
「な・・・なんだ・・・」
カイルは完全に自分の思い違いだったとわかって、少々脱力した。
しかしカイルにとっては思い掛けない真相だったが、ゲオルグはまだこの国の言葉を覚え始めて一ヶ月ほどなわけで、少々行き違ってしまうのは当然だといえる。
ちなみに蛇足だが、あの男はあのときゲオルグを仲間に引き込めたと思い込んでいたので、カイルを襲ったときゲオルグに反撃されて大層驚いたそうな。
それはともかく、カイルは脱力から立ち直りつつ、ふと気付く。
「・・・ってことはもしかして、さっきオレがなんか言って下さいよーって言ったときに何も言わなかったのも、同じ理由だったりしますー?」
めずらしく冴えているカイルの予想に、ゲオルグは頷く。
「途中から、よくわからなかった」
「そうですかー・・・」
カイルは再び軽く脱力しながら、しかし確かにルクレティアの話は自分もよくわからないことあるしな、と納得してしまう。
「・・・だが」
ついカイルがはぁーと溜め息をついてしまっているところに、不意にゲオルグが口を開いた。
「最後はわかった」
「え?」
ゲオルグの言葉に、カイルはなんの最後で何が最後か考えたが、さっき察しがよかったのはまぐれのようで、やっぱりわからなかった。
「最後って?」
「・・・俺を、信じている、そう言った」
「あ、ああ、はい」
カイルは勿論勢いではなく本心からそう言ったのだが、改めて本人に繰り返されると妙に気恥ずかしくて、なんとなくごまかすように笑いを浮かべる。
「あの、そ、それは・・・」
カイルはなんだか落ち着かない気分になって、意味もなくフォローしようとした。そんなカイルをじっと見て、ゲオルグはいつもの真顔で言う。
「嬉しかった。・・・ありがとう」
「・・・そ、そんなの! あ、当たり前ですよー! お互い様だし! ゲオルグもオレのこと助けてくれたじゃないですかー!」
こっちこそなんだか嬉しくなりながら、カイルは照れ隠しにそう言った。
そして、そのおかげで、ルクレティアにいろいろ言われたせいで忘れてしまったいたことを思い出す。ゲオルグが傷を負ったのは、自分のせいだということを。
「・・・ゲオルグのほうこそ、そんな怪我までして助けてくれてありがとうございます・・・ごめんなさい」
さっきまでいい気分だったカイルは、すっかり気落ちしたように俯いた。
「・・・それが俺の役目だろう」
「それだって、オレがゲオルグにオレの護衛役になったら、って言ったから・・・」
どうしてそんなふうに落ち込んでいるのかわからないといったかんじでゲオルグはカイルを見るが、カイルは視線を上げない。
「・・・カイル、俺は」
ゲオルグは元々言葉で表現するのが苦手なのと、加えてこの国の言葉で表現するのにもまだ不慣れで、途切れさせながらもなんとか思うところを伝えようとする。
「俺は、剣くらいしか、得意ではない。それでお前の役に立てるなら、俺は、嬉しい」
ゲオルグはなんとか言い終わって、ちゃんと伝わったのか不安そうにカイルを窺う。その言葉にカイルは顔を上げて、ゲオルグを見た。
「・・・ゲオルグ」
ゲオルグは嘘を言っていない。偽らない本心を言っている。
真っ直ぐ見つめてくる金の瞳が、何よりもそう言っていた。カイルはその瞳から視線を逸らせず、しばらく二人は無言で見つめ合う。
「・・・・・・何見つめ合っちゃってるんですか?」
「!!」
そんなときに突然声を掛けられ、カイルは心臓が口から飛び出るかと思った。
声のほうに目を遣れば、いつもの笑顔でルクレティアが立っている。
「な、何しに来たんですかー、まだゲオルグのこと疑ってるんですかー!?」
一瞬取り乱してしまったカイルは、すぐにルクレティアに対する怒りを思い出してきっと睨む。
「そのことで、お二人に一言言いたいと思いまして」
「だから、なんですかー。今度ゲオルグのこと悪く言ったら、オレが許さないですー!」
カイルは立ち上がって、ゲオルグをかばうようにその前に立った。
それに、降参するように両手を挙げて、ルクレティアは言う。
「お二人とも、いい人に出会えましたね。それだけです」
ふふっと笑って、ルクレティアはさっさと部屋を出て行ってしまった。
「・・・・・・へ?」
身構えていたカイルは、拍子抜けしてしまう。
「な、なんなんですかー・・・」
さっき散々疑ってたくせに、とカイルは、それはそれでおちょくられた気がして悔しくなる。
しばらく眉をしかめていたカイルは、しかしぱっと顔を上げた。
「あー、まぁ、もういいや」
その表情は、すでに吹っ切れている。どうせ自分には、頭のいいルクレティアの考えることなんてわからないから考えるだけ無駄だ、カイルはそう結論付けたのだ。
「ゲオルグ、そろそろ戻りましょー」
カイルはゲオルグの怪我をしていないほうの腕を引っ張って歩き出した。手当てがすんだのだから、いつまでもこの部屋にいることはないだろう。
そんな切り替えの早いカイルに引かれるままについていきながら、ゲオルグは自分よりちょっと下にあるカイルのうしろ頭を眺める。
ゲオルグのその顔に、笑顔が浮かんでいたことには、カイルは残念ながら気付かなかった。
END
------------------------------------------------------------------------------
わー、カイルがとんでもなくアホな子になってますねー・・・