3.5話:生きていたい場所、側にいたい人



 死にたいと思ったわけではない。だが、死んでも構わないと思った。
 薄れゆく意識の中で、そう思った。


 よく晴れた日。といっても、この国は晴れない日のほうがめずらしいのだが。
 今日、国に帰るラハルを見送ろうと、王様以下たくさんの人々が海辺に集まっていた。
「寂しくなるなあ。またいつでも来いよ?」
 フェリドはラハルに笑顔で言う。周りの人々の表情もやはり笑顔で、同じ気持ちだということを示していた。
「おせわになりました」
 そんな人たちにラハルは軽くお辞儀をして、たどたどしいながらもこの国の言葉で礼を言う。
 そしてラハルは船に乗り込もうとした。やって来たときの船で、服装も着物に戻っている。
『あぁ、ゲオルグ』
 乗ろうとしたラハルは、ふと思い出してゲオルグを手招きした。
『忘れるところでした。これ、差し上げようと思っていたんですよ』
 ラハルは腰に下げていた刀をゲオルグに手渡した。
『たまには、これが恋しくなるでしょう? 使って下さい』
『すまんな』
 ゲオルグは素直に受け取った。ラハルの言う通り、久しぶりに使ってみて、やはりこの国のよりも手に馴染むと思ったのだ。
『でも、本当に帰らないのですか? 今ならまだ、間に合いますよ?』
 本気で言っているのではないことを表すように笑って言うラハルに、ゲオルグは首を振って返す。
『確かに、ここはいい国ですからね。帰りたくなくなる気持ちもわからないではないですが・・・それでも俺にとっては、自分の国や家族を捨てるほどではない』
 ラハルは海の向こうを見ながらはっきり言う。それから、ラハルは慌ててフォローするように笑った。
『いえ、あなたが国や家族を捨てたと言いたいわけではないですよ。ただそれ以上に・・・放っておけないんでしょう?』
 ラハルはちらっと、ゲオルグのすぐ斜めうしろに立っているカイルを見る。
『ちょっと目に入ったんですよ。あなたが書いていた、家族宛の手紙が』
『ああ、それは・・・まぁ、そんなところだ』
 実はその手紙のちょうどラハルが言った部分を書き換えていたゲオルグは、しかしわざわざ訂正することもないだろうと、肯定しておいた。
『じゃあ、そろそろ帰りますね。あんまり待たせても悪いですし』
 ちょっと話し込んでしまったことに気付いて、ラハルは見送りに来たフェリドたちに目を遣ったが、基本的に気の長いというかのんびりしたこの国の人々は気にした様子もなくにこにこしている。
『本当に、いい国ですね。俺がしつこくそう言っていたと、伝えておいて下さい。俺もあなたの家族にあることないこと伝えておきますから』
 ラハルは笑いながら言って、船に乗り込んだ。それを見た人々は、見送ろうと手を振る。ラハルもそれに少しの間手を振って応えてから、櫂を手に取り船を進めだした。
 段々その姿が小さくなっていくのを、人々と同じようにゲオルグもずっと目で追う。
 そのうち自分の生まれ育った国に辿りつくその船を見ても、しかしゲオルグはやはり帰りたいとは思わなかった。
 その思いは、この国に着いた当初から変わってはいない。だが、その理由が変わってしまったことを、ゲオルグは知っていた。
「ゲオルグ、ほんとによかったんですかー?」
 ラハルの姿が完全に見えなくなったところで、カイルが今さらそう尋ねてくる。
「あぁ」
 短く答えて、ゲオルグはカイルを安心させる為に小さく笑ってみせた。すると見上げてくるカイルの顔もすぐに笑顔になる。
「えへへー。ゲオルグ、その剣使ってるとこ見せて欲しいですー!」
 かっこよかったですから、と言ってカイルはゲオルグの手を引いて歩きだした。
 カイルの存在、それこそがゲオルグの理由なのだ。放っておけない、とは少し違って、ただ―


 ゲオルグはカイルたちの国から数十キロ離れた大陸の一国に生まれた。
 武士の父親に武家の娘だった母親、彼らは厳格で少々閉鎖的なお国柄そのままの人柄で、息が詰まりそうな家だった。ゲオルグは剣に打ち込む道しか見付けられなかったが、何の為に刀を振るっているのかはわかっていなかった。
 とはいえ、家族は彼らなりにゲオルグのことを愛してくれていたし、数少ないが心許せる友もいた。
 それでもゲオルグは、自分がどこか空虚さを抱えていることに、気付いていたのだ。やがては父のように武士として誰かに仕えるであろう未来を思っても、ゲオルグはそこに不安がない代わりに、期待もなかった。このまま惰性だけで生きていくのだろうと、そう思っていた。
 だからあのとき、たまたま遠出する船に乗る機会があって、その船が嵐に遭って海に投げ出されたとき、これもいいかとゲオルグは思ったのだ。家族や友は悲しんでくれるかもしれないが、それでもこのまま死んでしまっても、それでも構わないと思った。今まで流れに逆らわず生きてきたのだから、流れに従って死ぬのだと。
 しかしゲオルグは死ななかった。生きて、この島国に流れ着いた。
 この国の人々はゲオルグをあたたかく迎えてくれた。カイルもフェリドもみんな、ゲオルグに優しかった。それでもゲオルグは、やはり元の国にいたときのように、どこか虚ろだった。
 故郷に帰りたいとは思わなかったが、かといってこの国にいたいと思ったわけでもない。ゲオルグはどちらでもよかったのだ。元の国でもこの国でも、どちらにしろ自分が何をするわけでもなく何を思うわけでもなく生きていくのだと、わかっていたから。
 そうやってゲオルグは最初のうち、この国の言語や生活様式に戸惑うことはあっても、何かを不安に思ったりすることなどなく過ごしていた。
 しかし次第に、それが変わっていったのだ。
 カイルは、ゲオルグにとにかくいろいろ構ってきた。言葉を教えたり生活に関するいろいろなことを教えたり。
 カイルはゲオルグがその名を呼ぶだけで喜んだ。言葉が交わせ、会話が成り立つと嬉しそうに笑った。
 そんなカイルを見ていると、ゲオルグのたとえば言葉を覚える理由が変わったのだ。不便だからではなく、カイルが喜ぶから。カイルの嬉しそうな顔を見ると、ゲオルグもなんだか嬉しかった。
 何故そんなふうに変わったのか、ゲオルグにはわからない。カイルのようなタイプの人間は、元の国にだっていた。それなのに、元の国にいたときにはならなかった気持ちに、カイルはゲオルグをさせたのである。
 ゲオルグはそんな自分が不思議ではあったが、しかし嫌ではなかった。
 そのうち言葉もだいぶ慣れてきて、ゲオルグはカイルの護衛役になれたらいいと思うようになった。カイルにせがまれたのと、勿論ただで世話になることが申し訳ないというのも理由としてある。しかしそれ以上に、ゲオルグは何かカイルの役に立ちたかったのだ。自分の取柄は剣技くらいだから、それで役立てればと思った。
 そしてカイルの護衛役になって、今までは目的なく鍛えてきた刀の腕を、誰かの為に振るうことが出来るようになった。そんな変化も、ゲオルグは嬉しかった。


 そんなふうにカイルは少しずつ、ゲオルグにとってかけがえのない存在になっていった。
 ラハルがやってきて、自分の国に帰ることが可能だとわかったとき、だからゲオルグは少しも迷わなかった。
 確かにもしカイルの存在がなくても帰りたいとは思わなかったかもしれない。しかし、ゲオルグは帰りたいと思わなかったのではなく、この国にいたいと思ったのだ。
 ゲオルグにとってその差は大きい。ただ流れに任せるのではなく、誰かの為に何かの為に生きることが、ここにいれば出来るとゲオルグは思った。
 だからゲオルグはこの国に残ろうと決めたのだ。
 ラハルに渡した家族宛の手紙にも、そう書いた。この国で元気にやっていること、ラハルが言っていたように放っておけない人がいるからと。
 カイルのことをどう書くか、ゲオルグは迷った。迷って結局、世話になったので放って国に帰ることは出来ないと書いたのだ。
 正直なところゲオルグは、この手紙を最初に書いた時点ではわかっていなかった。カイルに向かう好意、それが何故なのか、なんなのか。
 しかし、ゲオルグがふとそれに気付かされる瞬間がやってきた。カイルが、ゲオルグに帰るなと飛び付いてきたとき、ゲオルグは知ったのだ。
 どうしてそんな思いになるのかはわからないままだったが、それでもカイルに向ける好意が確かに、恋心と呼べるものなのだと。
 抱き付いてくる腕の強さや体のぬくもりや、何度も名を呼ぶ声やいつの間にか溢れ出している涙や。そんなの全部が、必死に自分を引きとめようとする為のものなのだ。
 そう思うとゲオルグは、真剣そうなカイルに悪いと思いながらも、ただ嬉しかった。
 背中を抱いて帰らないと言いながら、ゲオルグは自分の腕に収まるその存在を、ただ愛しいと思った。
 だからゲオルグは、この国にいたいのだ。カイルの側に、いたいのだ。
 ゲオルグはその思いを自覚してから、家族への手紙をそう書き換えた。
 放っておけないのではなく、側にいたい。だから、自分はこの国に残るのだと。
「オレのことも書いてるんですかー?」
 丁度書き終わってたたもうとした手紙を、カイルが覗き込んできた。
「・・・書いてある」
「どんなふうにですかー?」
 カイルは興味津々にそれを見ながら尋ねる。
 それからゲオルグを見上げてくるカイルの顔は、どこか沈んでいたここ最近と違って、明るい。そんなふうに自分に向けられる笑顔が、ゲオルグはたぶん一番、好きなのだ。
『・・・カイル、愛してる』
「え、なんですかー?」
 カイルは当然なんと言ったかわからなかったようで聞き返してきたが、ゲオルグは何も言わずにただ笑い返した。
 いつの間にか芽生えていたやっと気付いた思いを、ゲオルグはカイルに告げるつもりはなかった。叶うはずもないと思ったし、叶わなくても伝わらなくてもいいと思った。
 カイルはやがてこの国の王になり、それに相応しい女性を后に迎えるのだろう。
 そんな未来に、ゲオルグはただカイルを見守っていられればいいと思った。側にいて、どんな形でもいいから必要とされれば、それでいいと。
 隣で笑うカイルを見ながら、ゲオルグは思った。
 そんなふうにこの国で生きていければいい、と。
 そんなふうにカイルの側で生きていきたい、と。



END

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センチメンタルゲオルグ・・・?(笑)
無駄にシリアスに考えて損したと、そのうちゲオルグは気付きますよ!(だって相手はこのカイルだもの!)


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