ひらり、と落ちてきたのは赤い花びらだった。
「恭弥、久しぶりだな!」
そう言いながらいつものように応接室に駆け込んできたディーノは、そのままの勢いでソファに掛けている雲雀へと抱き付いてくる。そして言葉やらキスやらと共に、それがディーノから降ってきたのだ。
「・・・これ、何?」
雲雀は手の平で受け止めた花びらを、指先で摘まみながら何気なく問い掛けた。するとディーノは、一旦雲雀にベッタリ貼り付けていた腕を解いて、雲雀の手から花びらを奪って目の前にかざす。
「あー、これ、カーネーションの花びらだよ。ママンに贈ったんだけど、ついてきたんだな」
「・・・誰に?」
ディーノの口から出てきた聞き慣れない単語に、雲雀はつい眉をしかめた。人名というよりは、母親を差す一般名称のような気もするが。
今度も何気なく尋ねたつもりだったが、ディーノは雲雀に目を留め、少しニヤリとした笑いを浮かべた。
「気になるか?」
「・・・・・・下らないよ」
何かを期待するような眼差しに、雲雀はハァと溜め息をもらす。カーネーションと今日がどういう日か合わせて考えれば、答えは見えている。
「どうせ、草食動物の母親に母の日だから、その辺りなんでしょ」
「・・・正解」
ちょっとつまらなさそうに肩を竦めてから、ディーノは無駄に指先で花びらをヒラヒラさせながら、どうでもいいことを教えてくれた。
「たまにツナん家に泊まってくとき世話になったり、飯食わせてもらったりしてるからな、感謝を込めてな」
「ふぅん・・・」
どうでもいいなりに、雲雀はなんとなく会話を続けてしまう。
「よく知ってたね」
「空港で偶然知ってさ。だからここに来る前に、花買ってツナん家に寄ったんだよ」
ディーノはそう言いながら、雲雀の頭上に花びらを降らせてきた。それを振り払い絨毯に落としても、ディーノは気にせずニッコリ笑って。
「でも、ツナのママンって、ホント素敵な女性だよな。さすが家光が選んだ人っていうか・・・優しいし料理上手いし・・・さすがツナを育てた人だ」
器用に三者を褒める。その言い方は、いかにも雲雀に引っ掛かりを感じて欲しそうなものだ。だから雲雀がソファの背凭れに体を預けながら放っておくと、それでもディーノはまだ続ける。
「オレ、お嫁さんにするならああいう人がいいぜ」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
雲雀がやっぱり反応を返さないと、今度は少し拗ねた顔が窺うように見てきた。
「・・・妬いてくれねーの?」
「どうして僕が」
ディーノの下らない冗談になど付き合っていられない。即座に撥ね付けると、ディーノはへにゃりと眉を下げた。
そして、てっきりそれでも懲りずに纏わり付いてくるかと思えば。
しかしディーノは、何故かノロノロとした動きで、さっき床に落ちた花びらをわざわざ拾った。それから、でもまた無造作に放り投げると、ゆっくり背をソファに預けていく。
もしかして、大人気なく本当に機嫌を損ねたのだろうかと、そのよくわからない行動を横目に眺めて雲雀は思った。だとしたら、自分から声を掛けるべきなのだろうか、とも思ってしまいながらも言葉が思い付かない雲雀に、ふとディーノの声が届く。
「うん、でも・・・マジな話」
呟くような口調は、さっきまでと声のトーンが違う気がして、雲雀はつい視線を隣に向けた。
雲雀のほうではなく、正面へとボンヤリ視線を向けている、ディーノの横顔は。今まで、雲雀の見たことがない表情に見えた。
「いつかはオレも、身を固めねーといけないしな」
「・・・・・・・・・」
やっぱり雲雀には視線を向けず、いつもに比べて淡々とした口調で。
「いつまでもおまえと、こんな関係続けてられないし・・・」
「・・・・・・・・・」
どうせこれもディーノの軽口の一つだろうと思おうとしても、雲雀は胸がつかえるような感覚に襲われた。
もしかしてこれが、雲雀の前ではほとんど見せなかった、ディーノのボスとしての顔なのかもしれない。そして、ボスとしてのディーノが、そう言っているのなら。
「そうだ、恭弥」
そんな気を知らず、ディーノはようやく雲雀のほうを向いて笑い掛けてくる。
その笑顔は、しかし雲雀の見慣れたものとは違って、ただ表面に貼り付いただけの酷く他人行儀なものに映った。いつも鬱陶しいくらいに感じられていた自分への愛情も、そこには見えない。
わかり易いと思っていたディーノの、全く感情を窺わせない表情に、雲雀はドキリとしてしまった。ディーノは、ニコリと笑って言う。
「ママンみたいな素敵な女性知ってたら、紹介してくれよ」
「・・・・・・嫌だよ、自分で、探しなよ」
動揺を、隠してどうにか自然に言い返したつもりだった。だが、騒ぐ胸の内が外に表れていたらしく、そして雲雀は自分でそれには気付かない。
不意にすっと伸びてきたディーノの手が、その中指が雲雀の眉間をトンと突いてきた。
「恭弥、人を殺しそうな顔してるぜ?」
そう言って、そのまま皺の寄った雲雀の眉間を数度撫でてから。ディーノはふっと表情を和らげ、雲雀の見慣れた笑顔を浮かべた。
「・・・・・・・・・」
やはり、ただの下らない悪趣味な冗談、その一環だったらしい。ディーノの手を振り払いながら、雲雀は自分に込み上げてくる思いを抑えることが出来なかった。
面白くない、強く不快に思うのは募っていた不安や危機感の反動で、同時にホッと安堵してしまったことを自覚すれば益々苛立たしい。
それでも、そんな感情の揺らぎをディーノになんか知られたくなくて、雲雀は立ち上がった。そのままソファからディーノから離れようとしたのに、うしろから伸びてきた腕に、それを阻まれる。
「悪ぃ、怒るなよ」
腰にしっかりと腕を巻き付けて、雲雀の背に頭を凭れさせながら、ディーノの声が届いた。
「・・・別に、怒るようなことは何もないよ」
ディーノの言動に、何も心を動かされてなどいない。そう言い返しても、ディーノは聞く耳など持たず、雲雀をギュッと抱きしめながら口を開く。
「オレだって、半端な覚悟で、おまえとこうなったわけじゃねーよ」
「・・・・・・・・・」
いつもよりは少し落ち着いた声で、それでも確かに自分への愛情がそこに見えるだけで、ついさっきとは全然違って聞こえるから不思議だった。
まだ、ディーノが何を考えているのかは、よくわからないけれど。
「・・・覚悟?」
「そう」
雲雀が少し体を捩って見下ろせば、ディーノもしっかりと目を合わせながら、笑い掛けてきた。
「こー見えてもオレ、呑気におまえに流されてなんとなく、ってわけじゃねーんだぜ?」
「・・・じゃ、何考えてるっていうの?」
「それは・・・」
ディーノは一旦言葉を切ってから、ゆっくり解いていった腕で雲雀の腕を引く。もう一度隣に座らせようとしてくるのに、なんとなく逆らえず、仕方なく腰を下ろせばディーノがニコリと笑った。
「10年後も、恭弥がオレの側にいたら、教えてやるよ」
「・・・・・・・・・」
どこまでも、人を馬鹿にしている。だが、ディーノが深いところで何を考えているのかわからない、何かを考えているのだとそんなことにも思いを及ぼさなかった、そんな自分にも問題があるのだろうか。
「あ、そうだ、恭弥」
一方ディーノはすっかりいつもの調子を取り戻して、雲雀の肩に手を乗せながら笑顔で言ってくる。
「誕生日、おめでとう!」
「・・・・・・・・・」
それはあんまりにも予想外の言葉で、雲雀は思わず少し目を丸くしてディーノを見返してしまった。
「5日、だったんだろ?」
「・・・・・・・・・」
確かについ先日、5月5日は雲雀の誕生日だった。連絡はなかったし、そんな話をしたこともなかったからディーノは知らないのだと思っていたが。どうやら知っていたらしい。
知っていて、こんなに遅れてやってきた挙句、女に花を贈ってきたのだろうか。それとも、母の日と同じく、今日来て偶然知っただけなのだろうか。
どっちにしても、なんとなく面白くないと思えば、ディーノが鋭く指摘してきた。
「拗ねてる?」
「・・・わけないでしょ。離してよ」
雲雀が宥めるように抱きしめようとしてくる腕を振り解こうとしても、構わずディーノはギュウと力を篭めてくる。
「嫌だ。久しぶりなんだし」
「・・・こういうときくらい僕の希望を聞いたら?」
「だから、だろ?」
「・・・・・・・・・」
躊躇なくそう言うディーノは、雲雀が本気で嫌がれば、力ずくで引き剥がそうと思えば出来ることを、知っているのだろう。そして雲雀が、いつもと同じディーノの腕の力強さに、僅かにでも安堵しているのも事実だった。
結局やっぱり、強引にディーノの腕から抜け出せない雲雀を、右手で抱いたまま。ディーノは左手を、ゆっくりと持ち上げて雲雀の頭上に持っていく。
そして開いた手の平から、また赤い花びらが落ちてくるから、いつのまに拾ったんだと思いながら雲雀は振り払った。そのまま絨毯に落ちていった、花びらは2枚目で、さっきのとは違ったのだとようやく気付く。
「・・・・・・」
「これは、おまえ用」
雲雀が思わず視線を向ければ、笑いながらまた頭上にかざしてくるディーノの手から、ハラハラといくつも花びらが落ちてきた。
赤い、バラの花びら。一体どこに仕込んでいたのか、それはあっというまに雲雀の髪や肩や脚に降り積もった。
花びらだけでも充分鼻をつく芳香がして、つい顔をしかめながら頭を振る。もしかしたらこれは誕生日を祝う演出なのだろうか、相変わらずよくわからないことをすると思いながら視線を向けば、ディーノは嬉しそうに笑っていた。
「ハハ、結構似合うな」
自分の仕業に満足そうに言ってから、ディーノはまた雲雀を抱き寄せながら、軽い口調で蒸し返してくる。
「恭弥・・・さっき、オレが女性紹介しろとか言ったとき、冗談じゃねーって思ったろ?」
「・・・・・・別に」
そんなことはないと否定しても、ディーノは雲雀の心中なんて全部わかっているのかもしれない。頭を撫でまわしてきながら、勝手に決め付けて言った。
「嬉しかったぜ」
「・・・・・・」
「おまえが全然動じなくって、平気そうにしたらどうしようかと思ってた」
「・・・・・・」
耳元で聞こえる声は笑いを含んだものだし、抱きしめてくる腕は優しい。表情が見えなくても、今までなら、ただ楽しそうに嬉しそうにしているのだろうと疑わず思えた。
たが、わかり易く単純に見えていたディーノは、意外と複雑らしい。少なくとも、今の雲雀では全てを理解出来ないほど。
今ディーノがどんなふうに思っているのか、どうしてあんなことを言ったのか。素っ気ない態度を取ったから、その仕返しなのだろうか、それとも本当に心のどこかでは思っていることなのか。
今の雲雀にはわからない。でも、10年くらい経てば、わかるようになっているだろうか。
「まあ・・・それはともかく」
だったらどうして話題にしてきたのか、ディーノはそう言って、笑顔で雲雀の顔を覗き込んでくる。
「改めて、誕生日おめでとう、恭弥。愛してるぜ」
「・・・・・・・・・」
その笑顔にも、言葉にも、声にも、ちゃんと自分への愛情が見えた。そんなこと、今までは確認しなくてもわかりきっていると思えていたのに。
近付き重なってくる唇に、またホッとするような心地になって。苛立たしいのに、ディーノを軽くでも突き放すような真似は、雲雀にはもう出来なかった。
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